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良心の解放者 1



 その男は誰からも無視されていた。というより、明らかに“アレ”な様子なので、誰もが近寄らないのだ。フラフラと危うげな足取り、前髪を顔に垂らし、手をだらりと下げて彷徨うように歩いている。

 そこは西部の町のメイン通りだった。時間は夜。全ての店が明かりを灯し、人々は仕事の疲れを癒すため、娯楽を求めて出歩いている。

 そんな賑やかな通りを、その男は進んでいく。

 そして、通りの中ほどにある大きめな酒場に入って行った。


「――ッてえな! てめえ」


 店の入り口で、偶然店から出てきた男と肩がぶつかった。ボロ布のような服に土や油で汚れきった肌。炭鉱にでも努めているのだろう。したたかに酔っており、気が大きくなっているようだ。ぶつかって来た男の胸倉を掴みあげた。


「おい、人にぶつかっといてよぉ、一言もなしってのはどういう了見――だ……」


 相手の顔を見た瞬間、酔いがさめた男だった。


「…………」


 その男は、どこも見ていない。顔はこちらを向いており、黒目の焦点も自分に合っているのに、しかし、一切何も見ていない――それが分かったのだ。


「チッ――」


 不機嫌そうに相手の服から手を引いて、千鳥足でその場を離れる男だった。


――男は直後に思い知ることになる。このタイミングで酒場を離れた事がどれだけ幸運だったか……。


 酒場はにぎやかだった。どのテーブルにも客が満員で、空いているのは隅っこのカウンター席が一つだけ。

 男はフラフラと吸い寄せられるようにその席に座った。

 すぐさま店員の少女が駆け寄って来る。


「いらっしゃいませ。なにを出しましょう」


 まだ若く、元気な少女だった。


「……」


 その声に反応したのか、男が少女の方に顔を向ける。


「――あ、あのぉ」


 店員の少女は、この人物が普通じゃないと、ようやく気付いた。しかし、彼女とて仕事でここに立っている。注文を受けるまでは帰れない。

――すぐに逃げていればこの少女も助かっただろう。しかし、この時点では、そこまでできる訳も無く――


「あ――ああぁぉぉぉ」


 男は喉から不気味な呻き声をおらしつつ、少女の白くて細い手を握った。


「ヒッ……!」


 客のセクハラにはそれなりに耐性のある彼女だったが、この客の行為は常軌を逸している。物凄い力で手を握られている。男は、目玉が飛び出しそうなほど目を剥いて、少女の手を見つめている。


――そして


 男の目から白い光が溢れ、酒場にいた全員の目が一斉に眩む。

 絶望的な“破壊”が起きたのは、その直後だった。



 *



 その日、西部基地の中は蜂の巣をつついたような騒ぎだった。

 フィルが来客用の宿舎に辿り着くまでに、三十人以上の軍人とすれ違った。何かが起きたのは明らかだが、彼はまず報告を済ませる必要がある。事情を聴くのはそれからだ。

 さながら王の居室のような巨大な扉の前には二人の見張りが付いている。フィルは先ほど西部基地の責任者からもらってきた許可証を見せる。

 見張りの二人は、どう見ても子供にしか思えないフィルを訝しげに見たが、許可証は紛れも無く本物なので、渋々と扉をノックして中に呼び掛けた。


「コイド様――面会人です」


 すると中から落ち着いた声が帰ってくる。


「誰だ」

「フィルグランド少尉です」

「そうか、許可する」


 その言葉を受けて、見張りは僅かに扉を開け、視線でフィルに入室を促した。最後まで不機嫌そうな顔だった。

 フィルが部屋に入るとすぐに扉が閉まる。

 

「失礼します、英雄殿」


 フィルが慇懃な態度で言うと、


「勘弁してくれ――コイド」


 懲り懲りだという風に頭を振って言ったのは、英雄コイド=コウヘイと呼ばれている人物である。



 フィルはルポーロ山脈で見聞きしてきたことを報告した。本来であれば、まず直属の上官に報告するべきであるが、事が事だけに、その工程を省いたのだ。


「まさか、アイナ=イシトールが出張ってくるとはな」


 アイナ、引いてはかつての五大貴族がついに動き出したのは確実。この情報の扱いは非常にデリケートである。危ないから注意しよう――などと明け透けに発表すれば、国民たちに混乱を招く。といって、静観しておくことはできない。だから、基地の上層部ではなく、軍の総帥である彼に報告を優先したのだ。

 英雄はしばらく考えてから、肩をすくめてみせた。


「オレの手に余るな――中央に報告しておこう。メシアやリードたちの方が正しい判断を下せるだろう」

「軍のトップがそんな投げやりでいいの?」

「だから、勘弁してくれよ。何度も言ったが、オレだって“英雄“なんて肩書を背負わされて疲弊しているんだ。今からでもお前に変わってほしいと思っているんだぞ」


総帥と少尉――人々を救った英雄とただの一般人――どの角度から見ても、この二人は対等な立場ではない。しかし、二人の会話は、気心知れた友達同士のそれだ。


「まあ、悪いとは思ってるよ。でも、オレだっていろいろ大変だったんだ。それに、国のみんなはエイモスくんが英雄だと思ってる。今更変えられないよ」


 偽名を名乗り生きる男、エイモス――彼は、窓の外に視線を流して、かすかに笑みを浮かべた。


「まったく――学園の中庭で一緒に飯を食ってた頃が懐かしい」

「エイモスくん――」


 フィルは複雑な表情だ。


「まあ、昔を思い出しても仕方が無いか。今はやるべきことが沢山ある――とりあえず、その赤の盗賊団の方は大丈夫なのか?」


 すぐに表情を引き締め直したエイモスだった。

 フィルも仕事モードに頭を切り替える。


「一週間様子を見たけど、襲撃どころか偵察を差し向けてくる気配も無かった。とても信じられないけど、アイナの言った“手を出さないであげる”ってのは本当みたいだよ」

「きな臭いな――」

「オレもそう思う」

「それで、アイナ=イシトールを止めたという訓練兵はどんな人物だ。強いのか?」


 フィルは首を傾げる。


「強いといえば強いけど、どんな人物かといわれると――負けず嫌いで喧嘩っ早い女の子って感じかな」

「それだけ聞くとアーネットみたいだな。コイド様とかいって溺愛されてるんじゃないか? お前」

「今のオレはフィルグランドだよ。それと、溺愛どころか、凄い嫌われてるよ……」

「お前にしては珍しいな」

「どういうこと?」


 本気で聞き返すフィル。エイモスは呆れ果てて対応を断念した。


「山賊の一件は、まあ、中央の判断待ちといったところだな――それより、今はこの西部の町が大変なことになっている」

「ああ、みたいだね――基地の中が凄い騒ぎだった。なにがあったの?」


 エイモスは、覚悟を決めるような間を取ってから、


「三日前、メイン通りのとある酒場が吹き飛んだ――」


 衝撃的な事実を告げた。


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