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胸いっぱいの愛を



 テーブルに二つの大皿が並びました。目玉焼き、かりかりベーコン、サラダというメニューです。

 

「そ、それじゃあマローダのから頂こうかな」


 コイドくんが一つの皿を手繰り寄せ、目玉焼きをフォークで半分に割き口に運びます。


「うん、美味しいよ! 柔らかくて、塩加減もちょうどいい。マローダは料理上手だね」

「あ、ありがとうございます……」


 マローダさんは俯いてしまいました。私は彼女の顔がカーッと赤くなったのを見逃しませんでした。

 コイドくんの言う通り彼女はとても料理上手でした。手ほどきしながら料理するつもりでしたが、彼女はとても手際が良く、話す間もなく完成してしまいました。


「次はペトリのだね。おお、美味しそうだ」


 私は固唾を飲み下します。


「…………」


 私が作った目玉焼きを口に含むと、なぜかコイドくんは額に皺を寄せ無言になります。

 そして、口の中身を飲み込むと、


「ちょっとゴメン――――ケホッ、ケホッケホッ……」


 むこうを向いて咳き込んでしまいました。

 私の体温が急激に下がります。


「だ、大丈夫ですか……不味かったですか?」

「ゴメンゴメン――ええとね、味は普通の目玉焼きなんだけど、なんかすごく刺激的だよ。一口食べてみて?」


 と言ってコイドくんは小さく切った目玉焼きをフォークに刺して差し出してきます。

 こ、これは……”あーん”というやつです! しかも、あのフォークはさっきまでコイドくんが使っていたのと同じ物……。

 下がりかけていた体温が一気に上昇します。


「あ、あーん……」


 咀嚼します――コイドくんの言う通り味は普通でした。しかし、


「ケホッ――ケホッケホッ……な、なんですかこれ」


 一瞬で涙目になり、むせかえってしまいました。

 不可解です。私は普通に目玉焼きを作ったというのに、なぜこんなことに。


「あ、あの。私にも一口もらえますか?」


 勇敢にもマローダさんは私の目玉焼きを一口食べ――そしてむせます。


「――これは、お酢の味です。温まったお酢が喉に引っかかり、むせるのだと思います」


 言われて、なるほど――と思いました。確かに、ほんのりと酸っぱい気がします。


「私、いつお酢なんて入れたんでしょう」

「油と間違えたのかと」

「あ、あり得そうです……」



 *



「次はお洗濯をしてあげましょう!」


 ということで、私は料理の失態を払拭するべく躍起になっていました。できる女であることをアピールせねば。

 コイドくんは一人暮らしのようで、それなりに洗濯物がたまっていました。それを二つに分け、洗濯場へ移動します。


「マローダさん、勝負です。早く洗い終わったほうが勝ちですよ?」


 ちょっとした余興です。ゲーム形式でやったほうが楽しいと思ったのです。

 彼女は少し戸惑っていましたが「わ、分かりました」と承諾してくれました。


「ではいきますよ――スタート!」


 お洋服をシャボン水に漬けながら洗濯板でごしごしと擦ります。

 ふと横を見ると、マローダさんは見事な手さばきで服の汚れを落としています。

(ま、負けませんよ)

 私は気合を入れなおしました。


――十分ほどで洗濯は終わりました。


 勝負の行方は、


「ほぼ同時でしたね」

「は、はい」


 白熱した勝負でした。後半バテ始めたマローダさんと常にそこそこのスピードだった私は、ピッタリ同じタイミングで桶から手を出したのでした。

 私は汗をぬぐいます。


「いやードキドキして楽しかったです。マローダさんはどうでした?」

「はい! 私も……いえ――」


 彼女は百面相でした。年相応の無邪気な笑顔から、突然打って変わって痛みに耐えるような暗い顔に――


「わ、私も楽しかった――です」


 私はどうしても気になってしまいました。あまり踏み入っては失礼かとも思いましたが、言わずにいられません。


「楽しかったのなら、楽しそうにすればいいのに。マローダさんは時折不自然ですね」

「不自然――?」

「はい。感情を出すことを嫌がっているようです。それは、不自然ですよ」

「すみません……」


 マローダさんは縮こまってしまいました。

(しまった……)

 責めているように聞こえたのかもしれません。


「そうじゃありません。私はただ、気になってしまって。マローダさんのような幼い女の子が、なぜ自分を偽るようなことをするのか――その訳が知りたくて」

「わたしのことが知りたいんですか?」

「はい、できれば」


 マローダさんは虚空を見つめて考えているようでした。

 やがてこくんと一つ頷くと、口を開きます。

 その言葉はショッキングなものでした。


「わたし、奴隷だったんです」

「ど、奴隷?」

「はい。ご主人様に服従して、初めて生きられる身分でした。私が感情を出せないのは奴隷だったころの癖かもしれません。笑おうとすると、鞭で打たれた背中の痛みを思い出します。喜ぼうとすると、足蹴にされ飲まされた泥の味が蘇ります」


 私は思わず立ち上がります。


「しかし、奴隷制度なんて百年以上も前に廃止されたはずです。あなたのような子供が奴隷を経験するはずありません」

「それについては事情がるのですが、自治会の方に止められているので言うことができません。すみません……

 しかし、わたしが奴隷だったのは事実なのです」


 自治会が絡んでいるとなれば、訳がある――というのは本当でしょう。

 私は何も言えなくなりました。なにを言えばいいのか分からないのです。慰めたり、励ましたりするのは容易い――しかし、それが何の役に立つのか。奴隷や彼女についてロクに知らない私の言葉なんて、空々しいだけです。

 マローダさんは鼻白んだ笑いを浮かべます。


「や、やっぱり気持ち悪いですよね、奴隷なんて……汚くて醜い、厄介者です。わたしが傍に居たら、それだけで他人に迷惑をかけてしまう。きっとコイド様やペトリさんにも――」

「そんなことありません!」


 やはり、私の中には言うべき言葉がありません。しかし、しかし――!


「私はマローダさんが好きです!」

「は、はい?」


 私は何を言ってるんでしょう。瞬時にそう思いましたが、しかし私の口は動き続けます。


「一緒にお料理やお洗濯をして楽しかったです。それはつまり、私がマローダさんを好きということです。ね?」

「そ、そうでしょうか――?」

「細かいことはいいんです――はっ! そうです」


 もう訳が分かりません。気づけば私はマローダさんに駆け寄っています。


「ちょっと立ってください」

「は、はあ――」


 おずおずと立ち上がった彼女は、とても小さく華奢です。小動物のようにおどおどとしています。

 もう辛抱たまりません。

 私はマローダさんをギュッと抱きしめました。


「な、なにを――!?」

「私にも理由はわかりません。ですが、こうせずには居られなかったのです!」

「なんですかそれ――だめですペトリさん。私なんかに抱き着いたら、汚いです」

「そんな訳ないでしょう。マローダさんは石鹸のいい香りがします」

「それは洗濯をしていたからで、ペトリさんも石鹸の匂いですよ!」

「そうでした――では、キスでもしましょうか。ね?」

「”では”ってなんですか!」


 私は抱き着いたまま、いったん顔を離し彼女の小さな唇に狙いを定め、顔を近づけます。

 彼女は、いやいやをして暴れました。頬が赤く少し涙目です。


「私が嫌ですか? マローダさん」

「そういうわけじゃ――」

「ならキッスを!」

「い、意味が分かりません。道徳的にアウトです!」

「道徳というのは、恣意的なものであり時と場合によって変化するものです。そして、変化を起こすのは何時だって愛なのです!」


 私は暴漢のように――いや、まるっきり暴漢と化して、どんどん顔を近づけます。

 そして、唇が触れる――と思った瞬間。

 縺れ合っていた私の足が、何か固いものを踏みました。その固いものは体重をかけるとグラつき、傾き、私は体勢を崩します。


「――っと?」


 マローダさんに寄りかかるような体勢で一瞬均衡がとれましたが、どうやら彼女は体から力が抜けてフニャフニャになっていたらしく、すぐに均衡が崩れてしまいます。


「キャ――!」


 私たちは抱き合ったまま、転倒しました。

 下は芝だったので、そんなに痛くはありません。マローダさんも痛がっている様子はなく、どちらかといえば理解できない――といった感じの戸惑いが浮かんでいます。

 と――、

 ホッとする間もなく、私の目にとんでもないものが映りました。

 洗濯桶です。

 柔らかく弧を描き、間もなく私たちの上に落ちてきます。

(なるほど、私はアレを踏んで体勢を崩したんですね。そして、転んだ拍子に跳ね上がり、もうすぐ落ちてくると――)

 私は瞬時に理解し、スローモーションのようにゆっくり降ってくる洗濯桶を見つめました。

 桶の中には、たっぷりシャボン水が入っています。


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