新たなる英雄の心労 9
店を出てしばらく歩くと、人気のない路地でメイドは立ち止まった。そして背後にいる二人に言った。
「あそこの山の中ほどにある大きな杉の木が見えますか」
突拍子のない質問に面食らいつつも二人は目を凝らして暗い山を見た。
「ああ、杉の木かどうかは分からないけど一本だけ突き出たのがあるのは見える――それがどうしたんだ?」
「お二人の足では何分であそこまで辿りつけますか」
「――そうだな、十分くらいかな」
「ボクじゃ二十分はかかりますね」
「なるほど、でしたら今から二十分後にあの木の下に集合ということにいたしましょう」
と言うとメイドは僅かに腰を落として片足を後ろに引いた。そして、
「ランブル・オン」
呪文のようなセリフを呟いた。
その瞬間――二人の前からメイドの姿は消えていた。音も気配もなく、まるで転移魔法でも使ったかのような突拍子のない消え方だった。
そして、
――ゴオオン
メイドが消えたのとほぼ同じタイミングで腹の底に響くような金属音が辺りに響き渡った。それは、町の中心にある教会の高楼に吊るされている巨大な鐘が鳴った音だった。
「……」
「……」
残されたケネスとフィルは同時に顔を見合わせて、それからまた同時に我に返り走り出した。大きな杉の木を目指して夜の街を進む――。
*
ノーム=ラッカーは宿のベッドでまどろみに浸りつつあったのだが、しかし突然響いた鐘の音で飛び起きた。
「はっ! ……な?」
上体を起こしキョロキョロと辺りを伺う。別段異常は起きてなかった――ただ、窓ガラス越しに見えるベランダにいるレターが自分を見てニヤニヤ笑っているのが見えた。
「むむっ――」
ノームは憮然とした表情を浮かべてベランダに乗り込んで行った。
「ちょっと、レター! 何も笑うことないでしょうよ」
拗ねたような口調で彼女が言うと、レターは穏やかに笑いつつ、
「ゴメンゴメン、なんだか臆病な小動物みたいで可愛かったんだ」
などと、取りようによっては歯の浮くようなセリフをごく自然な様子で言ったのだった。
「な、なな……バカじゃないの!」
「――――?」
照れて叫んだノームだったが、レターは罵られた理由が分からず首を傾げた。
「ええと、なんか気に障ったか? そうなら謝るけど――」
ピントのずれたことを言うレターを見てノームは脱力する。
(こういうとこあるのよね――コイツって……)
そして、
「いいわよ、気にしないで。怒鳴って悪かったわね」
半ば強引に話を切り上げて彼の隣の椅子に腰を落ち着けた。
少し磯の香りが混じった気持ちのいい風が吹いている。海に大きな月が浮かんだ、穏やかな夜だった。
「それで、さっきの音はなんだったの?」
「さあ? 教会の方から聞こえたけど――鐘突きが居眠りでもしたんじゃないか」
「ふーん」
何気なく話しつつも、レターはある一点――船の止まってない港の“ある場所“を見つめていた。
ノームはそれに気付いて、
「ひょっとしてずっと見てたの?」
と聞いた。
レターは少しくすぐったそうに微笑んで、
「信じるとか、信じないとか、そういう難しい判断はオレにはできないからさ――だから、せめて、出来るだけ真剣に向き合ってみようと思ってさ」
と言った。
昼に出会った少年バートは他の誰にも見えない“船”が見えると言った。それが<ブラックダイアモンド>なのだそうだ。しかし、誰にも信じてもらえず、それが原因で嘘つき呼ばわりされて、虐められていた。
バートは二人にも船が見えるかと聞いてきた。しかし、二人は答えられなかった。少年が指さす先に船など見えなかったからだ。しかし、その時、レターはとっさに「なあバート、明日も会えるかい? 良かったらその船の所まで案内してくれよ」と機転を利かせ、約束を取り付けてその日は別れたのだった。
「いじめられっ子同士の親近感とか?」
ノームは少しからかうように言った。今でこそ笑って話せるけど――というやつだ。
レターも軽く笑って、
「そんな大そうなもんじゃないけど――ただ、バートには、オレにとってのノームみたいな人間が居るのかなって思ってさ。もし、あの時、君が居なかったら、オレはもっと酷いことになっていたと思うんだ。それこそ世界そのものを敵に回してしまうような、そういう事態にさ」
「私は別に何もしてないわよ、レターを救ったのはリード会長やコイド先輩たちじゃない」
「もちろん、自治会関係のみんなには感謝してるよ。そのことがあって、オレは今こうして“危険”が最も強いこの町にいる訳だしね――でも、やっぱりノーム、君が居たからオレは立ち直ることができたんだ。こんなオレが前を向いて生きていられるのは君のおかげなんだよ」
レターがいつの間にか真剣な眼差しで自分を見つめている事に気付いてノームは狼狽した。しかし、そう気取られるのも癪なので、強引に話題を変えた。
「そ、そう。それは良かったわ――それより、もうピート先生に手紙は出したの?」
「ああ。ここか中央はそんなに遠くないから二三日で返事が来るはずだよ」
二人は話し合った結果、見えない船<ブラックダイアモンド>は何かしらの迷彩魔法がかけられているのではないか、という可能性も探ってみようということになり、恩師であり、あの世界最高峰の魔道師であるバスウッドに次ぐ稀代の魔道師との呼び声高い“影絵師“ピートに専門的な見解を求める手紙を出したのだった。
「とりあえず、手紙が来るまでは自力で何か探そうと思うんだけど、それでいいかな?」
「ええ、いいわよ――でも、レター自身は大丈夫なの?」
ノームは少し声のトーンを落として聞いた。レターには危険を気配として察知する特殊な能力がある。その能力に導かれて二人はこの地を訪れたのだった。危険を避けるためのレーダーとして活用できる能力だが、しかし、その気配がもたらすストレスは計り知れないようで、ルドラカンド学園が襲撃された際に敵が導入した超兵器の気配を感じた時など、危うく発狂しかけたほどなのだ。
ノームは彼の精神状態かずっと気になっていたのだ。
「もちろん怖いよ。今こうしている間にもすごいプレッシャーを感じる……でも、ほら、何度も言ってるだろ?」
レターは意味ありげな笑みを浮かべて話しを振った。
ノームはやれやれと呆れた様な顔になる。
「はいはい、分かってるわよ“正義の味方になるって決めたんだ”でしょ」
これは、この二人の間で幾度となく繰り返された――ある種の呪いのようなやり取りなのだった。




