二人の予定 4
朝の通学路。俯きがちに歩く男子生徒が一人。
そんな彼の後ろから、鮮やかな金髪の男が追い付き、声をかけた。
「ようコイド――って、どうした?」
「ああ、エイモスくん。おはよう」
小井戸は力なく挨拶を返す。
「ちょっと具合悪くてさ……」
少し眠っては目が覚め、胸がむかつくのでまた眠ろうと目をつむる――しばらくしてまた目が覚め――と、何度も繰り返していたせいで睡眠時間が足りていない。精神的な衰弱も相まって体調は最悪。
時間になったので制服に着替え家を出たのだが、エイモスが心配するのも無理はない。今の小井戸は誰が見ても病人に見える。
「帰った方がいいんじゃないか。先生には俺から言っておくから、無理するなよ」
「うん――――」
返事を返してはいるが、目が虚ろで心ここにあらず。聞いているのかいないのか、微妙な様子だ。
(まいったな、こいつは妙に律儀なところがあるし、すぐに無茶をする。あまり煩く言いたくないが――)
肩を掴まれコイドがよろめき、足を止める。エイモスは肩に手を置いたまま真剣な顔で、
「一日くらい休んでも大したことないし、授業のノートはちゃんと見せてやる。だから今日は休め。な?」
「エイモスくん……」
ようやく小井戸がまともな反応を見せた。ハッとしてエイモスの顔を見つめている。
「――ありがとう。そうだね――そうするよ」
踵を返し、重い足取りで学校とは反対に歩き出す。
(まったく、難儀な奴だ。学校が終わったら見舞いに行ってやるか)
小井戸の背中を見送って、エイモスも歩き出す。
*
「それじゃあとでね」
「はい。あの――ありがとう、メシア」
「ううん。いいんだよ」
それは、私を追いかけてきてくれたことと励ましてくれたことに対するお礼でした。
昨晩過ごした宿の前で、一旦メシアと別れます。彼女は教科書類を学校に置きっぱなしにしているのでそのまま学校へ、私はカバンを取りに寮へ帰ります。
「ふわ………ふ」
思わず欠伸が出てしまいます。昨晩は一睡もできず、布団の中であれこれ考えていました。
私は昨日どうかしていました。自分が必要なくなってしまったと思うと、悔しくて、悲しくて。全てをコイド様に捧げたはずなのに、気づけばコイド様を糾弾していました。
どうしてそんなことを――普段の私なら、そうはならなかったと思います。ですが、昨日に限って感情のタガが外れてしまった。
コイド様に仕えられなくなるのが、私にとって最大の不幸です。捨てないでくれ――と平伏するのが道理というもの。言い合いになど発展するはずがありません。
不思議です。今も続く落ち着かない気持ちは何なのでしょう。今までこんなことは無かったのに、どうやら、コイド様に恋人ができたことを知ったあたりから、表面に浮かんできたような気がします。
忠誠心が揺らいでしまったのでしょうか。とも考えましたが、むしろコイド様のことを思う気持ちは強くなった気がするのです。それは、自分でも不安になるほど、強い気持ち。なので、大きさではなく、性質の変化なのかのしれません。といって、その変化がどういうものかは分かりませんが。
「………」
つらつらと考えあぐねているうちに、寮についてしまいました。
少々躊躇しますが、鍵を開けて中に入ります。
誰もいないリビング。残念なことにそれほど思い出をつくることはできませんでしたが、私たち三人の部屋。思い入れは強く、胸を掻きむしります。
学校のカバンと、衣類を詰めた大きめのバッグ、荷物はこれだけです。
もう帰ってくることはないでしょう。そう思うと、視界がぼやけ始めました。早く出ましょう。何かが溢れ出てしまいそうです。
「…………」
と、思うのですが、リビングのソファの上に丸まった毛布があるのを見つけてしまいました。
『コイド様、使ったのならきちんと片付けてください』
きっと私はそう言うでしょう。
『ん? ああ、ごめんごめん』
コイド様はそそくさと毛布を片付けることでしょう。
幻の中のコイド様が毛布を畳み終えるのを待って、
「もう私は他人になってしまいました……」
自分が追い出されたという実感が込み上げて、思わず呟いてしまいます。
せめて最後に、毛布を片付けていきましょう。我ながら感傷的すぎるとは思いますが。気づいたらほっておけません。
灰色の毛布を持ち上げてみます。コイド様が気に入ってよく使っていたものです。柔らかい感触。二つの隅を持って伸ばし、一度皺を払います。
すると、ふいに――
「――この香り」
どうしようもなく愛おしい香りが空間に満ちてしまいました。お洗濯の石鹸も、お風呂場の石鹸も私と同じものを使っているのに、どうしてこうも違うのでしょう。
間違うはずがありません。毛布にはコイド様の香りが染みついていました。
胸がドキドキします。呼吸が難しくなります。しばらく毛布を持ったまま固まっていました。しかし、もうダメにみたいです。
「コイド様……」
毛布に顔を埋めます。恐る恐る息を吸うと、とても濃いコイド様の香りが体中に染み込んでいくようでした。
「――ハァ――ハァ――」
繰り返し深呼吸。足に力が入りません。腰が抜けてしまったようです。お酒に酔った時の感覚に似ています。
――バフッ――
ソファに体を横たえます。誰もいないのをいいことに、容赦なく毛布の香りを吸い込みます。
横向きになり、毛布を抱きしめます。足をまげて、足の間にも挟みます。我ながらはしたない格好ですが、やめることはできませんでした。体が熱い。熱に浮かされて、体がもぞもぞと勝手に動きます。
「コイド様――コイド様――……」
こうしているとコイド様と抱き合っているようです。
ドキドキと安心感が一緒に襲ってきて、意識が飛んでしまいそうな、興奮に変わります。
「コイド様、私は嫌です。あなたの全てを誰にも渡したくありません……どうか、どうか私だけに…………」
思わず口走った言葉に自分で驚きます。
と、同時に気づきます。昨晩からずっと考えていたこと。私のコイド様に対する感情の”変化”の真相。
私は勘違いしていたようです。変わってなんかいなかった。最初からあった感情が、表に出てきただけだったのです。やっと気づくことができました。
「私は、ずっとコイド様のことが好きでした。愛しているのです」
私の告白は、毛布に吸収されて消えてしまいます。しかし、それでいいのです。
主人と従者が結ばれるわけありません。それどころか、私はもうコイド様の身内ですらありません。どのみち報われない感情。辛いだけの恋慕。気づいたところでどうにもなりません。
ならば、いっそ――コイド様を感じられる今、できるだけ消化しておきたい。後で虚しさが募るでしょうが、それでも、大好きな人と抱き合っているような気分に浸りたい。私ははしたない女です。
しかし、今は――
「どうかお許しください。コイド様……」
誰も聞いていないのに許しを請う。再び毛布に顔を埋め、毛布をコイド様に見立て体を擦り付けるように抱きしめます。寝不足が原因か、頭がボーっとして、意識が曖昧になってきました。
「ええと、何してるの?」
もはや懐かしくさえ感じるコイド様の声。学校にいるはずのコイド様の声が聞こえるわけありません。
きっと幻聴でしょう。




