新たなる英雄の心労 17
島の北側には教官たちのキャンプがあった。
時間は深夜――
訓練兵たちは皆寝静まったようだが、教官たちはそうもいかない。
「まったく……嫌になりますねェ」
ネル中尉は魔法球が作り出す監視映像から目を話さずに溜息をついた。昼間に睡眠をとり、暗くなり始めた頃に起き出し、夜通し監視――彼はまだ若く体力もあるが、この不規則な生活が七日目にもなるとさすがに調子が悪そうだ。
「ぼやくな。あと三日の辛抱だろ」
皺の浮いた顔を更に皺だらけにして諭したのはバコス大尉である。彼もネルと同じで夜の監視を任されている。下手をすればこの二人の間には親子同然の歳の差があるが、顔色がいいのは初老のバコスだった。
「そういえば、聞いたかネル――半年ほど前、この島に視察に来た連中が数日滞在したらしいんだが、その時“出た”らしいぞ」
老兵士は突然深刻そうな面持ちで話し始めた。
一瞬何事かと思ったネルだったが、すぐにバカ話だろうと気付き、
「出たって――野生の狼でもいたんですか?」
「そんな可愛いもんじゃないさ」
「それじゃあ、出るといえば――亡霊とか」
ふざけ半分で言う。
笑いをとりに行ったつもりなのだが、バコスはピクリとも笑わず、
「そうだな、近いかもしれない。もし彼らの話が本当ならば、きっと“それ”は亡霊に違いない」
「――何を言ってんですか、まったく」
いつ“なんちゃって”と笑いだすか、ネルは待ったが、老兵士にそんな気配は無い。それどころが、さらに深刻そうな顔になり、
「一応、視察隊は確認したらしい。ここから最も近い港を牛耳る港守軍に――しかし、視察隊の話しを聞いた港守軍の連中は顔を引きつらせて沈黙したそうだ。そんなことはあり得ない。何かの間違いだ。最終的にそう突っぱねてきたそうだが、明らかに何か知っている風だった――」
「――大尉、あの、何の話です?」
「黒い船体に白いマスト――その船は海に浮いているのが不思議なほど、どこもかしこも古めかしい。だが、マストに描かれた“髑髏のマーク”だけは、まるで今しがた塗られたかのように生々しく艶やか。
そんな、この世のものとは思えないほど不気味で不吉な船が数回現れたらしい。島から少し離れた場所で何度か旋回を繰り返し、しかし、それ以上近づいては来ず、スーっと消えて行ったそうだ」
「……」
子供だましだ――そう分かっているのに、いつの間にか口の中がカラカラに乾いている。ネルは怖がっていた。
厳格で真面目な上官が、まるで何かに取りつかれたかのように話している。もはや冗談や軽口とは思えない。だから怖いと感じてしまう。
バコスはさらに続ける。
「我々はここにきてから何度海を見た? 起きている間は休まず魔法球で生徒を監視し、そうでない時は隣のテントで眠る――海を眺める時間など、ほとんど片時もなかったのではないか?
想像してみたまえ、こうしてテントに籠って寝ずの番をしている間――いつの間にか海に髑髏の船が浮かんでいる。そいつは、海面を滑るように音もなく近づいてくる――その事に誰も気づかない。そして、気付いた時には手遅れだ――その船にはどんな連中が乗っているんだろうか。酔狂な漁師か、武装した蛮族か、他の国の軍人か――あるいは、もしかしたら、もはや形容も出来ないほど奇怪な者が降りてくるかもしれない。なにせ、本当に奇妙な船なのだから、何が起きるか分からない……」
鬼気迫る語り口調。
ネルは思わず背後を振り返った。入口の布は締め切られており、外の景色は見えない。しかし、布の向こうの夜の海には老兵士が言った“骸骨帆の船”が浮かんでいるような気がしてならない。
ネルは緊張で息も絶え絶えになっている。ガクガクと顎を振るわせつつ、再び老兵士の顔を覗き込む。そして祈るような思いで、
「嘘……ですよね?」
訊いたのだった。
そこで、バコスはようやく表情を緩めた。
「もちろん――嘘だよ」
何とも手の込んだ茶目っ気である。先ほどまでの真摯な態度など、全く消えており、バコスはすっかりおどけている。
「どうだ、目が覚めただろう。これで今夜も任務を全うできるな」
などとのたまいだす始末。
ネルは怒りと虚脱感に苛まれて、
「まったく、勘弁して下さいよ……」
椅子の背もたれにダラリと体を預けた。
*
ネルはこの数分後に居眠りを始めた。本来ならば、そんなことはあり得ない。一人が居眠りを始めればもう一人が起こすからだ。
しばらくすると、物音で目を覚ます。数時間後の事だ。
ネルはまず傍らにバコスが居ないのを不審に思った。それから、魔法球の映像に異常が無いかとっさに確認した。訓練兵たちは安らかに眠っていた。
続いて、彼はテントと外界を遮断している布を捲った。
――そして、絶句する。
テントの前に広がる浜辺、その向こうの海――そこに巨大な船が泊まっている。
居眠りをする前の記憶が一瞬で蘇る。老兵士が語って聞かせた“髑髏帆の船”の話……今、目の前に存在する船の帆には、艶めかしく鮮やかな黒で書かれた骸骨が描かれているではないか。
ネルは一も二もなく通信用の魔法装置に飛び付いた。そして、混乱の中で口走った。
「か、かか……海賊! 海賊です! 島に、海賊が――」
冷静さを欠いた中で、とにかく“海賊”という単語を連呼した。これだけは伝えておかなければならない。軍人として訓練を受けてきた経験がそうさせたのだ。
しかし、ネルは通信を終える前に死亡した。焦りきった叫び声のような通信が彼の遺言となった。
あまりにも取り乱していたため、その人物がテントに入ってきた事も、剣を振りかぶった事も気づかなかった。切りつけられた時には絶命していたので、誰に斬られたのかも分からないままだった。
ネルを殺害したその人物は続けて通信用の魔法装置を切り裂き、通信が途絶えたことを確認すると、
「悪いな……ネル」
と呟いた。セリフとは裏腹に平坦な口調だった。




