独裁のエアディシルク 12
なんとも不思議な光景だった。
白い壁、赤い絨毯、天井には天使の絵画――宮殿や大規模な教会にしか見えないが、ここは学校の校舎であり、名目上ただの廊下なのだ。
そんな廊下を黒い影が歩いている。
神話に登場する勇者のような鍛え抜かれた体、牛の頭、山羊の角、蝙蝠の翼、類人猿の腕、トカゲの尻尾――全てが黒く塗りつぶされている。
あまりにも禍々しい姿だった。
誰もが”悪魔”と称するであろう、黒い影は悠々とした足取りで、歩を進めている。
――と、何の前触れもなく、その手から火の玉が放たれる。
暗い廊下の奥に着弾し、爆発する。
「うおっ熱っち!」
その地点から火だるまになりかけの男が飛び出してくる。
「熱っち、熱っち――」
地面をゴロゴロと転がって、制服に燃え移った灯を消す。
なんとも情けない姿だったが、悪魔を追跡して、様子を伺っていた男―小井戸浩平は、きりっと立ち上がった。
小井戸と悪魔が向き合う。
「ええと、こんばんは」
『何者だ――』
悪魔は口を動かしていないのに、声は聞こえている。
「ただの学生です!」
小井戸は誇らしげに言った。
『立ち去れ――我の邪魔をするなら容赦しない』
「あなたの目的は何ですか? なぜ学校に?」
『答える必要はない』
「そうですか」
小井戸がブレザーの内ポケットから二本のテーブルナイフを取り出し、両手に持つ。
「教えてくれる”状態”にしてから聞きます」
『――――』
悪魔は何も答えない――代わりに、再び火の玉を飛ばした。
小井戸は、横に避けて難なく躱す。
しかし、その寸前、悪魔は動いている。
巨木のような足を曲げ、タメをつくる。みるみるうちに、血管が盛り上がり、筋肉が圧縮される。
小井戸の注意が火の玉に向いているスキに、悪魔が地面を蹴る。
床が砕け散り大穴を穿つ。衝撃波が発生し、窓ガラスが次々割れていく。
不可視の攻撃だった――悪魔は一瞬で敵の間合いに入り、超必殺の拳を容赦なく叩き込む。
その圧倒的な威力の攻撃を食らえば、鋼鉄すら粉々に砕け散るだろう。
――しかし、攻撃は当たらなかった。
小井戸は廊下の壁にへばりつくようにして、間一髪で攻撃を躱していた。
「あ……危ねえ――――」
『貴様!』
激高した悪魔が横殴りに拳を振るう。
石でできた壁が一文字に削り取られ、破片が宙を舞う。
続けざまに、もう一方の拳が壁を粉々に砕く。
しかし、小井戸は避けている。
素人でもできるような簡単な動きだが、正確で迷いがない。動き始める前から動き終わるまで、すべての動きが決まっていて、寸分の狂いもなくそれを実行している――そういう回避だった。
『そろそろ決めろ――ミスったらミンチになっちまう』
『そ、そうだね』
両腕が伸び切った体制の悪魔に、小井戸が手を伸ばす。あと数ミリで、体に触れる――
『甘いわ』
その手に、黒い鞭が振り下ろされる――悪魔の尻尾だ。
『うわわ――尻尾忘れてたよ。どうしよう……これは避けきれないよね?』
『無理だろうな。だが、問題ないだろ。切断されたってすぐにくっ付く。右腕は捨てろ――それより、目の前を敵の一部が通過するんだ、チャンスだろ』
『ええ、でも切られたら痛んだよ?』
『カルテジアンの真価発揮だな。痛かろうが何だろうが”先行入力”しておけば、その通りに動ける――これで終わりだ』
『ううう……他人事だと思って』
『他人事でしかねーつの』
悪魔の尻尾が振り下ろされる寸前、小井戸のもう一方の手が尻尾めがけて素早く動く。
その指先が一秒の何百倍も短い時間、悪魔の尻尾に触れた。お互い、何の感触もないような微々たる接触だったが、この瞬間悪魔の敗北が決まった。
――ポンっ――
軽い破裂音とともに、悪魔が白い煙に包まれる。
それと同時に真っ赤な血飛沫とコイドの手首が宙を舞う。
「痛ってえ――――!!」
『ほら、手首はあそこだ。無くすなよ』
「うう……痛い」
涙目になりながら自分の手首を拾って、腕にくっ付ける。
『そのままにしときゃすぐ完治する。それよか、早く逃げようぜ。自治会の連中が戻ってきちまう』
「……そうだね」
煙が晴れると、一人の少年が横たわっていた。
小井戸は傍にかがんで、手首を触り、口元に耳を近づける。
「なんともないみたいだ。眷属化してるようにも見えないし、このままで大丈夫だね」
『おう。それより、ちゃんと指輪を持って帰れよ』
「ああ、そうだった――指輪指輪」
人間に戻ったレターの傍らに転がっている青銅色の小さな指輪を拾い上げる。
『気をつけろよ。絶対にはめるんじゃねーぞ』
「わ、分かってるよ」
指輪を制服の胸ポケットに仕舞い込む。
ルドラカンド学園に甚大な被害をもたらした元凶である戦略兵器”エアディシルクの指輪”は、こうして消息を絶つ。
*
数分後――リード、ゴウ、ロカの三人が所々破壊された特別棟の廊下に駆けつける。
そして、倒れているレター=パーケイトを発見、無事であることを確認。
校舎を見て回ったが、悪魔どころか誰もいないことが分かった。
壁が無くなり、廊下が丸見えの自治会室――レターをソファに寝かせ、リードは定位置である椅子に座った。
「それで、何がどうなってこうなったんだ?」
ソファの肘置きに腰かけたゴウがイライラして言う。
「混乱してるのは分かるが、答えが返ってこないことを質問するな――鬱陶しい」
ボンヤリと立ち、窓の外を眺めていたロカが疲れた声で、
「指輪が無くなっていたのは気にかかりますが、ひとまず事件は解決した。ということでいいのでしょうか」
リードが机の上で手を組む。
「そう判断するしかあるまい。我々自治会は次のステップに移らなければな」
ゴウが不審そうにリードを見る。
「あ? まだなんかあるのかよ」
リードが無表情に告げる。
「事後処理だ。事件の顛末を詳細に記して提出しなければならない。被害にあった生徒と、その家族へのフォローも必須だな。
さて、何百枚の書類をでっち上げることになるか――見当もつかない。明日から徹夜だな……」
「……」
「……」
三人はしばらく何も言わなかった。
そして、示し合わせたかのように「はあ――――」と深いため息をついた。




