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二日目 朝

 翌朝目覚めると、既に真紀の姿はなかった。

 いつの間に出ていったのだろう……全く気付かなかった。一声かけてくれればいいのに、とは思ったが、あいつがそんなことをするわけがない。何気なく窓の外を見ると、雨はまだしとしとと降り続いていた。

 スマホで時刻を確認する。午前八時過ぎ……確か、朝食は八時半だと聞かされたような気がする。あまりのんびりしてもいられない。俺は、いそいそと身支度を始めた。


 歯を磨き、顔を洗い、服を着替え終えた頃、計ったようにコンコン、とノックの音がした。扉には鍵がかかっていない。昨日の夜、もしくは早朝に真紀がここから出ていって、閉めるはずの俺が爆睡していたのだから当然である。内装がビジネスホテル風だから錯覚してしまうのだが、この部屋の扉はオートロックではなかった。


「開いてますよ」

 扉はすぐに開かれた。そこにいたのはもちろん、

「瞬、おはよう」

屈託のない笑顔の真紀だった。既にメイクを終えている、いつもの真紀だ。昨日とはまた別の白いワンピースを着ている。昨晩のことは、彼女も知っているのだろうか?

「おはよう、真紀。昨日はよく眠れた?」

 それとなく探りを入れてみる。ちなみに俺は、真紀に中途覚醒を強いられた割には寝起きがすっきりとしていた。ベッドも枕も適度に柔らかく、シーツも糊が利いていて、とても寝心地がよかったからかもしれない。

「うん、ぐっすり。疲れてたからなあ、昨日……」

 そう答えた彼女の表情は、白を切っているようには全く見えなかった。昨晩、もう一人の真紀が俺の部屋を訪れたことは露ほども知らないようだ。彼女の場合、寝る前にメイクを落とした瞬間から人格が切り替わっているはずで、つまりそれ以降、今朝メイクをするまでの記憶は全くない、ということなのだろう。もっとも、彼女の中で二つの人格がどう住み分けているのか、まだあまり踏み込んだ話をしたことがないため、この点については推測の域を出ない。


 真紀と一緒に食堂に行くと、そこには既に得雄氏とその息子――たしか、蒼太といったか――が、並んで席についていた。軽く挨拶を交わして、俺達もその向かいに並んで座る。

「ほら、蒼太、真紀ちゃん達にご挨拶なさい」

 得雄氏が蒼太くんの背中を軽く叩いて促した。蒼太少年はずっと目を伏せていたが、時折ちらちらとこちらの様子を伺っている。特に真紀が気になるようだ。まあ、絶世の美女を目の前にした思春期真っ盛りの内気な少年としては、至極一般的な反応ではないだろうか。自分にもそんな時期があったので、気持ちはよくわかる。あの頃はよかった……と、幼馴染の小雨にはよく言われるのだが、自分ではあまりそう思ったことはない。

 それにしても、真紀といい得雄氏といい、この家は美形の血筋なのだろうか。蒼太くんも細面でなかなかの美少年だ。まごついている蒼太少年に、真紀の方から声を掛ける。

「はじめまして、西野園真紀といいます。ご挨拶が遅れて、申し訳ありません」

 すると、ようやく決心がついたのか、蒼太くんもおずおずと話し始めた。

「は、はじめまして……おはようございます……ぼ、僕は蒼太と言います」


 上流階級の家では年下の親戚にも敬語で接しなければならないのか……と、少からずカルチャーショックを受けた(だが、この点について後日真紀に尋ねてみると、彼女の答えはこうだった。『親戚といっても、初対面だし……それに、ああいう人見知りな子は、いきなり馴れ馴れしくされると却って引いてしまうものよ』)。うちの近所のおっさん達にかかれば、『おい小僧』なんてどつきまわされそうな、大人しい少年だ。


 朝食の献立は意外にも、質素で一般的な和食だった。ごはんに味噌汁、鮭の切り身、豆腐、海苔、漬物と野菜のお浸し、そして数種類の野菜の胡麻和え。味噌汁を一口啜った得雄氏が言う。

「いやあ、昨日の晩飯が割とこってりしたものだったから、こういう健康的な朝食はありがたいね」

「この朝食は、どなたが作られたのですか?」

 この質問はもちろん真紀だ。テーブルを囲んでいるのは四人なのに、そのうち半分はROM、つまりRead Only Memberとなっている。

「今日は、黒木さんじゃないかな? 黒木さんが料理をする時は和食で、山根さんが料理をする時は洋食なんだそうだよ。二人とも、なかなか上手でね。そうだそうだ、真紀ちゃん、昨日のこと杏子に連絡してなかったんだって? 寝る前に携帯を見たら、杏子からメールが届いていたよ、真紀はそっちに行っているかって」

「あっ……」

 口を押さえて、すっかり失念していたという様子の真紀。

「申し訳ありません、伯父様……ずっと電源を切っていたものですから。……それで、お母さまには何と……?」

「『真紀ちゃんはここまで一人で来たよ、随分大人になったじゃないか』……って、そう返しておいたよ。それでよかったかな?」

 得雄氏の言葉を聞いて、真紀はほっと胸を撫で下ろした。

「ああ……ありがとうございます。もう、何とお礼を申し上げたらいいか……」


 得雄氏と真紀の会話を聞きながら、俺と蒼太くんは黙々と朝食を食べ進めていた。たしかに健康的で美味しいのだが、個人的にはちょっと薄味すぎるように感じる。


 半分ほど食べ終えた頃、黒木さんがいそいそと食堂に入ってきた。何やらただ事ではなさそうな表情だ。もしや、葉子女史の身に何か……という不安が脳裏をよぎる。

「おお、黒木さん。今、ちょうど君の話をしていたところだよ」

「それは……恐縮です。得雄様、実は……」

 黒木さんが得雄氏に何か耳打ちをしている。なにか事件でもあったのか、得雄氏の目がみるみるうちに大きく見開かれていった。

「なに……土砂崩れ?」

「はい……麓の道路が土砂に埋まってしまい、通行できなくなっていると、先程近隣の交番から連絡を受けまして」

「なんと! ……道は一本しかなかったはずだね?」

「左様でございます……今、高部を確認に向かわせるところです」

「何とも間の悪い……いや、現場に近付くのは危険だ、高部さんを呼び戻すように。その土砂崩れは、何時頃に起きたものなのか、わかっているのかね? 昨夜の招待客や、西原さん達は巻き込まれなかったか?」

「はい、おそらく、土砂崩れは昨夜の未明に起こったものではないかと。西原様とは、既に連絡がついております。西原様より先に帰られたお客様については、まだ確認はできておりませんが、巻き込まれた心配はないものと思われます」

 得雄氏は大きくため息をついた。二人の会話を要約すると、土砂崩れで一本しかない道路が塞がったため、俺達はこの洋館に閉じ込められた、ということのようだ。しかし、参加者に被害が及ぶという最悪の事態は免れたらしい。

「そうか……不幸中の幸いというやつだな。復旧には時間がかかるのかね?」

「まだ詳しいことはわかりませんが、雨もまだ止む気配がないようですので……数日はかかるのではないかと」

「いやあ、参ったね……」

 得雄氏は、髪をかき上げた手でそのまま頭を抱えた。

「食糧等は備蓄してありますので、数日程度ならば問題はありません。必要があれば、駐車場でヘリの離着陸も可能ですが……」

「ヘリか……ううむ。私はどうもあれが苦手でね……。真紀ちゃん達はどうだい? 急いで帰らなければならない用事はある?」

「いえ、大学の講義ぐらいしかありませんし、数日ぐらい休んでも特に問題はありませんわ……ね、瞬」

 彼女がこうして同意を求めるとき、大抵の場合、俺に選択権はない。まあ、確かに大学の講義なら多少休んでもどうにかなるし、家庭教師のバイトは事情を説明してキャンセルすればいい。問題があるとすれば、今の状況を家にどう説明するかということである。一応、家族には短期のバイトと言ってある(実際そう聞かされていたのだから仕方がない)のだが、この状況をどう言えばいいだろう……しかし、今それを考える余裕はなさそうだ。

「ええ、僕も、これといって大切な用事はありませんね」

「そうか。まあ、急用ができたら遠慮なく言ってくれたまえ、すぐにヘリを呼ぶからね。……いやあ、それにしても、大変なことになった。こんな事なら、パソコンを持ってくるんだったな……」


 得雄氏は急いで残りの朝食をかき込み、関係先に連絡するため食堂を出ていった。

「大変そうね、伯父様……」

「うん……俺も、家に連絡しとかないとな。真紀は、いいのか? 連絡しなくても」

 真紀は苦笑を浮かべた。

「ううん……今連絡したらきっと、こっぴどく叱られちゃうよ。もう少しほとぼりが冷めてからにする……あ、そうそう」

 彼女は再び社会的微笑に戻って、蒼太くんに話し掛ける。

「蒼太さんは、学校のご都合はよろしいんですか?」

「……ってないんです」

 彼は、ぼそぼそと聞き取りづらい声で呟いた。えっ? と真紀が聞き返すと、

「学校、行ってないんです」

 気まずそうに言い残して席を立ち、食べかけの朝食を残したまま、足早に食堂を出ていった。


「あら……聞いちゃいけなかったかしら」

「話の流れは自然だったよ。まあ、そんなこともあるって」


 誰にだって聞かれたくないことの一つや二つはあるはずだし、地雷はどこに埋まっているかわからない。それを察してやれるほど、俺達はまだ大人じゃないはずだ。これは単なる言い訳だろうか? しかし、こういう適当な諦めのテクニックが、俺はもうそこまで若くもないということを端的に示しているのかもしれない。


 一応、俺はまだ未成年なんだけど。

朝食のメニューに焼き魚を加えるかで結構悩みました。

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