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二日目 昼~夕

 朝食の後、俺と真紀は自分の部屋に戻った。


 俺はまず、家に連絡を入れなければならなかった。色々考えた結果、『短期の警備のバイトだったんだけど、そのバイト先が山の中にあって、土砂崩れで道が塞がって帰れなくなった』という、極めて真実に近い説明をすることにした。そんな山奥で警備のバイトなんかがあるものか、という疑問は当然持たれるだろうと思っていたが、電話越しの母の口ぶりからは、案外すんなり信じてくれたような感触が得られた。

 しかし、よくよく考えてみると、短期のバイトで関東までやってくること自体が既に相当妙な話ではある。むしろ、母親に心配されたのは、また妙な事件に巻き込まれているんじゃないでしょうね、ということの方だった。孤立した山奥の古びた洋館……たしかに、殺人事件の舞台としてはもってこいの場所かもしれない。でも、そんな推理小説みたいな話が現実にあるわけが……おっと、これを言ってしまうと、よくあるフラグになってしまう。やめておこう。


 関東地方を襲った豪雨については、既にワイドショーでもさんざん取り上げられており、土砂崩れも各地で頻発しているらしかった。中でも、この館と同じように一つしかない道が土砂崩れで封鎖され、孤立してしまった山間の集落が盛んに報道されている。上空から報道ヘリでその集落の頭上を旋回しながら撮影している中継映像を、どの局も競うように流していた。どうせだったら食糧か何か持って行って落としてやればいいのに、と思わないでもない。とはいえ、あの集落が孤立しなかったらこの館が晒し者にされる可能性もあったわけで、そうなると最早隠し事など不可能だ。不謹慎かもしれないが、件の集落の人々に感謝したい気持ちだった。


  雨はまだまだ止む気配がない。この調子では、土砂の撤去作業にも取り掛かれないのではないだろうか。あまり滞在が長くなるようだと、バイトや学校への連絡も考えなければいけない。バイトの掛け持ちは禁止されていなかったはずだが、そのために家庭教師のバイトの方に穴を開けてしまうようだと、当然心象は悪くなるだろう。大学は……まあいいか。

 何より、まだ数日この館に留まることになれば、医学部の嘘の件ももう少し吐き通さなければならなくなる。一応、もう少し設定を詰めておく必要があるか……。


 部屋でのんびり過ごしていたら、あっという間に昼食の時間になった。真紀と一緒に食堂に向かうと、得雄氏が眉間に皺を寄せながらテレビの天気予報を見ているところだった。天気予報が終わると、画面はすぐに件の孤立集落へと切り替わる。

「いやあ、大変だね、どこも。川が氾濫したところもあるそうだよ。最近の天気は本当に読めないね……」

「伯父様、お仕事のほう、大変なのではないですか?」

「はは、いや、まあ、CEOだなんだと言っても、私なんてお飾りみたいなものだし、まあこれも、部下に仕事を任せて独り立ちさせてみるいい機会だよ。しかし、雨はまだまだ降り続けるらしいね……お袋には、こんな古くて不便な館なんか早く出て、街に移住してくれないかと何度も言っているんだよ。体も年々弱くなっていくし、都心の総合病院の近くに越してくれたら私も安心できるんだが……でも、ここには親父との思い出が残っているからって、きかないんだ。年寄りってやつはどうしてああ頑固なんだろうね」


 昼食は山菜そばだった。同じ麺類とはいえ、ラーメンでなかったのが少々残念ではある。

 和食だから、これもおそらく黒木さんが作った食事なのだろう。この山菜は館の周囲で収穫されたものだ、と得雄氏から説明を受けた。この分野については高部さんが詳しく、山菜の採集は専ら高部さんの仕事になっているのだそうだ。しかし、この天気ではきっと、暫く山菜の採集には出られないだろう。


 そばを食べ終えると、黒木さんが食器を下げにやってきた。

「おお、黒木さん。そういえば、今日はおふくろの調子はどうだい?」

 得雄氏が声を掛けると、黒木さんはやや険しい表情になった。

「昨日のお疲れが出ているのか、あまり、よくはありません……」

「そうか……薬はまだあるんだね?」

「はい、数日分はございます」

「医者も来られないからな……困ったものだ。まあ、医学生がいるのが、せめてもの救いか……」

 得雄氏と黒木さんの視線が俺に集まる。……おいおい、よしてくれよ……?

「瀬名くん、午後は、私と一緒にパーティー会場の後片付けをしてもらいたいのだが、引き受けてくれるかね?」

 俺は二つ返事で答えた。

「はい、喜んで」

 もちろん、全く嬉しくはない。


 別段面白いことが起こったわけでもないので遠慮なくすっ飛ばすが、ホールの後片付けは何事もなく終わり、問題の、得雄氏とのフリートークの時間となった。

「医学部の二年か……どういう勉強をしているのかね? 臨床はまだかな?」

「……はい、臨床はまだやらせてもらえませんね……ひたすら勉強の日々です」

 この辺りのことはググって調べておいた範囲である。だが、細かい知識について突っ込まれると途端に破綻してしまう、我が人生において最も危険な綱渡りの嘘だ。

「そうか……じゃああまり、頼られても困るだろうね……黒木さん頼みか……」

「黒木さん……? 山根さんではないのですね」

 昨日からずっと付きっ切りで看病しているのは山根さんの方なので、黒木さんの名前が出てきたのが少々意外だった。

「うん、実はね、黒木さんは元看護士なんだよ。親父が入院していた頃に、随分よくしてもらった人でね。もう、かれこれ十年近く前になるかもしれないな……当時、黒木さんはまだ新人だったんだが、年の割には非常にしっかりした娘さんでね」

 なんと、元看護士……。これは、得雄氏よりも危険人物かもしれない。

「お袋は、親父が死ぬまでずっと懸命に介護していたよ。元気な、矍鑠とした婆さんだった。しかし、その反動だったんだろう、親父が死んでからは急に老け込んで、体まで弱くなってしまってね。少しずつ、こっちの方も」

 得雄氏はこめかみのあたりを人差し指でトントンと叩いた。

「ちょうど、昔から働いてもらっていた使用人が、家庭の事情や年齢的なもので続けざまに辞めていった時期があってね。人員の補充を考えなければならなくなったんだが、できれば、新しく雇う使用人には、看護や介護の知識を持っている人が望ましいと考えて、黒木さんに声をかけてみたんだよ。彼女は幸い、まだ独身だしね。もちろん、報酬はそこいらの病院の看護士よりはずっと多く払っている」


 そういえば黒木さんは、葉子女史の容態を説明する際、なんとか検査……だったか、そんな難しい用語を使っていたような記憶があるが、元看護士ということならば合点がいく。仕事の手際の良さも、看護士時代に培ったものなのかもしれない。

「黒木さんには、本当によくやってもらっているよ……山根さんは、黒木さんがここに勤め始めた次の年だったかな……彼女は、専門学校を出たばかりの新米の介護福祉士だった。何人か面接をして、最終的には黒木さんの推薦で彼女を採用することになったんだ。黒木さんは、ああ見えて結構スパルタだから、山根さんも最初は大変だったみたいだけど、彼女、見かけによらず意地っ張りというか、根性のあるタイプでね。ちゃんと仕事を覚えて、一人前になったね」

 なるほど、病状の把握などは元看護士である黒木さんの役目で、日常生活の介護は山根さん、という分担になっているということか。

「親父が死んでからは、こんな山奥まで訪ねてくる人もほとんどいなくなった。黒木さんと山根さん以外の使用人は一人二人と辞めていったが、それから人員の補充はしていない。まあ、そんなわけで、今この館にいる使用人は黒木さん、山根さん、高部さんの三人だけなんだよ。こんなだだっ広い館に、お袋も含めて四人というのも、なんだか寂しい気がするけどね」

「確かに、部屋は相当空いているようですね」

「かく言う私も、少々足が遠のいたクチでね。親父に対しては、仕事の関係でお伺いをたてなければいけない事案もあったが、お袋にはそれがないからな……さっきの話の繰り返しになるけど、今回のような事もあるし、お袋には、どこか大きい病院の近くに家を用意するから、もうこの館は引き払ってそっちに引っ越してくれないかって何度も話しているんだけどね。よっぽど……」

 得雄氏はおもむろにホールの天井を見上げた。光を失った年代物のシャンデリアが、どこか寂しげに吊り下げられている。

「よっぽど、この館に思い入れがあるんだろうな」


 夕餉はこれまた和食だった。玄米ご飯にわかめの味噌汁、カレイの煮付け、豆腐、山菜のおひたし。中でもカレイの煮付けは絶品で、うちの母さんの作る煮付けより格段に旨かった。

 夕飯の後、部屋に戻った俺は何もすることがなく、月末なのでスマホは速度制限がかかっている。こんなことなら、俺も何か本でも持って来ればよかった。講義の資料として買ったまま積まれている本が、部屋に何冊かあったはずだ。本を開いて活字を目にするとすぐに眠くなってしまう体質のため、なかなか読み進められないのである。昔から、学校や図書館ではそれなりに読書に集中できるのだが、家ではさっぱりだめだ。そのため、趣味として読書をするという習慣がない。だから、小説もあまり読んだことがない。


 外は既に真っ暗。雨はまだ止む気配すらない。

 今夜も、真紀はやってくるだろうか……。

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