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タキオンの孤独 19



 小井戸の魔法は相手を傷つけることなく無効化することができる。だから、相手が親友であっても使うことを躊躇しなかった。戦いから遠ざける意味で、むしろ使うべきだとも思った。

 しかし、彼の攻撃はことごとく外れた。指先がほんの少し触れるだけでいいはずなのに、どうしてもそれができない。ジャネーとカルテジアンまで持ち出して、体の限界をはるかに超えたスピードで動いても触れることができないのだ。

 

『どうしてだろう……エイモスくんが何かしてるのかな』

『おそらくそうだろうな。しかし、その“何”がまるで分からねえ。まあ、この際どーでもいいんじゃねーか? お前の目的はバスウッドを助けることだろ。この得体のしれない“何か”になっちまったお友達を足止めできればそれがベストだろ』

『そう、だね――』


 エイモスは緩く自然体で立っていた。その顔に焦りや闘志はない。ただひたすらにフラットであり、一切のブレがない。


『魔法王とはこんなものか――高々人間の限界を超えた程度ではないか。取るに足らん』

『しかし、こちらから手を出すこともできんだろ』

『バカ者。それはお前のやる気の問題だ。避けるばかりでは勝てるはず無かろう。相克者であるお前の使命はヤツを抹殺すること――こんなところで足踏みしている暇はない』

『偉そうな猫だ――』


 エイモスはやれやれと頭を振ってから、おもむろに右手で空中に線を引く。それは複雑に入り組んだ軌道だった。なにか意味があるようには見えない。しかし――


「悪いな、コイド」


 ゆっくりと歩き出したエイモス。コイドは両手にテーブルナイフを持ち直立したまま何の反応も見せない。立ちふさがるどころか玄関の方に向かうエイモスを眼で追うこともなかった。


――それは、まるで彼だけ時間が止まってしまったかのように……。



 *



 背後では地を揺らすような轟音が泥き始めた。始まった――メシアは歩調を早める。アーネットとロカ、どちらが勝とうとも離れるに越したことはない。バスウッドとローズウッドの二人を無事に逃がすことが彼女の目的だ。

 しかし、やがて彼女は足を止める。ルドラカンド唯一の出入り口である巨大な門の前だった。

 門の周囲を円形に囲う広場の向こうに鼠色のスーツを着た白髪の老人が立っている。ただ一点、ただ一人だけを見つめ、上品な口調で言った。


「久しぶりですな――カーペンター」


 今までメシアの後ろを黙って歩いていたバスウッドが前に出る。


「やあ、やあ、これはこれは――お久しぶりですピートさん。こんなところでお会いできるとは偶然ですねえ」


 相変わらずの慇懃無礼さでもって笑いかける。

 それを鼻で笑って一蹴すると、ピートは右手を高く上げた。すると、彼の頭上から塗りつぶしたような黒色の球体が出現。それが地面に落下する寸前、刺々しい体表のドラゴンの姿に変化する。

 ほう――バスウッドが感嘆の声を上げる。


「影絵ですね。いつ見ても素晴らしい――」


 その余裕に対してピートは眼光を尖らせる。


「研究室を出てから、私は常にお前を追いかけてきた。恋に焦がれる生娘のように、淡く身を切らす嫉妬――それは怨恨に昇華し、私を突き動かし続けた。何があってもお前を超えて見せる。再び世界の果てを見るために――その切望が私を生かし続けた。

 今日こそ復讐を果たさせてもらうぞ」


 それは、ピートの苦悶の日々を慮れば淡白すぎるほどあっさりとした宣言だった。しかし、それは海底を這う溶岩流のような静かな熱量故であり、壮年期にしてなお萎えることの無い復讐心には、まさしく決死の覚悟が込められていた。


「光栄です“元”世界の果てに立った魔法使い殿――」


 軽薄な微笑――バスウッドは懐からシルバーの懐中時計を取りだし、鎖の留め具を解いた。一度手に握りいれ、離し、フラフラと垂らす。


「貴方が覚悟をもって向かってくるというのなら、私も優秀な作品を持ち出すとしましょう。果たして――その影は私の兵器に一矢報いることができるでしょうか」


 彼の背後の空間が陽炎のように揺らぐ。それが収まると、そこには鈍い銀色に輝く女神像が立っていた――それも、等間隔で四体が横に並んでいる。

 ピートは鼻白んだように眼を細める。


「私をなめているのかバスウッド……そんな玩具では相手にもならんぞ」

「どうですかねえ――この子たちは優秀ですよ。特に、聡明なる(あるじ)を得たときに最高のパフォーマンスを発揮する。ということで――」


 どうぞ――バスウッドは子供にキャンディーを渡すような体でメシアの手に懐中時計を握らせた。戸惑うメシアに笑顔で語って聞かせる。


「覚えていますか。三百体の戦車を待機させてある――私はそう言いました。あれは本当なんですよ。この時計は戦車たちの指揮機構になっています。これを持っていれば、戦車を自由に操ることができ、物理迷彩魔法で出現、消滅命令を出すことも可能です」

「えっと――」


 手の中の時計と魔道技師の顔を交互に見やる少女に、バスウッドは笑顔で言った。


「貴方こそまさに“聡明なる(あるじ)”に相応しい――あの時代遅れの影絵召喚師に時代の残酷さを教えてやってくれ、ね」


 冗談めかしたウインク。メシアが「あ、え――?」と口をパクパクさせている間に、バスウッドはローズウッドの手をとり、次の瞬間、ステージの幕が落ちるようなエフェクトを残して、姿を消した。何かしらの魔法を使ったようだった。


「ああ、困ったなあ……」


 眉を八の字にしてメシアがピートの方に視線を向ける。

(うわあ……)

 壮年の魔法使いは、加齢による皺とは明らかに違う、もはや亀裂に近い深い溝を顔じゅうに浮かべメシアを睨んでいた。背後のドラゴンが羽ばたき始めている。

 メシアは観念した――戦うしかない……。


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