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劣情を催す



「あ、起きた! おはようコイド」


 聞き覚えのある声だ。


「……メシアか?」


 天井? お日様の匂いと背中の柔らかい感触――そうか、俺ベッドに寝てるんだ。


「うっしょ……痛って!」

「ああ、すぐに動いちゃダメ。病み上がりなんだから」

「――そうなのか?」


 うまく起き上がれなかった俺をメシアが背中に手をまわして支え起こしてくれた。彼女は相変わらず元気そうだ。なんだか久しぶりに顔を見た気がする。


「お腹に穴が開いてたんだよ。まあ、傷自体はあり得ないほど早く塞がったけど、そのあと二日も寝たままだったんだから。意識戻らないし熱出すしで大変だったよ」


 メシアがわざとらしく頬を膨らませて見せる。


「ああ……それは悪かった。ありがとう、メシア」

「いえいえ、そんなそんな――私はあなたのものですから」

「はは――そんな話もあったなあ」

「アーネちゃんにもお礼言ってあげてね。私より付きっきりで看病してたんだから」

「そうだな。そうしよう――それで、アーネはどこにいるんだ?」

「ああ……」


 メシアは珍しく気まずそうに眉を八の字にした。


「あの黒いのがコイドだったんだよね? 覚えてる?」

「ああ、まあ――ぼんやりと」


 俺はあの戦いを本物のスターウェイと一緒にスクリーンで見ていた。意識が途切れると発動する魔法だと彼は言っていた。だから信じられないけど、あの黒は確かに俺なのだ。


「アーネちゃんは隠してるみたいだけど、黒くなったコイドに攻撃されたこと気にしてるみたいなんだ――」

「は?」


 俺そんなことしたの?


「あ、あいつ大丈夫なのか? まさか、どっかケガして動けないとか」

「さっき言ったでしょ。コイドの看病してたって――ルークさんが助けてくれたんだ」


 そうか、それならよかった。よくないわ……!

 

「あれはコイドの意思と関係なく攻撃するようにできていた。だから気にすることはないってルークさんは説明してくれたけど、でも……」

「アーネはどこにいる? すぐに話さなきゃ」

「裏庭にいると思うよ」


 ベッドから立ち上がると体の芯がズレてしまったかのようにフラフラした。傷は塞がったといっていたけど、結構痛む――でも、そんなこと気にしてられなかった。



 *



「あえて詳しいことは聞かない。許す気も咎める気もない――しかし、このままほったらかしというのもよくない」

「君は偉そうに喋れば喋るほど様にならないねルーク」

「横やりを入れないでくれアニス……」


 お父様の言うとおりだ。

 なぜお前が書斎に来ている。私とお父様の話だというのに、余計な人間は早く国にでも帰ればいい――とは立場上言えないけれど……。

 お父様は咳ばらいをすると話をつづけた。


「状況が複雑で分からないことも多い。だが、君がコイドくんの腹に穴を開けたということはハッキリしている。そうだね?」

「はい……」

「それはよくない。いくら”戦駆り”といえど、街の中で人を刺したら罪人になってしまう」

「ああ、アニスの言うとおりだ。そこで、ロカ――君はコイドくんに許しを請う必要がある。私の言いたいことは分かるね?」

「はい――お父様。すぐに彼のもとへ行きます」


 お父様は深く頷いて、


「いい子だロカ――それと、すまないね。厳しいことを言っているようだが、君はもっと多くの経験を積む必要があるんだ。分かってくれとは言わないが、私は君を信じている。先日教えたことを忘れずに、精進してくれ」

「はい!」


 もはや話すことはない。そんなこと私には許されない。

 お父様はこんな私に機会を与えてくださった。全力で報いることを心に誓い私は書斎をあとに――


「ロカちゃん、おじさんがいいことを教えてあげよう」

「…………」

「女が男に許しを請うとき効果的な常套句というやつだ」


 アニスがニヤニヤと不愉快な笑いを顔に張り付けて近づいてくる。


「いいかい、この言葉を使えば相手に誠意が伝わると同時に、その言葉自体が謝礼の品となりうる――」

「そんな言葉が……!」


 私は話を聞いてみることにした。



 *



 家の裏は柵で囲われたちょっとした庭になっていて、物干し竿なんかが置いてある。

 アーネットは洗濯籠の前にしゃがみこんで、ボーっとどこかを眺めていた。


「アーネ」

「コイド様――!?」


 俺が声をかけるとアーネは立ち上がってこちらに駆け寄ってきた。驚きと喜びと不安――それらが入り混じった力のない笑顔。


「アーネ、俺が寝込んでる間看病してくれたらしいね。本当にありがとう」

「い、いえそんな――当たり前のことです」

「それと――」


 膝を折り、地面に両手をつく。

 きっとこの世界には無い文化だろうが、誠意は伝わるだろう。


「悪かったアーネット! 俺は君を危険にさらしてしまった。守らなきゃいけないのに……」


 額を地面に擦り付ける。土下座というやつだ。


「こ、コイド様! そんな――謝る必要などありません。私は、あなたに殺されるなら本望です」


 アーネットがすぐ近くで膝をつく。彼女の手が肩に置かれ、俺の体を起こす。


「私はあなたに仕えるため生きてきました。ですから、どうされようと、それでいいんです。それが私の望みです」

「だから殺されてもいいってのか? そんなのいい訳ないだろ」

「いいんです! 覚悟はできています」

「じゃあなんで、そんなに悲しそうな顔してんだよ」

「……そんな顔――してません」


 とてもじゃないがそうは見えない。


「私の覚悟を疑っているのですか? 私はこんなに……こんなにコイド様のことを想っているのに」

「疑うとかそういう話じゃないだろ。誰かのために自分の命を投げ出すなんて――そんなの間違ってる! 俺はそういう話を――」


 しに来たのか? 違うだろ。

 なんでケンカみたいになってんだ。俺は謝りに来たはずなのに。


「そうですか……コイド様は、あなたのために捧げてきた私の過去を全て否定なさるのですね」

「え? いや、そんなこと言って――――!?」


 普段は鋭く感情の薄いアーネットの瞳から涙が一筋落ちた。唇が震えている。俺の肩に置かれた彼女の手に力がこもる。

 俺は唖然として濡れそぼった彼女の瞳を見つめていた。と、ついにアーネットは俯いてしまう。


「酷いです……こんなに思っているのに…………」

「あ、ああ――ええと」


 どうしよう! 泣かせてしまった。こんなときなんて言えばいいんだ? まるで言葉が出てこない。

 君を信じてる。だから俺に命を捧げてくれ――そんなこと言えるか! 絶対ダメだ。

 じゃあどうする。

 男らしく抱き寄せてキスでもしてみるか? 愛の力で涙を止める的な? 馬鹿じゃないの? そんなことで解決するならこんな状況にならないだろ。

 ああ分からん! 


「あ、ダメだよ――今いいところなんだから――ちょっと、待って!」


 姿は見えないがメシアの声だ。いいところなんだから――って、聞いてたのかよ!

 心の中でツッコミを入れていると、家の陰から速足でこちらにやってくる人影が見えた。


「君は――」


 大人っぽい引き締まった顔だち、すらっとしなやかな体。


「ロカ? なんでここに――」


 なぜか現れたロカ=エルサンドラールは俺とアーネがいるすぐ近くまで来ると、片膝をついて深々と頭を下げて、


「コイド=コウヘイ、私はあなたにとんでもないことをしてしまった。ですから、謝罪に参りました――」

「とんでもないことって――コイド何されたの?」

「いや、それは――」


 ロカを追いかけて家の陰から現れたメシアに聞かれて、俺は口ごもる。

 アーネは顔を伏せたままだ。

 

「もちろん、謝って済む問題ではありません。私には覚悟があります――なんでもしますから許してください!」

「え? なんでもって――それは」


 それは、所謂”そういう展開”に発展する伝説の前振りセリフじゃないか! 

――いやいや、そんなこと考えてる場合じゃない。まだアーネとの話は終わってない。

 

「あ! 今いやらしいこと考えたでしょ……」


 メシアが呆れた顔で俺を――いや、あれは楽しんでる顔だ。


「コイドも男の子だねぇ……」


 お前は何がしたいんだ……。


「いやらしい――? そうなんですか? コイド=コウヘイ」


 あんたは少し黙っててくれ。


「コイド様――私がすべてを捧げることは拒絶したのに、ロカさんは受け入れるんですね……」

「べ、べつに受け入れてないだろ」


 顔が見えない分、アーネの低い声が怖い。


「私には素っ気ないのに、ロカさんには劣情を催すんですね……」

「催してないって!」


 アーネはふらっと立ち上がる。はらりと横に流れた髪の隙間から見えた彼女の瞳には一切の光がなく、どこか虚空を見つめていた。


「……お、おいアーネ?」

「晩御飯の用意をしますね。ロカさんも食べますか?」

「いいのですか。では、お言葉に甘えて」

「分かりました。ではコイド様、失礼します」

「ちょっと――――」


 幽霊のような足取りでアーネは裏口から家の中に消えていった。

 ええと――


「どうしようメシア……完全に怒ってたよねアーネ」

「コイドが悪い」

「お前が言うな!」


 メシアのキラーパスが原因じゃないか。俺はいやらしいことなんて考えてない。断じてない!


「”れつじょうをもよーす”とはどういう意味ですか? 私は魔法に詳しくないのですが、呪文の類でしょうか」

「あんた、ホントなにしに来たんだよ……」


 どうしてこんなことになってしまったんだろう。

 俺はアーネに謝りたかっただけなのに……。


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