新たなる英雄の心労 8
「――さて、そろそろ本題に入らせていただきます」
フィルたちの前に突如姿を現したメイド、ポーリン=ブリンクリーがそう切り出した時、彼女の前のテーブルには零れ落ちんばかりに空の皿が積み上がっていた。
フィルは最初のうちこそアイナ=イシトールの名を口にしたポーリンを警戒していたが、今となっては――その衝撃的な食事の様子を目の当たりにした後では、そちらにばかり気が行ってしまって、
「――すごくお腹空いてたんだね」
わざわざ話しを遮ってそんな質問を投げかけていた。
メイドはその大人びた顔を少し傾けて、
「いえ、別に」
と言った。
(これが普通だというのか――だとしたら本当に空腹のときは一体どれだけの……そもそも、今日にしたって店員に「もう食いもんがねえんだよ! かんべんしてくれぇ……」と泣きつかれたから食事を止めたのであって、今この時点で彼女は満足していない。まったく底が見えない……このメイドの腹の中には異次元空間でも広がっているとでもいのか――)
「フィルグランドさん……」
ケネスに肩をゆすぶられフィルはハッとなった。ケネスが自分に向けているあきれ顔を見て、今はメイドの食欲について考えている場合ではない事を思い出した。気を取り直してメイドに向き直る。
するとポーリンは静かな口調で話し始めた。
「まず、私はアイナ様に仕える使用人でございます。そして、アイナ様より命が下ったので、こうしてお二人の元へ馳せ参じました。
最初に申しあげておきますが、このたびの旧貴連合による企み事にアイナ様は関与しておりません――と言ったところで信じてはいただけないでしょうが、事実ですと念を押しておきましょう。
さて、私に下された任務ですが、それは、お二方のサポートと伝言役の二つになります。伝えるべきことは既に伝えたので、これからはどうぞ私をなんなりとこき使って下さい――という所で、説明を終えたいのですが、何か質問や不明な点はありますでしょうか?」
ポーリンは淀みなくサラっとした口調で言うと、二人の様子を伺った。
ケネスが口を開く。
「伝言というのは、先ほど言っていた<ブラック・ダイアモンド>というのですか?」
「はい」
フィルとケネスが顔を見合わせる。釈然としない面持ちだ。
「それはいったい何なんです? あのアイナ=イシトールが使者まで出して伝えたということはよほどの意味があるんだろうけど」
続けてケネスが問うた。
メイドは涼しい顔で、
「今回の件の中心にあるモノ――それが<ブラック・ダイアモンド>だ。と主人は申しておりました」
と答えた。
「それだけですが? それがどんなモノで、どんな効果があるのか、どういう意味があるのか――そういう踏み入ったことは何か言ってなかったんですか?」
「はい」
間髪置かず肯定したメイド。
それはつまり――アイナに裏の意図があれば話は別だが――その言葉を信じるのであれば、アイナ=イシトールもこれから起こることの全容を掴めていないということになる。それでも、ある程度の動向を知ったからフィルたちの元に使者を寄こしたのだろう。
ケネスの心は揺れていた。今の話を信じるべきか、どうか――今は藁にもすがりたいほど情報が欲しい時だ。しかし、情報源がアイナ=イシトールとなると、それは何とも怪しい。
ケネスは続けて問う。
「そもそもアイナ=イシトールの目的は何なのですか? 西部の町を混乱に貶めた張本人が、僕らに協力するだなんて、まるで意図が読めない」
「主人は旧貴連合のやり方に不満を持っているようで、しきりに“気にくわないわ”と言っておられました」
「なるほど――」
悪者の美学などケネスには到底理解できない。だから、協力を決めた根拠をこれ以上掘り下げても無駄だと察した。
ケネスは、今度はフィルに向かって、
「もし今の話が出鱈目だったとしても、僕たちに損はありません――なぜなら、僕たちはロクに情報を持っていないからです。我ながら情けない話ではありますがね……
ですから、僕はポーリンさんの話を元にこれから行動してもいいと思います。
フィルグランドさんはどうお考えですか?」
しばらく黙っていたフィルだったが、ケネスに問われて、一度「うーん……」と唸ってから、
「でもさ、オレ一人じゃ何かあった時に二人同時に守りきれる自信が無いんだよ――それが問題だ……」
と、違う所で悩んでいたことを明かした。
「まだそんな話をするのは早いんじゃないですか? あのアイナ=イシトールの関係者がさし向けてきた人ですよ? まずはその信ぴょう性を吟味しないと」
しくじれば五十人以上の訓練兵が死んでしまう――そういう瀬戸際に立っているというのに、どうもこの少年は呑気すぎるきらいがある。ケネスは呆れと苛立ちを同時に感じていた。
しかし、フィルは、気の抜けた風で、
「いやさ、オレ、あんまり頭良くないから良く分からないんだよ。それに、色々考えたところで結局やることは一つじゃん?」
などと緊張感の欠片もなくいう。
ケネスは突っかかって行こうと口を開きかけたが、ポーリンに先を越されてしまった。
「フィルグランド様、差し出がましいようですが、それは聊か私を見下げすぎています――このポーリン=ブリンクリー、決して足を引っ張るようなことはございません」
少し強い口調で言うとメイドはすくと立ち上がり、
「今から証明してみせましょう――」
と言って、さっさと店から出て行ってしまった。
「い、いったい何を――」
ケネスは嫌な予感を覚えてその後ろ姿を追った。
フィルは、
「待ってくれ、ここの代金――オレが払うの……?」
領収書をつまみあげて青ざめた。




