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タキオンの孤独 21



 ここが現実世界で無いことはすぐに分かった。薄暗く、小汚く、懐かしく、格式高い――喫茶店好きである俺が“もし将来自分が開くなら”というテーマで妄想し、高め続けたイメージそのままの喫茶店。俺はブラインドの下がった窓際のボックス席に座っていた。テーブルの隅にはタイプライターで作ったチープなメニュー表と百円入れて使う星座占いの機械が置かれている。


「すみません、ブレンド一つ」


 もし俺が死んで墓ができたとして、そこに一言入れてもらえるなら、迷わず「ブレンド一つ」と入れてもらいたい。なんてカッコいいんだ。

 コーヒーを待つ間、遊んでみよう。子供の頃は母親に許してもらえず、結局一度も使ったことがない。

 しかし、円形の白い占い販売機に手を伸ばそうとしたところで、カウンターの向こうから声が聞こえた。


「そんなことしてる場合か。恍けてるんじゃねえ」


……まったく無粋な。その聞きなれた声からは上品な白髭もスリムなベストも思い浮かばない。せめて感じを出してほしいんだけど。


「分かってるよ、ラプラス――でもさ、せっかくこんな素敵な喫茶店に居るんだから、少しくらいいいじゃないか」


 魔法人格に対して、なにを言い訳してるんだか。手を引っ込めつつ急に侘しくなる。


「君がここに送られたのは必然だが、しかし、この世界の形や、僕とラプラス君の配役は君の今の心理状態を参考にしているらしい――」


 その声の主は、いつの間にかテーブルの向いに座っていた。幼げで中世的な顔立ち、およそ日常生活になじまない長すぎる黒髪。思わずハッとするような物憂げな表情で途切れ途切れ見える外の景色を眺めている。

 かつて世界の半分を手に入れた男は、学生時代を懐かしむような軽快な口調で続けた。


「今君が望む世界は、君にとって居心地の良い世界だ。それは、現実を辛いと感じているということでもある。ようするに逃避だね。

 そして、僕やラプラス君がこの世界に存在できるということは、僕らのような存在を必要としているということだ。僕らは、そうだな――幽霊みたいなものかな。透明で不確かで、確かに存在しているけど、触れはしない。居ても居なくても何も変わらない、そんな存在。

 つまるところ――小井戸くんは現在、酷く疲れている」


 魔法王が俺に流し眼をよこした。意地悪く笑って、俺をからかっているような雰囲気だ。

 確かに俺は疲れているのかもしれない……。逃げたがっているのも本当だと思う。でも、そう明け透けに言わなくてもいいじゃないか。


「集合したエネルギーについてきたオマケみたいな俺や、とっくの昔に死んだスターウェイに甘えるとは、お前も焼きが回ったな」


 だからさあ……。カウンターの隅にはとっちらかったチョイスの置物が並んでいる。木彫りの猫、手がいっぱいついたゾウの神様の像、無駄に曲線だらけのレトロカーの模型――全て俺の妄想通りだ。

 逃避先でさらに逃避を始めた俺の横っ面に、スターウェイの半分笑いをかみ殺した、優しいおねーさんのような声が衝突する。


「まあ、僕もラプラス君の言うことにかねがね同意だが、しかし、いつまでもここに居ることはできない。何かしらの変化を僕は提案するべきだろう。

 ということで、一つ現実を振り返ってみないか? といって、これからどうするかすぐに決めろと言ってるわけじゃない――ただ、振り返ろうというだけさ。一見無駄に思えるかもしれないが、不思議と見えてくることもあると思うよ」


 ううぅ……その優しさが逆に痛い。なにが「振り返ってみないか?」だ。突っぱねてやりたい。

 でも、俺は三十年以上経験を積んで、大人になってしまった。甘えきるだけの強さはすでにないようだった。


「……わかったよ」


 俺が渋々言うと、スターウェイは頬杖をついてニッコリ笑った。カウンターの方から「ヘッ――」と小馬鹿にしたような鼻息が聞こえた。



 *



「私は後悔しているのです……何故、あの時私は嫉妬してしまったのでしょう。何故、私を慕ってくれた部下を、愛をささげてくれた妻を――殺してしまったのでしょう。たった一つ、私に作れなかった物を作ったからといって、それまで共に過ごした時間がウソになってしまう訳はないのに。ベッドの上で私にくれたあの笑顔が溶解する訳じゃないのに――ああ、本当に私は愚かだった、あの時私は若かった……」


 大仰な身振り手振りを交えて演劇のように語るバスウッド。それを聞いているのかいないのか、怪しいほど無反応なリード。出来の悪いコントのようなシュールが自治会室に満ちていた。


「君は、自分にできないことがあってはならないと思っている節がある」

「ほう、私のことを調べましたね」

「今の話を信じるのであれば、君は妻や部下を殺してしまったことを後悔した。そして、皆を蘇らそうとした――突拍子の無い発想だが、君なら考えかねないし、あるいは出来てしまうんじゃないか、と思えてしまうほど優秀な人間だ」

「それで?」

「死人を蘇らせることはできない。いや、出来なかった。病的なまでに無能を嫌う君は発狂する――何が何でも、どんな方法を用いてでも死者を蘇らせようと考えることだろう」


 リードは視線で問う。バスウッドは相変わらずおどけきっている。


「詳しいことは言えませんがね。私の名誉のため言わせてもらうと、半分は蘇生に成功したと言えるんです。ほら、そこに居る可愛いの――あれが私の妻ですよ。正確には妻の魂が宿った人形ですがね。」


 ドアの近くで伏し目がちに立っているローズウッドを指差した。


「体を再構築し、完全に蘇生するには貴方が所持している“箱”が必要になるわけですよ」


 リードはそちらを見もせずに「魂ねえ――」と呟く。バスウッドの顔色が曇った。


「何か言いたげですが」

「君が論理的でないことを言うもんでね。ジョークかと思って笑いそうになったよ」


 彼には表情がないので酷く分かりにくいが、その言葉はまさしく中傷の響きが込められていた。

 

「さて、君はどこまで行っても本性を現さないらしい。とっとと始めよう」


 語るべきことはすでにない――と言わんばかりの、突き放した口調でリードは言った。


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