二人の予定 5
住宅街から少し離れた緩い坂を登れば、ポツンと一軒だけ建つ学生寮が見えてくる。
俺が小井戸の家を訪ねるのはこれで二回目だった。前回は無口な少女を連れてこの坂を上ったが、今回は一人だ。今朝、調子が悪そうだった小井戸を見舞いに行くのだから、当然といえば当然だが。
階段を上り、二階炭の部屋を目指す――と、小井戸の部屋の前に少女が立っているのが見えた。不審に思いつつ、近づく。
「ええと、コイドの関係者か?」
考えるのに気を取られていたらしい少女が、話しかけられハッとしてこちらを見る。
「ビックリした――君は、ひょっとしてエイモスくんって人?」
「俺のことを知ってるのか?」
「うん。コイドの話によく出てくるからね。私はメシア。コイドと一緒に暮らしてるの」
「へえ――」
ということは、昨日帰りがけに話した黒髪の少女と、このメシアとコイドの三人で暮らしてることになる。どういう関係なのか想像もつかない。まあ、わざわざ聞くこともないか。
「それで、あんたは家に入らないのか? 俺はコイドのお見舞いに来たんだが――出直した方がいい感じか?」
「えっとねえ……」
メシアと名乗った少女は言葉を濁す。どうでもいいが、この子はいくつなんだろうか。ルドラカンドの制服を着てはいるが、かなり年下に見える。そのくせ妙に堂々としていて、幼さがない。不思議な少女だ。
そんなことをボンヤリ考えていると、メシアが覚悟を決めたかのように頷いて、
「コイドは信頼してるみたいだったし、いいよね――ねえエイモスくん、そっとドア開けて部屋の中を見てみて」
「――? 中がどうかしたのか」
「説明するの難しいから取りあえず、ね」
「――分かった」
疑問に思いつつ、ドアノブを握り音を立てないよう僅かに開く。
カーテンが半分閉じていて部屋の中は少しくらい。物の少ないリビング。大きなテーブルと、窓際に置かれたソファ――
「……!」
思わず顔を引っ込めドアを閉める。メシアに視線を向けると「ね?」という感じで頷いた。
「あれは……何をしてるんだ?」
狐につままれたような気分で、素直な疑問が口をついて出てしまう。
「私もそれを考えてたんだよ――ねえ、エイモスくんは時間ある? ちょっと一緒に考えてみない?」
「ああ――そうしよう」
自分の目的を忘れたわじゃなかったが、考えるまでもなく提案に乗る。
気になって仕方がないのだ。
*
――時間は巻き戻る。
エイモスに体調不良を指摘され、家に帰った小井戸。寮に到着して、家の鍵が開いているのに気づく。
(あれ、閉め忘れたっけ)
違和感を覚えつつリビングに入ると、熱っぽい声が聞こえてきた。
「どうかお許しください。コイド様……」
そして、ソファの上で毛布を抱きしめながらもんどりうつアーネットを発見。
「ええと、何してるの?」
普段の凛々しく、落ち着いた雰囲気とはかけ離れた――だらしなく、ともすれば淫らな同居人を目の当たりにして、小井戸は喧嘩していることも忘れ、思わす声を出してしまった。
しかし、アーネットの反応は薄い。「これは……幻ですね――」などと、訳の分からないことを呟きながら、引き続き毛布に顔を埋めている。
「お、おい。アーネ?」
どこか異様だと感じた小井戸は、アーネットの肩を揺らして起こそうとする。しかし、アーネットはそれにすら気づいていないようで、反応がない。
埒があかないと考えた小井戸は、彼女が大事そうに抱きしめている毛布を引っ張ってみた。すると、ようやくアーネットが反応する。
「ヤダ……行かないで、小井戸様――」
切なげな声で言う。引っ張られた毛布に必死でしがみつき、引き戻してくる。
(寝ぼけてるのかな。しかし、なんで俺の名前が出てくるんだ? というか、この毛布を俺だと思ってるのかな……?)
毛布で綱引きしながら、小井戸はそんなことを考えていた。
「コイド様――」
「お? お、おい――!」
その時だった。仕掛けを海中から引き上げる漁師のような手つきで毛布を引き戻しているアーネットの手が小井戸の手首を掴む。そのまま力いっぱい引っ張るので小井戸が体勢を崩し、アーネットに覆いかぶさる形でソファに沈む。
体が完全に密着している。小井戸は起き上がろうと必死でもがく。しかし、アーネットはコイドの背中に手を回し、足まで絡めてしまったので、まるで身動きが取れないのだった。
こんな体制なのに彼女は何も言わないし、行動も起こさない。小井戸は確信する。
(信じられないけど、寝てるんだな――)
そうとしか考えられなかった。そうなってしまった理由はまるで見当がつかないが……。
状況が分かったところで、さてどうしよう――小井戸は考える。といって、脱出するにはアーネットを起こすしかない。そこまで考えたところで、自分たちが喧嘩していたことを思い出す。
(昨日の剣幕を考えると――この状況で目を覚ましたアーネは俺を……)
背筋を冷たいものが伝い、ぶるっと震える。アーネットは強い。力だけで言えば、小井戸の数百倍は強いだろう。そんな彼女が、寝起きの頭でパニックに陥ったら……小井戸は不死身なので死ぬことはないが、とんでもなく痛い目にあうだろう。
(どうしよう……)
起こさなければ逃げられない。でも、起こせば殺されるかもしれない。完全に袋小路だ。
この状況を切り抜ける第三の道はないか。小井戸は思案を重ねる。
しかし、何も思いつかないのはもちろんのこと、さらに困ったことに、眠気に襲われ始めていた。
そもそも寝不足で帰ってきたのだから当然だ。それに加え、少女の体温や生々しい柔らかさ、耳にかかる熱い息など――健康な状態であれば、眠気とは反対の生理現象を呼び起こす要素が、興奮する元気のないコイドには安らぎを与えていた。
勝手に閉じようとする瞼としばらく格闘したが、雲の上にでもいるかのような安らぎは容赦なく小井戸をリングサイドまで追い詰める。
(ああ――だめだ……)
こうして、二つの寝息が重なった。
何度か体制が変わりもしたが、二人はもつれあったまま眠り続けた。




