ドローエマグの魔道書 16
短い眠りから覚める。もう居ても立っても居られない。
「マローダ!」
ドアを開けるなり、大声を出す。
メイカの眠るベッドの横に座っていたマローダがビクッと肩を震わせる。
「ど、どうしたんですか?」
「えとな、あの……」
言いよどんでしまう。
いや、躊躇してる場合じゃないだろ。急げ、一刻も早くメイカを生き返らせたい。
小井戸浩平という人間は慎重に行動したがる。しかし、残念ながら大して頭の回転は速くない。なので、時として説明や順序をすっ飛ばすことがある。特に焦っているときなど顕著だ。
小井戸は真剣な表情で詰め寄り、驚いた表情のマローダの手を握る。
「……な、な?」
目を白黒させる少女――小井戸はそれに気づいているのかどうか、変な薬を飲んだ危ないやつみたいな溌剌とした顔で、
「――じっとしてて」
徐々に顔を近づけ……、
「んん……!!」
マローダの唇を奪った。
軽く触れあった二人の唇。そこにロマンチシズムや情熱は無い。あるのは戸惑いと疑問――私は何故キスをされたんだろう。唇の感触を楽しんでいる余裕はない。
驚いたことに――俺は何でキスしたんだろう。小井戸サイドも戸惑いと疑問を抱えていた。
不意に、二人の視線が交差する。唇を重ねたままである。
『は、離れるね』
『え、ええ――お願いします』
無言の意思疎通が成立。どちらともなく顔を離す。
「…………」
「…………」
当然の沈黙。当然のいたたまれなさ――。
その時、何処からともなく声が響いた。
「おいおい、そんな雑な……まあいい。クリアってことにしといてやろう」
世界が揺れる。カメラマンがくしゃみして画面が大きく揺れたような容赦ない振動。
二人はこの奇妙な揺れにそれほど驚いていない。
あの日、図書館で体験した揺れと似ている。状況が動く前触れだ――と瞬時に理解しているのだった。
*
満天の星空――宇宙空間に透明なアクリルボードを浮かべたかのように、そこには地面があった。
二つの人影、しかしその声は何処からともなく聞こえてくる。
「とりあえずゲームクリアおめでとう――と言っておこうか。私はこの世界の管理者。神の様なものだ。そして、お前たちがいる空間は二つの次元の中間点といったところだ」
神を名乗る声は驚くべきことを言った。本来普通の人間は神を意識することすらできず、高次元空間に足を踏み入れることは物理的に不可能である。
小井戸とマローダは今あり得ないほど稀有な体験をしている。が、
「小井戸様……な、なな、何てことするんですか!」
「いや、事情があって――」
「だとしても、いきなりキスするなんて非常識にもほどがあります!」
痴話喧嘩を始めてしまった。
「おい、お前ら私の話を聞きなさい!」
神が苛立たしげに言う。
二人が一瞬黙る。
そして、同時に口を開く。
「ちょっと待っててくれ!」
「後にしてください!」
神以上に苛立った声が高次元空間に響き渡る。
その後、十数分にわたる喧嘩が終わるまで神は一言も口を利かなかった……。
*
「……もういい?」
「あ、うん。なんかゴメン」
興奮していたせいで随分長引いたが小井戸が事情を話しマローダの怒りは収まった。そのタイミングを見計らって神が話しかけてきたのだが、
「ええと、神様――だっけ。なんか、不貞腐れてませんか?」
小井戸は神の声のトーンが変なのに気づき質問する。
神は少し間をおいてから、
「べぇーつにぃ。私全知全能だから落ち込んだり凹んだりしないしぃ……久しぶりに人と話せるからって喜んでたわけじゃないし、一貯驚かせてやろうと思って本とは言っちゃいけない重要な秘密言ってみたけど、きっぱり無視されたからって怒ってないし……」
「なんか、すみません」
「ごめんなさいでした……」
二人が謝る。神様は「まあいっか」とため息交じりに言った。
そして、威厳を取り戻したつもりで抑揚の利いた声で話し出す。
「君たちはドローエマグの世界をクリアし、元の世界に戻る権利を手に入れた。では、なぜこの空間に呼び出したのか。気になるだろ?」
はあ――と小井戸が答える。
「そうだろそうだろ、うんうん。では教えてやろう。ズバリ、ゲームクリアの報酬を決めるためだ。君たちの活躍で私はずいぶん楽ができたからな。褒美をやろうということだ」
「それは、ありがとうございます。あの、楽ができたというのはどういうことですか?」
「そいつは言えないなあ。さすがの私にも秘密はあるのだよ」
上手いこと聞けばぽろっと答えそうだな。と思ったが、取りあえず聞かないでおくことにした。それより重要なことがある。
「それで、その報酬というのはどんなものがもらえるんですか?」
「ドローエマグの世界から好きなものを一つ持って行っていいぞ。何でもいいが、一つだけな」
一つだけ――というのを妙に強調した。
小井戸とマローダは視線を交わし同時に頷く。
「では、メイカという女の子を連れて行きたいです」
「それはダメです」
神はきっぱりと言った。




