お嬢様ご乱心
早朝――荒野。
そこは小さな村だった。
「――では、よろしくお願いします」
「は、はあ」
鎧を着た男が去っていく。みすぼらしい服を着た白髪の老人は、それを力のない目で見つめていた。
「長老――?」
兵士と入れ替わるように、髭面の巨漢が部屋に入ってくる。
「今のはエレドペリの軍人じゃないですか? なぜ王家直属の軍人が、こんな小さな村に――」
老人は力なく椅子に体を預ける。
「どうやらエピスマス遺跡の守護者が倒されたそうじゃ……」
「な――まさか!?」
「本当じゃ。門番が居なくなり、ダンジョンが解放された――これから攻略が始まるじゃろう。この村も賑やかになるかもしれん――もっとも、その頃のは、ワシらは村を追い出されているだろうがな」
巨漢の顔に苦悶の表情が浮かぶ。
「やはりそういう話でしたか。村を明け渡せと言われたのですね」
「戦火の巻き添えを食わんよう避難しろ――と言われた。まあ同じ意味じゃろう」
「戦火――争いが始まるのですか?」
「エレドペリとカタードスが遺跡の所有権を主張しあい、話がこじれているそうじゃ。まったく……ダンジョンが解放されたとたんにこれじゃ。門番が居たころはどこの公爵領地も見向きもせんかったというのに……。遺跡は戦場になる。すでに両軍のキャンプが設営され、開戦は近い」
「そう――ですか……皆にはなんと?」
老人は頭を振った。そして、諦めの浮かんだ顔で言った。
「村から逃がすしかあるまい。生きてこその物種じゃ」
「しかし、この村は俺たちの――」
「分かっておる。ワシも悔しい――腸が煮えくり反っておる。しかし、ワシらに戦う力はない――それは事実じゃ。諦める他無かろう」
「そんな……しかし――――」
巨漢の男は、言葉を探しているようだったが、拳で自分の膝を打っただけで、結局なにも言えなかった。
*
手狭な部屋の中には、学習机と粗末なベッドが二つ。権力者の子供たちが通うエレドペリ学園では最低ランクの施設といえる。
小井戸浩平は既に半日近く、この牢屋のような部屋に軟禁されていた。
「もう我慢ならん! 俺は逃げるぞ。逃げるからね」
泥棒のような足取りで入口に駆け寄り、音を立てないようにドアを開ける。すると、
「あっ」
ドアの向こうには女生徒が立っていた。
先端がカールしたロングの赤髪、ばっちり化粧した華やかな顔、耳や首元には金や宝石でできた装飾品が付けられている。
小井戸の顔が青ざめ、ガタガタ震えている。
「お、お帰りなさい……ペトリさん」
ペトリと呼ばれた女生徒は、口の隅を吊り上げ嗜虐的に笑う。
「ただいま、コイドくん。それで、どこに行く気でしたの?」
「べ、別にどこにも――」
「そうですか。課題が終わったんですね? そうですかそうですか。それなら出て行ってもかまいません。さあ、見せてください。」
「あ、いや――」
ペトリは机に広げられたノートを摘み上げ、しげしげと見つめる。
「真っ白ですわね」
「あ、あの――トイレに」
ペトリがコイドに顔を近づける。満面の笑みであるが、小井戸は冷や汗をかいてガタガタと震えている。
「私言いましたよね。課題が終わるまで帰さないと――当然ですわよね、私たちペアになってしまったのですから」
「だからって、こんな部屋まで借りること――」
「問答無用」
「しかしですね――」
「おだまり」
「…………はい」
事の始まりは魔法学の授業だった。課題が出たのだ。二人でペアを組み、一つの課題をこなす。
課題自体は簡単なものだった。ほとんどすべての生徒が授業時間中に課題を終わらせていた。
しかし、小井戸はまるでダメだった。初歩の魔法陣に魔力を送り、起こる現象を観察し、ノートに書くというだけの課題が全く進まない。小井戸は一度も魔法陣を発動することができなかった。
「ねえ、やっぱり俺が観察役をやるよ。ペトリさんなら魔法陣を発動できるでしょ? そうすればすぐ終わるじゃないか」
ペトリは机を挟んで小井戸の正面に陣取り、頬杖を突きにこやかに笑っている。
「それでは、あなたのためになりません。魔法学は必修科目で、卒業するまであるんですよ? 躓いたままではいけないでしょう」
「うう……だったら黙って見てないで、せめてアドバイスの一つでも」
「それではつまらないでしょう? 私は悪戦苦闘するあなたを見て退屈を凌いでいるというのに、アドバイスだなんてとんでもない。さあ、頑張って課題に励んでください。私はしっかり見ていますから。大丈夫です、この部屋は明日の朝まで借りています。それに、食料も買ってありますから、心置きなく悪戦苦闘してください」
ペトリは花のように美しく笑った。小井戸にはそれが人を篭絡させる悪魔の微笑にしか見えなかった。
*
エピスマス遺跡近郊――カタードス軍キャンプにはピンと張り詰めた空気が流れていた。
キャンプの中で一番大きなテントに一人の兵士が走っていく。
「大将――密偵からの情報が入りました」
「入れ」
風よけの布を避け、兵士が暗いテントに入る。
そこには金色の鎧を着た男が居た。細身ではあるが、後ろに流した赤髪の下の瞳は鋭く、歴戦の勇士たる風格を持っている。
「敵の数は五百――王族親衛軍の精鋭部隊も出張っているようです。敵本陣は我が軍キャンプと遺跡を挟んで二キロ先にあるそうです」
「そうか」
「こちらから仕掛けますか」
「奇襲は無しだ。ぎりぎりまで動くな」
「しかし――」
「命令だ」
「……了解」
兵士はテントから出て行った。
「はあ――――」
赤髪の男は大きく息をつき目を閉じた。
*
「さあコイドくん、どんどん飲みなさい。今日は私のおごりよ。さあさあ」
「はあ――」
小井戸はグラスに注がれた赤い液体を一気に飲み干した。
「ふう――」
「うふふ。いい飲みっぷりね! イケるじゃない。コイドくん、魔法はダメダメだけどお酒には強いみたいね」
「日本のサラリーマンを舐めんでください。酒に飲まれてからが本領発揮です」
「さらりー? ヒック――なんですの、それは?」
「いえ、なんでも。それより、ペトリさんはもう止めたほうがいいんじゃないですか? 明日の朝後悔しますよ」
ペトリは完全に酔っぱらっていた。首の座っていない赤子のようにフラフラと揺れている。
「そうですわね……そろそろ寝ましょうか――」
千鳥足で移動し、ばふっとベッドに倒れる。
「コイドさん――ちょっと来てください。ブーツを脱ぐのを手伝ってくださいませんか」
「は、はあ」
ペトリは仰向けになると、片足を高く上げる。
小井戸は、捲れ上がった制服のスカートに気を使って、目をそらしつつベッドの横に移動した。
「どうすればいいんです?」
「結び目を解いてください」
「はあ――」
結び目というのを探そうと小井戸が少し近づくと、
「お? おおお――!」
「うふふ……」
ペトリの腕が伸びてきて、小井戸はベッドに倒れる。
「ちょ、ちょっと、何やってんですか!」
「逃げてはいけませんよ」
小井戸は逃げようともがいたが、ペトリの腕や足が体に絡みついてきて、身動きが取れなくなった。
仰向けに寝ろがった体制の小井戸の耳に彼女の熱っぽい囁きがかかる。
「コイドくん――私を抱いてください」
「な、なにを言って――そんなことできません」
「……私じゃ嫌ですか?」
「べ、別に嫌とかじゃ」
「ならお願いします――抱いてください」
「ペトリさん!」
小井戸が力いっぱいペトリを押しのける。すると、彼女の体は簡単に離れた。
早鐘を打つように落ち着かない鼓動を感じながら小井戸は寝転がったままのペトリに視線を移す。
「ペトリさん?」
ペトリは体をくの字に曲げ、自分の体を抱きしめていた。その唇はわなわなと震え、きつく閉じられた瞳からは涙が零れている。
「どうしたの? どこか痛いの?」
「いえ……ごめんなさい。私――私……不安で、心細くて、一人でいたら頭がおかしくなってしまいそうで……もう耐えられなくて」
「ペトリさん――」
「うう、ううう……」




