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二人の予定 3



どこの家も夕飯の支度を始める時間――小井戸家のリビングはしんと静まり返っていた。


「…………」


 小井戸は胡坐をかいてテーブルの天板を見つめている。まるで木目を数えるスペシャリストにでもなったかのように真剣な面持ちだが、

(アーネに恋人……俺はどうしたら――)

 頭では全く別のことを考えていた。


「………………」


 机の反対側に正座するアーネットは片手で本を開いている。本に落とした目は左から右へと繰り返し動いているが、その本は縦書きである。彼女はそのことに気づいていない。

(コイド様……私がいない間に恋人をつくるなんて――私はコイド様のことのみを考えていたのに)

 彼女も他のことを考えている。


「…………」

「…………」


 まるで時間が止まってしまったかのような沈黙が続く。二人は会話どころか視線を交わすこともない。

 やがて完全に日が落ち、夜がやってくる。お互いの顔が見えない暗闇の中――


「友達とかできたか?」


 数時間ぶりに声を発したのは小井戸だった。といって、口が動いただけでそれ以外に動きは無い。アーネットにしても同じだ、


「いえ、私はコイド様に仕えるために生きています。友達など必要ありません」


 本から目を離さずに答えた。

(そうだよなあ。アーネは俺に尽くしてくれた。俺だけのために自分を捧げてくれた――感謝しなきゃ。だというのに、俺は何をヤキモチ焼いてるんだ……アーネに好きな人がいるなら、俺は応援するべきじゃないか!)

 小井戸の顔が僅かに変化する。額にしわを寄せて、苦しげだ。


「あのさ、俺のために何かしてくれるのは嬉しいけど、俺のことは俺で何とかするから、アーネは自分がやりたいことをやりなよ。もっと自由に生きていいんだよ」


 もしかしたら自分の存在が恋愛の妨げになってるかもしれない。そんな配慮からの言葉。小井戸なりの精いっぱいの応援だった。


「なぜそんなことを言うのですか?」


 アーネットは特に感情を込めることなく言うが、言い終わってから唇をギュッと噛んだ。

(恋人ができたからお前は邪魔だ。付きまとわないでくれ――そういう意味ですか? 自由にしろだなんて、口当たりのいい言葉を使って……邪魔なら邪魔とはっきり言えばいいのに。それでも私は――)

 パサ――机と本が擦れる軽い音。


「コイド様――どうか私を見捨てないでください。邪魔にならないよう気を付けますから。だから、見捨てないで……」


 アーネットの切実な訴え。

 それに対し小井戸は「はい?」と頭に疑問符を浮かべた。


「見捨てるって何の話? 俺そんなこと言ってないけど――」

「やめてください……それは優しさではありません。お前は邪魔だとはっきり言ってください。その方が気が楽です」


 小井戸には彼女が何を言っているのか分からなかった。しかし、その自暴自棄な態度が癇に障った。ずっと抱えていたモヤモヤも相まって、思わず大きな声を出してしまう。


「何を言ってるんだ! 俺はただアーネを応援したいだけなのに。 ……俺を邪魔だと思ってるのはアーネの方じゃないのか? そうだよな男と同じ部屋で暮らしてるなんて言えないもんな」


 アーネットがハッと目を上げる。


「私はそんなこと思ってません! なにもそんな卑劣な方法で追い出そうとしなくても、出て行けと言われれば出て行くのに……まさか、私が無理やり押しかけて、仕方なく一緒に暮らしていた――ということにするつもりなのですか? そこまでして彼女に潔白を証明したいんですか!」

「さっきから何の話をしているんだ。彼女って誰のことを言ってるんだ?」

「白々しいです。やはり素直に話してくれないんですね……コイド様がそんなズルい人間だったなんて、見損ないました!」

「ず、ズル? 俺がいつズルをしたっていうんだ!」


 二人は立ち上がり、いらだちを隠す余裕もなく互いを罵り合った。

 こうなった経緯からして、明らかに会話が噛みあっていない――普段なら気づいていただろう。

 しかし、二人はのっけから冷静じゃなかった。いつの間にか恋人ができていた――という事実に心の不透明でデリケートな部分を刺激され、精彩を欠いていた。そんな時に、感情的になってしまった――


「もう知らん! 出て行け!」

「ようやく言ってくれましたね。ええ、私こそあなたの顔なんか二度と見たくありません!!」


 感情の歯止めが利かず、行くところまで行ってしまう。


――バタン――


 アーネットが家を出て行った。


「はあ――はあ――……クソッ!」


 小井戸の拳がテーブルの天板に打ち付けられ、鈍い音がした。



 *



 アーネットが出て行った少しあと。夕飯の買い物に出ていたメシアが帰ってきた。

 ただいま――返事が無い。小井戸はだらしなくソファに横たわっている。

 不審に思いメシアが問う。


「ねえ、アーネちゃんは?」


 小井戸は腕を目の上に乗せたまま、


「出てった」


 短く答えた。


「――どうして? 何かあったの?」

「知るか。あんな奴、もうどうでもいい」

「え? ちょっと――ちゃんと話してよ。ほら起きて」

「うるさい!」


 ケンカの余韻か、つい汚い言葉を吐いてしまう。

 さすがに、後ろめたくなり小井戸が体を起こす。


「あ、すまん――」

「ねえコイド、あれ見て」

「――?」


 メシアが横の壁を指さす。小井戸がそっちを見る。


「バカッ!」


 丁度正面に来た小井戸の頬にメシアの平手打ちが炸裂。

――ぱあん――

 と軽い破裂音が響く。

 小井戸の顔に驚きと戸惑いが浮かぶ。


「な、なにすんだ……」


 子供のように破天荒でありながら、誰よりも冷静で思慮深いメシアが珍しく本気で怒っていた。


「ねえコイド、会って間もない頃、私がコイドに”いい奴なの?”って聞いたの覚えてる?」


 危険な状況になりそうだったメシアを小井戸が助けたことがあった。彼女はそのことを言っていた。

 小井戸は首だけで肯定する。覚えている――と。


「そのとき、コイドは”良い奴も悪い奴もないだろ”って言った。そのときは、たしかにって思った。コイドが私を助けたのは善意でも悪意でもないんだなって。でも――」


 メシアが一度目をつぶり、カッと開く。燃えるような怒りと硬質な理性が瞳の奥で揺らいでいる。


「今のコイドは悪い奴だよ! どんな理由があるのか知らないけど、アーネちゃんが出て行ったのに探さないなんて変だよ! どうして追いかけなかったの?!」


 小井戸がメシアから目を反らす。

 正しさは、太陽に似ている――その光は人々に恩恵を与えるが、見続ければ目がつぶれてしまう。

 今の小井戸にとってメシアの正しさは眩しすぎた。


「ほっといてくれ……」


 結果的に、そんなことしか言えない。小井戸は疲れ切っていた。


「――――」


 メシアは何も言わずに部屋を出て行く。

 再び静寂に支配された部屋――小井戸はソファにうずくまり、眠りについた……。


 


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