タキオンの孤独 23
「うーむむ……困った」
そのボヤキは誰の耳にも入らない。ルドラカンドを囲う巨大な壁を一歩外に出れば、しばらく荒野が広がっている。昼間ならいざ知らず、こんな時間に壁から出る人間はまず居ない。もっとも、たとえ人とすれ違ったとしても聞き取ることはできないだろう。彼女は今、女神像の見た目をとる戦車なる魔法兵器の腕に抱かれ、とてつもないスピードで地面を疾走している。顔を強張らせるほどの風と一緒に声も後ろへ飛んで行ってしまう。
メシアが戦車の肩越しに背後を見やる。
(うわあ……追ってきてるよ)
はるか上空、闇より黒い翼を広げるドラゴンが付かず離れず追いかけてきている。完全に標的にされたようだ。
武器を渡されたからといって、戦おうとは思えない。かといって、呆けていたらやられそうだ――そこで、メシアは逃げることを選んだ。ルドラカンドの門を出て、永遠と走り続けた。しかし、空を飛ぶことができるドラゴンの足は速く、一向に振りきれないでいた。
(コイドやアーネちゃんはともかくバスウッドくんのことが気になるし――よし)
メシアは覚悟を決めるように頷くと、握りしめていた銀の懐中時計を顔の前に持ってきた。
「えっと、あのね、お願いがあるんだけど――もう一台戦車を呼び出して後ろのドラゴンを攻撃してほしいんだ。でも、絶対にまわりを巻き込まないように、それから、羽だけを攻撃してくれればいいんだけど――」
時計に口を近づけて恐る恐る指令を出す――すると、どこからともなく声が聞こえた。
『命令に従うことは可能です。しかし、推奨はできません』
だれ? ――メシアは一瞬、自分を抱える戦車が喋ったのかと思い、女神の顔を見るが、しかし、戦車が喋ったのだとして、こんな風の中で聞こえるはずがない――ということに思い至る。
「これが喋ったの――?」
手の中の懐中時計に視線を落とす。すると、再び声が聞こえた。
『正確には少し違いますが、今はその解釈で構いません。それより、指令の修正を提案します。
戦車の持つ遠距離攻撃は、熱光線によるものです。高い精度と破壊力を誇りますが、それはあくまで物理攻撃でしかありません』
メシアは面食らいつつ、話の内容を必死で聞いた。
「つまり、あのドラゴンは、物理的に存在しないから普通の攻撃は効かないってこと?」
『その通りです、マスター。あのドラゴンの体は全て魔力でできています。攻撃を加えたところで貫通するだけです。
追跡を止めたいのであれば、ドラゴンの背に乗る術者自身を狙うのがもっとも効果的です』
「ええ、それはちょっと……」
彼女は戦車の手から放たれる光線の威力を知っている。とてもじゃないが生身の人間に向ける気にはなれなかった。違う手段を考えなければならない――と、考え始めた矢先、違和感を覚える。
「ねえねえ、ドラゴンが物理的に存在しないならさ、なんでおじさんは背中に乗ることができるのかな」
*
「僕の心情としては、守りたいなら隠すより庇った方がより確実だと思うんだ――」
リードはおもむろに机の引き出しから手のひらサイズの木箱を取り出し、無造作に机に置いた。それこそバスウッドの求める“箱”である。略奪者の眼の前に目当ての物を晒したことになる。
「君に渡す気はない。欲しいなら力ずくで取りたまえ。もちろん、僕も力ずくで庇うがね」
「ほう、面白い趣向ですな」
バスウッドは一度リードの顔を見てから箱に視線を向ける。そして、躊躇なく手を伸ばした。しかし、その手が箱に触れることはなかった。
「……?」
入口付近に立っていたローズウッドの視線が動く。
机に座っていたバスウッドが、一瞬で部屋の外、廊下に移動した。大した距離ではないが、吹き飛ばされたわけでも、逆に机が移動したわけでもないようだった。箱を掴もうとした手が所在なさげに空中を掴んでいる。
軽薄な笑いを浮かべならバスウッドは手を引っ込める。
そして、無言で歩きだす――わずか数歩、箱が置かれた机に到達。再び手を伸ばす。が、またしても廊下に瞬間移動してしまう。
「厄介ですねえ――ローズ、君は避難していなさい。少し時間がかかるかもしれない」
ローズウッドは無言で部屋を出ていく。足音が聞こえなくなるのを待ってからバスウッドは喋りだす。
「なるほど、それで“不動の騎士”なのですね。実に見事な転移魔法だ。何の動きもなく発動させたということは、陣は体に刻まれているのでしょう。書式の補正を使わずここまで正確な座標計算と無駄のない質量演算――とてつもない才覚です。世界中探してもここまで実践的な転移魔法を使える人間は他に居ないでしょう」
リードは頬杖をついて無表情に佇んでいる。
「これだけは昔から得意なんだ。ほかの魔法はロクに使えんがね」
「しかし、これでは時間稼ぎにしかなりませんよ。私の仲間が駆けつけてくれば均衡が崩れてしまう。それでもいいんですか」
「ああ、構わんよ。君と戦いたがっている男が居る。僕の役目は最初から時間稼ぎにすぎない」




