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 その物見台からはすべてを見渡すことができる。数え切れないほどの建物、それを囲う丸い城壁、遠くの荒野、白く連なる山々――これは、ローブアインを統べる者のため作られた景色だった。

 そこに、口ひげを蓄えた細身の男が現れた。しかし、それを咎める者は居ない。彼もまた、群衆を見下ろす権利を持った人間なのだ。


「探したよルーク。こんなところにいたのか」


 二人の男が並んで立つ。お互い顔を見合わせることはない。


「高い所にいると落ち着くんだ」

「それはそれは――君もたまにはロマンチックなことを言うんだな。意外だよ」

「そんなもんじゃないさ。昔の癖が抜けないだけだ」

「昔? 兵士だったころの話か」

「ああ、目が効くからといって、私はよく見張り番をさせられた。皆が寝静まった後、ランプも持たずに暗闇を見つめ続ける――どういうわけか、妙に落ち着くんだよ」

「へえ――やはりロマンチックじゃないか」


 そこで、二人は初めて視線をかわし笑いあった。


「話があるんだろ、アニス」

「まあ、話って程の事じゃないんだが、昨日の少年のことだ」

「ああ――――」


 ルークの表情が僅かに険しくなる。


「困ったものだな。この年になって、あんな”モノ”に出会ってしまうとは――」

「ほう、やはり気づいていたか」

「商人として人間を見続けてきた君ほどじゃないが、私も一人の兵士だった男だ。危険を見抜く力はそれなりにあるつもりだよ」


 アニスの細められた目が、ルークの横顔に向けられる。


「正直な話――どれほどの危機と見ている?」

「きっと君と同じさ、アニス。想像の範疇を超えている――出会うのが十年早かったら戦っていたかもしれない。しかし、今では策を弄してやり過ごす道を選ぶしかない」

「そうだな、同じ意見だ――だから私は彼を君の前に連れていった。まさか目的がルドラカンドとは思いもしなかったが、結果的に私の選択は間違っていなかった」

「あそこは、この世界で一番安全な場所だからな。あるいはどうにかなるかもしれない」

「しかし、君の娘もルドラカンドに行くのだろう? 心配じゃないのか」

「ロカなら大丈夫さ。それに、もしアレに挑むことがあるのなら、あの子の力は必ず必要になる。親バカと思うかね?」

「フフフ……いいや、そうは思わんさ。私だって同じ気持ちだ」

「同じ気持ち? ――そうか、君の息子も」

「ああ、ロカちゃんより一つ上だがね。お互い優秀な子供を持ったばかりに気苦労が絶えないな」

「はは、そうだな。嬉しい悩み――――!?」


――そのとき、地面が大きく揺れた。

 縦に揺さぶるような派手な揺れだった。

 二人が立っている物見台は、細い塔の先端にあるので、ヘリに掴まらなければ立っていられないほど大きく波打った。

 揺れはすぐに収まった。幸い、倒壊した建物は無いようだった。それを確認すると、二人は同時に息をついて、


「凄いのが来たな」

「ああ、この辺りじゃ地震なんて滅多にないのだが――――」


 遠くを見ていたルークが目を見開く。


「アニス――屋敷の者に伝えてくれ。すべての門を閉じ女、子供は地下に避難。兵たちは武装して屋敷を守ること。君も地下に避難してくれ」


 言われて、アニスはわずかに動揺した表情を見せた。


「……どうしたというんだルーク」

「私にもはっきりとは分からんよ。しかし、一つだけ分かることがあるとすれば――」


 ルークが、塔のへりに足をかけ、体を屈める。

 そして、勢いをつけて飛び降りる寸前、唖然としているアニスにこう言い残した。


「君は旅をする時期を間違えた――――」


 ルークは常人離れした動きで塔の側面を伝い、屋敷の屋根に着地すると、振り返ることなく走り去って見えなくなってしまった。

 一人取り残されたアニスはやれやれとかぶりを振って、


「まったくだ……」


 呟くと、階段の下に消えていった。

 ルークが見つめていた場所――それは、住宅地から逸れた城壁付近にある雑木林の辺りだった。



 *



「フフ……ウフフフ――――」


 ロカ=エルサンドラールは己の手に握られた血に濡れた剣を見つめて一人笑っていた。

 その傍らには、血だまりができており、中心に男が人うつ伏せに横たわっている。


「お父様――私はローブアインの名を守りました。この手で、力で……フフフ――――」


 ロカはしばらく、自分に酔いしれていた。今しがた自分の手にかけた男のことなど、もはや忘れてしまったかのように、視線を空中に漂わせ、時々花のように美しく笑う。


「さてと――――」


 しばらくの後、ロカは笑うのを止め剣を仕舞うと死体に歩み寄った。

(家の者に頼むわけにもいきませんし――自分で埋めるしかありませんね)

 何食わぬ顔で赤黒く変色した血だまりに踏み込み、死体の手を引っ張り上げる。彼女は自分が殺した男を行方不明ということにするつもりだった。何者かに殺された――という筋書きもあるにはあるのだが、それは完璧でない。彼女の父親は鋭い人間であり、下手をすれば傷や死んでいた状況から犯人であるロカにたどり着いてしまう可能性があった。自分で事後処理を施す必要がある。


「よいしょ――軽いわね」


 死体を担ぎ上げる。まだわずかに暖かい男の体は、女であるロカからしても軽すぎるくらいだった。背負い投げの要領で、男の手を持ち腰で体を支え、できるだけ目立たない場所に埋めるべく、辺りをキョロキョロ見ながら歩きだす。

――平常時のロカなら気づいていたかもしれない。それが、我知らず感じていた殺人に対する罪悪感だったのか、はたまた父親の名誉を守ったという自覚からくる陶酔だったのか――それは分からない。しかし、このとき彼女は油断しきっていた。

 男の傷口――腹の真ん中に空いた穴の様子がおかしい。破れた服の間から覗く血にまみれた素肌が、ありえないような変色を遂げている。その原因が血の付着や失血によるものではないのは一目瞭然だった。


――まるで、空間そのものが抜け落ちてしまったような純然たる”黒”が傷口を覆っている。



 *



「アーネちゃん、早く早く!」

「待ちなさいメシア」


 二人は、町外れの雑木林の中を走っていた。

 数十分前――二人が洗濯を終えリビングに戻ると、コイドはそこにいなかった。何も言わず出かけるのはおかしい――アーネットがそう言いだしたので二人は町中を歩き回りコイドを探した。

 地震が起きたのは、その最中だった。町民たちが騒然とし家から顔を出す中、注意深く辺りを見ていたメシアが”それ”に気づく。


――町はずれの方で細く煙が上がっている。


 普通の人間が見たところで焚火をしているとしか思わないだろう。しかし、二人は知っている――この街に古代より蘇った”魔法王”がいることを。


「メシア、待ちなさい。軽率な行動は――」

「シッ――――誰かいるよ」


 メシアは木の陰から、城壁と雑木林の間にある開けた空間を見ている。

 そして”それ”を見つける。


「……なに……あれ――――」


 そこには”人のようなもの”が立っていた。両腕をダランと垂らし、何の気なしに立っているように見える。

 しかし、その色が普通じゃない。影――というには黒すぎる。世界を人型に切り取って、そこから虚空が見えているような、光すら飲み込む黒が立っているのだ。

 その頭上に同じ色をした”丸”が浮いている。それらはちょうど”!”マークをひっくり返したような形だった。


「ひ、人――? でも……そんなことって――――」


 メシアは、腰を抜かしてその場でへたり込んでしまった。それを見たアーネットが入れ替わるように前に出て、木の陰から向こうを見る。

 黒を見たであろう彼女は、何も言わず走り出した。一心不乱といった風で、その足は黒のほうに向いている。


「ちょ、ちょっとアーネちゃん。危ないって!」

「あなたはそこで隠れていなさい。あれはコイド様です」

「……え?」


 迷いなく走るアーネットにメシアも渋々ついていく。

 広場に到着し視界が開けると、そこにもう一人いることに気付く。


「アーネちゃん、あれ、昨日ローブアインの屋敷で見た人だよ。たしかロカちゃんとかって――」


 ロカは剣を構え、黒と対峙していた。それは威嚇のようにも見えるが、すでに戦いは始まっている。


「っつ――――!」


 何の前触れもなくロカの体が数メートル後ろに吹き飛ばされる。彼女は体制を低くし何とか踏みとどまる。まるでフルスイングしたハンマーを剣で受け、その衝撃で後退したような、そんな動きだった。

 しかしハンマーなど誰も持っていないし、黒は突っ立ったまま微動だにしていない。攻撃の出どころはまるで分らない。


「コイド様……ついに――ついに力を取り戻されたのですね!」


 アーネットは快感に喘ぐような艶っぽい声で叫んだ。

 それに反応したのは剣を構えなおした少女だった。


「あ、あなたたち……何をしているの、早く逃げなさい!」


 一瞬――――ロカがアーネットたちの方を見る。それが命取りだった。


「きゃっ――――! …………」


 見えない力が再び彼女を襲う。気を散らしていたロカは反応が遅れ、吹き飛ばされ、宙を舞い、地面に叩きつけられ、動かなくなった。


「あ……ああ、アーネちゃん、逃げよ? ねえ、早く!」


 アーネットの手を引くメシアだったが、すぐさま振りほどかれる。


「痛っ……アーネちゃん?」

「ああ素晴らしい……なんと強大な力でしょう! 私は、あなた様のために生涯の全てを捧げてまいりました。それが間違いではなかったことを今確信しました。あの名高きローブアインの”戦駆り”を、まるで赤子の手を捻るかのように……」

「アーネちゃん!」


 アーネットは夢遊病患者のようにフラフラと黒に近づいていく。頬を上気させ、じっとりと汗をかき、指先は小刻みに震え、何かに耐えるように内股で――明らかに正気ではない。


「ああ、コイド様……スターウェイ=ランキャスター様――――」


 黒がわずかに動く。アーネットと向き合うようにゆっくりと。

 それを見たメシアはきつく目を閉じ、絶叫した。


「だ、だめ!!」


――一瞬の静寂。


「…………?」


 彼女が次に目を開けたとき、あたりの状況は一変していた。

 アーネットは突然現れた何者かによって、抱きかかえられるように倒れている。さっきまでアーネットが立っていた場所――その背後にあった木が丸く刳り貫かれ、年輪が剥き出しになっている。どういうわけか破壊音は全く無かった。そこにあった物が突然消えてしまったような、そんな光景だった。


「いやあ危なかった……」


 メシアが呆然としていると、アーネットを抱きかかえていた男が立ち上がり、気の抜けた声を上げた。


「あなたは――!」

「やあ、メシア=ストレーゼさんだね。生きててよかった。この子も――どうやらうちの娘も無事のようだ。私もまだまだ捨てたもんじゃないな」

「…………」


 この場に全くふさわしくない無防備な笑顔を見つめながら、メシアは心の中である言葉を反芻していた。

(おばあちゃんは、あの人を――ローブアイン公爵、ルーク=エルサンドラールをこう呼んでいた――)

 ルークはいくつもの勲章と、それに付随する称号を持っているが、その中でも、彼を象徴するに相応しいものを一つだけ選ぶとすれば――それは、


「王国最強の騎士」


 誰もがそう言うだろう。


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