夜が明ける前に
窓から青い光が差し込んでいる。
牢獄のように狭くみすぼらしい部屋――二人は互いに背中を向け、ベッドに座っていた。
しばらく続いた沈黙を破ったのは、ペトリの枯れて疲れ切った声だった。
「すみませんコイドくん……私、取り乱してしまって」
「べつに謝ることはないよ」
小井戸は僅かに逡巡してから、
「――でも、なんで泣いていたのか、訳があるなら教えてくれないかな? もしかしたら力になれるかもしれない」
ペトリの赤く腫れた目に驚きが浮かぶ。
「どうして……私はコイドくんに酷いことをしました。あなたを部屋に閉じ込めて、苦しんでいる姿を見て喜んでいたんですよ? それに、あの……ベッドに押し倒したりして――」
二人の顔が赤くなる。
「そ、それは確かにビックリしたけど――でも俺は気にしてないよ」
「そ、そうですか――」
ペトリは少し不満げな表情を浮かべたが、小井戸は気づいていない。
「俺の目標は全力で学園生活を送ることなんだ。クラスメートが悩んだり困ったりしてたら力になりたい。俺ができることは全部やりたい。 ――こんなの綺麗事かもしれないけど、でも、そう決めたんだ。
だから、もし嫌じゃなきゃ訳を聞かせてよペトリさん」
ペトリは一瞬悩んだが、本人にしか聞こえないような小さな声で「ありがとう」と呟き、それから話し始めた。
「今朝早く、父から知らせが届きました。突然解放されたダンジョンの所有権を争い戦いが始まるそうです。私の父は故郷のカタードスで軍を取り仕切る役目を担っているんです。私が生まれてからは一度も戦場に立っていなかったのですが、今回ばかりは敵が強く総力を投入するしかないようで、父も戦場に出るそうです」
小井戸は黙って聞いていたが”突然解放されたダンジョン”の辺りで、肩がぴくっと反応した。
「私は狼狽えました。地面が崩れ落ちてしまったかのような心細さを感じました。自分が甘やかされるまま育った世間知らずな人間だということを嫌というほど思い知りました。父が死んでしまうかもしれない――そう思うだけで頭が真っ白になってしまうのです。私は正気ではありませんでした。一人でいたらおかしくなってしまいそうでした。誰でもいいから傍にいてほしい――私の頭はそれでいっぱいでした。今思えば父のことを頭から追い出すための誤魔化しだったのでしょう……。
そんなとき、授業でコイドくんとペアになりました。困った顔でノートと睨み合うあなたを見て、私は、この人なら何をしても許してくれるのでは――と思ったのです」
「そっか、それで俺をこの部屋に連れてきたんだね」
「……はい。最低な行いです。本当にごめんなさい」
「よし!」
小井戸は突然立ち上がり、ポカンとしているペトリの前に立った。
「――コイドくん?」
「戦いを止めてくるよ。そうすれば、ペトリさんも不安じゃなくなるでしょ?」
「それはそうですが……しかし、そんなことできるわけ――」
「大丈夫、なんとかするよ! その代わりと言ったらなんだけど、戦いを止めて帰ってきたら課題のやり方を教えてくれない? 俺、ホントにできなくてさ……どうかな?」
ペトリは小井戸の勢いに押されていた。
「それは、お安い御用ですが――」
「うん。それじゃ、約束しよう――はい」
と言って、小井戸は小指を立てた右手を差し出す。
「なんですか? これは」
「――ああ、そっか。これは俺が昔いたところでやってた”おまじない”みたいなものかな。約束の印として小指と小指を絡めるんだ」
「なるほど――こ、こうですか」
ペトリの白く細い指が、恐る恐るコイドの指に近づいていく。
そして、二人の小指が交差し、絡み合った。
その瞬間、
――ポンっ――
クラッカーが弾けるような音とともに、ペトリの体が煙に包まれる。
それが消えると、ベッドの上には五、六歳くらいの少女が横たわっていた。体が小さくなったことでぶかぶかになった制服に包まれ、体を丸めている。
「あれ、寝ちゃったの?」
『未来を奪われても体に蓄積した疲れは残るからな。子供の体じゃ耐えられなかったんだろ。都合がいいじゃねーか。行くんだろ? 戦場に』
「うん、まあね」
『しっかし、あんたも訳の分からんことをする。何が約束だ――未来を奪う寸前の時間は返さねーんだろ? まるで無意味じゃねーか』
「分かってないなあラプラス。楽しい学園生活を送るには、無意味だと分かっていてもやらなきゃいけないことがあるんだ」
『なんだそりゃ』
「君も虚しい三十路男を経験したら分かるよ……痛いほどね……」
『知りたくもねーや』
*
村はすっかり静かになっていた。殆どの村人たちが避難し、どの家にも明かりが灯っていない。そんな村の外れにポツンと一つだけランプの光が揺れている。
「長老、そろそろ我々も逃げましょう。じきに夜が明けます――そうすれば戦いが始まってしまう」
しかし、老人は岩の上に腰を据えたまま動こうとしない。
「ワシはどのみち先が短い。ならば、せめて長年暮らしてきた村に最後まで居たいのじゃ。お前さんは逃げなさい」
覚悟を決めているようだった。
「…………」
大きな体の男は、そんな長老を切なそうに見つめ、奥歯をかみしめる――そして、豪快な足取りで長老の横に並び、ドスッと座り込んだ。
長老が驚いた顔になる。
「お前さん――?」
「危なかったら抱えて逃げます。嫌なら早いとこ逃げてくださいよ」
ぶっきらぼうに言う男――長老はそれ以上何も言わなかった。
*
明け方の開戦に備え指揮官テントで仮眠をとっていた男は、騒音で目を覚ます。
「…………?」
兵士たちが酒でもやってバカ騒ぎしているのか――と一瞬思ったが、すぐにそうではないと気付く。テントの中にまで聞こえてくる声は野太い軍歌でも、下世話な話声でもない。甲高く、舌足らずなのだ。
(女でも連れ込んだか)
男は指揮官として、顔に怒りを浮かべテントを出る。
そして――信じられない光景を目にする。
「なっ……これは――?」
鼠色のテントが作る通路には五、六歳ほどの子供が溢れかえっていた。
見たところ全員男であり、なぜか全裸だ。走り回ったり、テントによじ登ったり、兜でキャッチボールを始めたり――銘々好き勝手にふるまっている。厳粛であるべき軍のキャンプが、もはや職員のいない託児所のようだ。
(どうしてこうなった――兵士どもは何をしている? なぜ誰も止めんのだ)
部下の前では冷たすぎるくらい冷静な男が、動揺しきっていた。まるで悪夢を見ているようだった。
「ああ、こらこら――その紐引っ張っちゃダメだって」
キャンキャン耳障りな幼い声に混じる、たしなめるような声を男は聞き分けた。
子供の群れを避けながら走ると、いくつか向こうのテントの開けたままになっている風よけ布の向こうに、黒い人影を見つけた。
(あれは軍人? ――いや、違う。見覚えがある。たしかルドラカンドの制服だ)
背を向けて屈み込み、何やら物色している学生らしき人物。
男は腰から剣を抜き、忍び足で背後に詰め寄る。
「立て、両手を上げろ」
「…………」
「ゆっくりと振り向け。余計なことはするな」
学生は言われた通り手を挙げて振り向く。
一瞬性別がわからないほど、線が細い少年だった。
男は迷っていた。剣を向けたはいいが、何を問うたらいいのか。自分が今どんな状況に立たされ、何を解決しなければいけないのか――その糸口すら掴めていない。
すると、少年のほうが口を開く。
「あ、あの――ひょっとしてペトリさんのお父さんですか?」
「ペトリを知っているのか」
「やっぱり! あの赤髪は父親譲りだったんですね。俺は小井戸というものです。ペトリさんとは同級生です」
「そ、そうかね」
男はひとまず剣を下した。娘の学友ということで警戒を解いたのだ。
「あの――ペトリさんはすごく心配していました。お父さんが死んじゃうんじゃないかって、勉強も手につかないくらいショックを受けていました」
「あの子が――本当か?」
「はい。なので、俺が言うことじゃないかもしれませんが、戦いが終わったらペトリさんに会いに行ってくれませんか? きっと安心すると思うんです。お願いします!」
小井戸は深々と頭を下げた。
「ああ、分かった――そうしよう。しかし、君は何者なんだ? なぜここにいる?」
「それは――ペトリさんを勇気づけようと思って。お父さんは無事だったよ――と言ってあげたかったんです!」
「…………」
男は少年の言葉に胸を打たれていた。よくよく考えてみれば不可解な点がいくつもあるのだが、キャンプの状況と、娘の名前がでたという、二重の動揺で男は冷静な判断ができなくなっていた。
「コイドくんといったか――君は勇敢で誠実な男だ。これからも娘をよろしく頼む」
「は、はい」
「娘には必ず生きて帰ると伝えてくれ。君に勇気をもらった――きっと私は死なないだろう」
「ええ、伝えます」
「ありがとう。では、そろそろ君は帰りなさい――日が昇れば戦いが始まる」
「そうですね。そうします――」
言いながら小井戸は開いた手を差し出す。
「どうかご無事で」
男は力強く頷くと、小井戸の手を取った。
「ああ――」
――ポンっ――
赤髪を持つ子供に変わったペトリの父親は、さっきまで自分が着ていた鎧から這い出ると、テントの外に走っていった。
それを見届けて小井戸は深くため息をつく。
「あっぶねえ――」
『あんた、意外と姑息なんだな。急場を切り抜けるために、あのお嬢ちゃんをダシにして相手に取り入るとはよ。恐れ入ったよ。詐欺師としては上等だな』
小井戸はウンザリとした顔で、
「仕方ないでしょ、ほかに考えが浮かばなかったんだよ」
もう一度ため息をついた。




