良心の解放者 6
「ケイロスの会は危険な団体です。私は見ました――あそこの信者はコーヒーにミルクを注ぐような気軽さで人を殺そうとしたんです。それも、ただ口喧嘩に負けたという理由だけで! 信じられますか? 私はとてもじゃないけど信じられません!」
「リアが信じられないんじゃ誰も信じてくれないんじゃない?」
「――確かに! ……いや、違うでしょ。言葉のアヤってやつでしょ。もー、上げ足とらないでよ」
ケイロスの危険性を世に知らせようと立ち上がった新聞記者ケネスが失踪したことで、裏で何か起きていると確信したアメリアは、方々駆け回って事情を話した。しかし、誰も取り合ってはくれなかった。残念ながら彼女の訴えには根拠が伴っていなかったのだ。
そこで実力行使に出ることにした。
ルームメイトのマリーに協力してもらい、ケイロスの危険性を説く内容のビラをこしらえ、こうしてメイン通りの一角に陣取り、さっきから声を張り上げている。
「だってさあ、誰も見向きもしないじゃない。言いたくはないけど――無駄なんじゃない? これ」
アメリアを溺愛しているマリーですら呆れ始めている。彼女の言うとおり、誰もアメリアの演説に耳を傾けたりせず、ましてや二人が目の下にクマを作ってまで作ったビラなど、一枚として彼女の手から離れてはいない。
「マリーまでそんなこと言うんだ……でも、私は諦めないもん。私見たもん。ケイロスの連中が銃を取り出したところ――それに、このまま放っておいたらケネスが浮かばれないじゃない」
「リア……」
マリーは、拗ねて子供口調になったアメリアに激萌えしつつ、それはそれとして、彼女の真剣さを伺い知ったのだった。
「ゴメンゴメン、ほら、半分貸して。私も配るの手伝うわ」
「マリー……」
熱っぽい眼差しで見つめ合う二人――通行人たちの視線が初めて二人に集まった瞬間だった。
「おーい。アメリアちゃん」
そんな二人の元にエプロン姿の女性が駆け寄って行った。アメリアと仲の良いパン屋の女店主である。
「あら、おばちゃん。どうしたの?」
「何やってるか知らないけど、随分頑張ってるみたいだったからさ、ほら、さし入れ」
といって、取り出したのはバスケットいっぱいに入ったパンだった。焼き立てらしく香ばしい匂いが漂っている。
「やった! アリガトおばちゃん」
「二人で食べてね」
「いただきます、おばさま」
有難く受け取って、これは私、いや私――と姦しく分配会議を始める二人だった。
「それじゃ、あたしは――」
「ああ、ちょっと待って!」
店に帰ろうと踵を返しかけた女店主にアメリアが急いでビラを渡す。
女店主はそれをしげしげと眺め、
「ケイロスの会? お年寄りを労ったりしてるのかい?」
「それじゃ敬老の会でしょ――って、おばちゃん、知らないの? ケイロスのこと」
「初めて聞いたねえ。危ないって書いてあるけど、なんなのケイロスって」
「い、いや――」
女店主は今度こそ店に帰って行った。
その後ろ姿を茫然と見送る二人の軍人。
「ビラを作る時、ケイロスの会について説明しなくていいの――って私言ったよね?」
「だ、だって、国民投票の立役者だって聞いたから、てっきり有名なんだと――」
「その時はまだ名乗って無かったとか」
「――有り得るかも」
「そもそも、誰も宗教なんかに興味無いんじゃない? そんなふうに見えたけど」
「――――うん、私も」
ケイロスが危険なことは確かだ。しかし、ここまで大仰に訴える必要はあったのか――自分の行動に疑問を持ち始めたアメリアだった。
*
フィルは軍から通達された指令通り、ケイロスに通い詰めていた。しかし、爆発事件とケイロスの関係性は依然見えてこない。もう一歩踏み込んだ捜査を始めるべきかもしれない――とは全く考えていないようだった。
「ありがとうございました。とても助かりました」
「いえいえ」
老婆は大仰に頭を下げて、それから大きな籠を背負って歩いて行った。
フィルは農作業で心地よく疲労のたまった体を伸ばしつつ、空を見上げる。 ――ああ、今日も何の成果も上げられないまま日が暮れてしまった。
つぎに、耕された畑を見下ろす。 ――でも、おばあさんの手伝いができた。凄く感謝してくれたし、やってよかったなあ。
「ケイロスの会――本当にいいところだ」
この男は、最初に会を訪れて以来、ずっとこんな調子なのだった。
「それは、ありがとうございます」
突然声が聞こえて、フィルはそちらを見る。いつもと変わらない穏やかな顔を引っ提げあぜ道を歩いてくるのは、教祖リカクである。
「どうも」
フィルは恭しく頭を下げた。
「ここの暮らしには慣れましたか?」
「ええ、それはもう。いっそ、仕事なんて止めて、一日中施設内の仕事を担当したいくらいです」
ケイロスの会では共同生活の態を取っているが、日中外で働いている信者も少なくない。優しくあれ――という共通目標がある以外は、自由な気風の団体なのだ。
「そう言ってもらえると、わたしも嬉しいです」
頬笑みを強める教祖。
「ところで、何か御用ですか? 教祖様がこんな所にいるなんて珍しいじゃないですか」
「ええ、それなのですが――」
と、急に教祖の顔に陰りが見えた。
それは、常に優しげに微笑んでいる彼にしては珍しいことだ。
「ど、どうされたんです? 何かあったんですか?」
「それが、悩みがありまして――迷惑でなければ、フィルグランドさんに聞いてほしいと思いまして」
「迷惑だなんて! オレなんかで良ければ、何でも相談してください」
「――そうですか……」
リカクは何度も頷き、目元の湿り気を拭ってから、遠い目で話し始めた。
「わたしは、優しい世界のために全力で会を育ててきました。幸運なことに、本当に優しい心を持つ皆さんが集まってくれました。とても喜ばしいことです。この施設の中は、優しさで溢れています。
しかし、まだ足りません。
わたしはこの世界全てを、優しさで満たしたいのです。誰も悲しまず、誰も虐げられない、優しくて温かい世界を実現したいのです。
フィルグランドさん――わたしは強欲なのでしょうか――それとも荒唐無稽な夢想家なのでしょうか――心はきまっているのに、わたしは不安で仕方が無いのです……」
フィルは力強く即答した。
「不安に思うことはありません! 貴方の考えは正しい。絶対に正しい」
「ありがとう……」
教祖はその言葉を噛みしめるようにゆっくり頷いて、
「あなたのおかげで今度こそ決断することができました――フィルグランドさん――わたしは、この国を裏切ります!」
そう宣言したのだった。




