タキオンの孤独 20
アーネット=ルガーは音を絶った、匂いを絶った、味を絶った――彼女の肉体は敵を倒すことのみに特化されていた。
並みの筋力では持ち上げることすらできないハニータルトを張りぼてかのように振り回し、眼で追えないほどの速さで動きまわった。
彼女が地面を蹴る。硬化泥で固められた石畳が浮き上がる。弾丸のような速さの突進の途中、身じろぐような仕草で肩に担いだハニータルトを横に凪ぐ。
その必殺不可避の一撃をロカ=エルサンドラールは真上に飛ぶことで回避した。
神業的な回避を視界の隅でとらえたアーネットは再び地面を蹴って折り返す。今度は地面すれすれの低空飛行での突進、狙うは着地寸前の制動が聞かないタイミング――。
しかし、彼女の斬撃はまたしても空を切る。――カンッと軽い音とともにロカの剣が地面を突いた。鋭く素早い突きによりほんの僅か上への推力を得て滞空時間を延ばすことで攻撃をやり過ごしたのだった。
武器を構えなおす二人の視線が交錯する。焦りと苛立ちを隠した冷たい目。
圧倒的な力とスピード。地力で圧倒するアーネット。
父から受け継いだ王国一の技術と経験。戦士としてのポテンシャルはロカの方が何枚も上手であった。
二人はまったく方向性の違う強さを持っていたが、その力は拮抗していた。息つく暇も与えず攻撃を続けるアーネット。紙一重で、しかし、確実に回避するが、逆襲の機会を見いだせないロカ。戦いは消耗戦にもつれ込むと思われた。
「遅れてすまない、ロカさん」
二人の少女が同時に声の方に視線を向ける。通りをこちらにやってくる金髪の男はいかにも真面目そうであり、また、不思議と呆けたような印象もあった。
彼の登場による少女たちの反応はどちらも驚きであった。
「コイド様は……?」
アーネットの問いにエイモスはただ事実を告げた。
「あいつに関わられると面倒だ。だから、しばらく動けないようにしておいた」
まだ言い終わらないうちに、アーネットは再び五感を二つに絞り、攻撃を仕掛けた。超高速の突進――そして、容赦なくエイモスにハニータルトを振りおろす。
(――――!?)
その時、彼女は違和感を感じていた。ロカが追撃に来ない――何故エイモスを守ろうとしないのか。そして、さらに不気味なのは動揺も恐怖も感じてないらしいエイモスの姿だった。
「なっ――」
アーネットはただ事実のみを認識していた。私は武器を振りおろした。しかし、それは敵に命中しなかった。肉を切る感触を覚悟した直前、視界からエイモスが消えた。漠然とした事実の断片――それらを繋ぎ合せる工程に入る、その寸前――。
「悪いね――」
アーネットの体は完全に停止した。石像に変わってしまったかのように、風邪で髪がなびくことすらない。
先ほどまでの緊迫した戦いから打って変わって、なんともあっけない幕引きであった。
ロカは鋭い視線でそれを見守っていた。彼女の動体視力を持ってしても、今何が起こったのか窺い知ることは出来なかった。アーネットによって体を両断される寸前、エイモスは何の動きもなく、さながら瞬間移動のような不自然さで後ろに移動した。そして、アーネットが振り返る寸前、エイモスの右手が僅かに動いた。黒板に出鱈目な模様を描くような仕草だった。直後、戦いは終わった。
ここに来られたということは、エイモスはコイド=コウヘイを退けたことになる。今目の前で起きた不可解な現象もそうだが、コイドの強さを知るロカにとっては、その事実からしてまるで信じられないのだ。
はたして、彼は何者になってしまったのか――ロカは底知れない不快感を感じていた。
*
「これで学校ってんだから驚きだ――なあ、ローズ」
天井で微笑む天使の絵を仰ぎ見ながら隣を歩く人形のような少女に問いかける。ローズウッドは伏し目がちに、
「コイドたちを助けにいかないのか」
幼く、低い声で問い返す。
しかし、バスウッドは言葉を返さず、彼女もそれ以上言葉を重ねようとしなかった。
人気のない廊下をしばらく行くと、ひときわ大きな扉に辿り着く。
バスウッドは躊躇なく扉を押した。
「やあ、こんばんは。自治会室へようこそ」
広い部屋の中心、幅の広いデスクの向こうで頬杖をつく小柄な少年は眠そうな目で、何の抑揚もなく言った。
バスウッドはフフン――と鼻を鳴らし、顔中に笑いを浮かべた。
「突然の訪問をお許しください“不動の騎士”」
相変わらず慇懃な態度でコートの裾を摘んで礼をして見せる。
「それで、何か御用かね。自治会は生徒のためにあるのだが、この際細かいことには目を瞑ろう。相談や要望があるなら言ってくれたまえ」
それは、普段彼が一般の生徒に対応する態度とまるで変わらない、気だるげで事務的なものだった。
バスウッドは我が物顔で自治会室を闊歩し、会長机に尻を乗せ体を捻るようにして近くでリードの顔を覗き込んだ。
「お人が悪いですなあ。全て知っているのでしょう」
リードは体制を変えないまま、黒眼だけバスウッドに向けた。
「僕は会長として、それなりの時間を対話に費やしてきた。そこで分かったのだがね――人間というやつは、時として心にもないことを願い、望むものなのさ。だから、君の口から直に訊きたいのだよ」
「なるほど――」
二人はしばらくの間見つめあった――心の深淵を覗きこむような熱心な様子だった。




