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タキオンの孤独 22


「――バスウッドはかつて人を殺した。それは絶対に許されないことだし、俺だって軽蔑してる……でも、彼は後悔していた。どうしてあんなことしてしまたんだって。もちろん、後悔したからって罪は変わらないし、許されない。それは分かってる――分かってるけど――だけど、過去を清算しようと努力したのも事実だ。その証明がローズウッドなんだ」


 いつの間にか胸が苦しくなっている。そうか……今まで意識してこなかったけど、俺はこの話について考えることが辛かったんだ。だからスターウェイの言うとおり“逃避”してしまったんだ。そんなことが分かったところで、どうなるということもないけど。

 スターウェイはずっとブラインドの下りた窓を見ている。外が昼なのか夜なのか、町なのか森なのか、それすら分からないというのに、どうしてそんなに楽しそうなんだろう。


「なるほどね。それは気が重いわけだ。人を殺してしまった男、その罪を清算するためにさらに罪を重ねようとしている――というより、現在進行形で重ねている。

 そして、君は男を見逃すどころか手を貸している。まあ、殺人を悔いている人間なのだから酷いことにはならないと考えたのだろうが、気分は良くないだろうな。

 それで、こんな空間が出来上がったという訳か」


 カウンターの向こうは影になっていてよく見えないが、いつの間にかそっちの方から薄く音楽が流れてきている。なんとかかんとかのカノンとかいうやつだ。別に鬱陶しくはないけど、店の雰囲気には合っていない。


「お前はこのところずっと悩んでいたな。あのアイスクリーム屋のやろうとしていることは善なのか悪なのか――そもそも、自分にとっての善悪とはどんなんな基準で決まっているのか、善か悪かの判断がついたとして、はたして自分はそのどちらかに従事する気概があるのか――ったく、らしくない。小難しいことをウジウジとよお」

「一番近くで見ているラプラス君は、今の小井戸くんがどういう気持ちでどういう立場に立ったと感じているんだい?」


 ついに、魔法人格と死人が会話を始めてしまった。窓の方を見てもつまらないし、音楽に耳をすませる気にもなれない。好きにしてくれ――テーブルに視線を落とす。


「そりゃあ、簡単だ。意外にもはっきりしている。今のそいつは完全にアイスクリーム屋の共犯者だ。その理由も簡単――ヤツの奥さんの魂を封じ込めたっつう人形は、いかにも倖薄そうで、相当な美人だ――俺は覚えてるぜ、マーケットで初めて会ったとき、そいつは人形に見とれていた。そのあと、二人っきりで事情を聴いたとき、心の底から同情していた」

「要するに女の子か。それも人妻で生身の人間ですらない……小井戸くんは意外と業が深いね」

「ど、どうしてそんな話になるんだ!」


 何かを成し遂げようとして足掻く人間が居る。それを手伝うのは、きっといいことだ。それは他人に迷惑をかけることかもしれない。でも、取り返しがつかないほどじゃない。それなら、なるべく丸く収まるように俺がこの力を使って上手くやろうと思ったんだ。

 あの日、バスウッドの店でそう決めた――決めたはずなのに……。


「ところで、小井戸くん。コイツはなんだい? どう使うんだ」

「――それは、運勢を占う機械です。コインを入れて、自分の星座の絵にメーターを合わせてレバーを引けば結果の書かれた紙が出てきます」

「ほう――」


 気になっていたのか、スターウェイは唐突に星座占い機をいじり始めた。いろいろな角度からしげしげと観察して、ようやくコイン投入口を発見、どこから取り出したのか百円玉を投入した。


「僕の世界には星座という概念がなかった。君の星座はなんだい」

「――おうし座だけど」


「なるほど」と、おうし座のイラストにメーターを合わせてレバーを引いてしまった。それじゃ俺の運勢になってしまう――まあ、単純な機会だからあまり関係ないか。

 スターウェイは機械から飛び出してきた折りたたまれた紙を解いてゆく。随分と楽しそうだ。

 そして、開ききった紙を眺めて「うむ、なるほどね」と頷いた。


「なんと書いてあるんです?」


 スターウェイは答えない。一瞬俺の顔を見て眼を細めて微笑んでから、紙をテーブルに伏せて、どういう訳か突然窓のブラインドをひと思いに上げてしまった。


「――眩しっ」


 目に飛び込んできたあまりの光量で一瞬視界がホワイトアウトする。まったく……何をするんだ。文句を言ってやろうとして、しかし、思いとどまる。

 窓の外の景色が目に入った。そこはなんだか懐かしい街の中だった。テナントビル、電柱と電線、アスファルト、交差点、信号。その全てがオレンジ色に染まっていた。ビルの向こう、先端だけ僅かに見える山の影に、今まさに太陽が沈もうとしている。

 久しぶりに見たあの世界の景色――目を奪われていると、


「結局どんな立場に居ようとも、どうにもならないことってのはあるものさ。魔法王として生きていた僕が言うんだ、信じてくれていい」


 窓の外に人の姿はない。だけど、不思議と寂しさや怖さは感じなかった。さもあらん。これはこれで成立している。そんな感覚。


「人間ってのは弱い生き物だ。しょっちゅう悩むし、気づけば立ち止っている。でも、なにをどうしたって、いつか全ては大きな流れに運ばれ、否応なく彼方へ行ってしまう。それは不可逆であり、また、不可避でもある。

 そのことを覚えていてほしい。年寄りの戯言だ――」


 まるでブラインドが塞き止めていたかのように、いつの間にかカノンの音量が上がっている。柔らかくて耳障りな弦楽器の高音が耳にかかる。


「俺はいつだってお前の中でお前を眺めてる――聞かれりゃ何でも答えるが、聞きたくねーなら一言も喋らねえ。ただそこに居る。それが俺だ」


 まるで映画のワンシーンのようだった。そう考えると、この喫茶店は映画映えするように作られたと言えなくもないほどハマっている。

 スターウェイも絵になっている。夕日の中で、何かこの世に存在しないものでも見ているかのように、神秘的で魅了的に佇んでいる。

 ラプラスは、相変わらず姿が見えないが、それでも何となく馴染んでいるように感じた。不可視であることで役目を全うしているというか、声以上の存在感は逆にくどいというか、とにかくピッタリとハマっている。

 そして、俺は――。


「あのさ、そろそろ、俺、帰るよ」


 その瞬間、世界が暗転し、俺にだけスポットライトが当たった。窓の外は虚空に変わり、カノンも止まっていた。

 ソロっと立ち上がり、店の出口へ向かう。


「あ――」


 そういえば、と思い立ち、窓の外を眺めた姿勢で硬直したスターウェイの前に置かれた占いの紙を捲ってみる。

 そして、思わず笑ってしまう。

 そこには何も書かれていないのだった。


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