少年と女兵士 1
崩れ落ちる町、空を覆う炎。
その女性は私を見上げていた。こんな地獄の底のような場所に居ながら、彼女は陽だまりのような笑顔を浮かべている。
私はその笑顔を見て堪らなく切なくなる。
――これは夢だ。
何度も繰り返し見る悪夢だ。
この後、何が起こるか私は知っている。だから堪らないのだ。
――私は剣を持っている。
その切っ先が天を指す。私の手中にありながら、私の意思を汲み取ってはくれない。
勝手に動いて、勝手に人を殺す――呪われた剣。
『私は悪くない……』
叫び散らしたいが、声を出すことは許されない。きっと、神様が私の喉を潰してしまったのだろう。
『その剣は――貴様その物だ』
そう戒められているような気さえする。
――どうか許して。
――でなければ、罰を与えて。
あの日以来、私は願い続けている。
夢の中でも、現実の世界でも。
――しかし、やはり剣は振り下ろされる。
体を切り裂かれ、床に横たわったその女性は、それでもまだ微笑んでいた。これで良かった。私は満足よ。そう言っているように見える。
『そんなはずないじゃない』
思うけど、やはり声は出ない。
やがて、火の手が強まり、視界が赤く染まっていく。
今ここで失われた命の事も、私の抱える罪も――全てを覆い隠すかのように、全ては炎に包まれる。
――そして夢は終わる。
*
部屋の中まで喧騒が届いていたから薄々は分かっていたけど、兵舎を出た瞬間、予想は全く裏切られた。
メイン通りはこの辺りで一番の商店通りであり、元々賑やかなのだが、ここまで人が多いことはさすがになかった。
人の数は普段の三倍はあるだろう。それを見越して集まった物売りのテントが笠を並べている。普段なら私に声をかけてくれる行きつけの店のおばさんも、今は客の波に溺れて目を白黒させている。私に気付くはずもない。
「なんだかなぁ……」
思わず不景気な呟きが漏れた。
別に人混みが嫌いなわけじゃない。むしろ賑やかなのは好きなほうだ。それなのに、どうも乗り切れないのは、きっと夢の余韻が後を引いているからだろう。
それと、そもそも、私はこのお祭り騒ぎを楽しいイベントとは思っていないのだ。
どんな用事があるのか知らないが、こんな山沿いの僻地に英雄コイド=コウヘイがやってくるなんて初めての事だ。皆が浮足立つのは分かる。
しかし、私に限って「一目見ておこう」なんてミーハーな気持ちは無い。まったく逆と言ってもいい。
私はいつかコイド=コウヘイを――――いや、これ以上考えるのはやめよう。さらに暗くなりそうだ……。
兵舎を出てから半時ほどが経過した。私は人の波に酔っていた。ちょっと気分が悪い……。休めるような場所は見当たらない。英雄が通りかかるまでもう少し時間があり、しかし、兵舎に引き返すほどの時間は無い。お手上げだった。手頃な路地にでも逃げ込んで休憩しようか。でも、路地に出るまでが地獄だろう。波というやつは逆らえば逆らうほど此方に噛みついてくる。今の私じゃとても耐えられそうにない。
どうしようかなぁ……途方に暮れている、そんな時だった。
「――れか……だれか――!」
遠くの方で切羽詰まった声が聞こえた。聞き覚えのある声――たぶん、パン屋のおばちゃんの声だ。
その瞬間、私は走り出していた。自分でも驚くほど機敏な動きで人の間を縫うように進む。その時には気分が悪かったことなど、すっかり頭から抜け落ちていた。
しばらく走ると、おばちゃんが見えてきた。通りに向かって必死に叫んでいるけど、誰も反応しない。誰が悪いとは言わないけど、ちょっと腹が立った。それはともかく、
「どうしたの、おばちゃん。何かあった?」
急に現れた私を見て、おばちゃんは驚いた顔をした。
「あ、アメリアちゃん! よかったよぉ――あのね、この向こうで男の子が変な男に絡まれてるんだよ。私じゃどうしようもないから助けを呼んでたんだけど」
「わかった――」
私は急いだ。おばちゃんが指さしたのは家と家との間にできた細い路地だった。仄暗くてひんやりと冷たい道をしばらく進むと、それらしき二人が見えてきた。
壁に背をくっつけて立っているのは、まさしく“少年”という感じ。私より五つは幼いだろう。軍服のようなすらっとした黒い服を着ている。少し長い髪も真っ黒。しかし顔はミルクのように白く、透明度が高い。一瞬男か女か迷ってしまうほど整った顔。少年は急に走り寄って来た私をぼんやり見ている。
私が来たからには安心よ――なんて格好つけてみようかと一瞬考えたけど、おばちゃんの言う“変な男”と思しき人物の顔を見た瞬間、それどころではなくなった。
「ダイル? 貴方……」
さすがに言葉を失う私だった。
このウェーブのかかった金色の長髪を引っ提げた男と私は“同僚“という関係なのだ。正確には、国防軍西部基地付属兵卒養成校舎所属第六部隊に所属する同期生だ。
民を守る兵士になろうと学んでいる人間が子供に何かしら不法行為を働こうとしている現場を目撃してしまった。
――いや、まだ分からない。ただ話していただけかもしれないし、あるいは助けていたのかもしれない。
このダイルという男がおよそ褒められた所の無い小ズルく、陰険な人物だと、嫌になるほど知っているとしても、決めつけるのは良くない。話を聞こう。
「ダイル――ここで何してたの?」
私が手短に問うと、男は気取った手つきで長髪をファサと掻きあげ、ニィっと不愉快な笑いを口元に浮かべ言った。
「迷子を助けていたのさ。可哀そうに――この子、親とはぐれたそうだよ」
演技かかった口調。しかし、まあ、この人はいつもこんな感じだ。一概に「ウソだ」と突っぱねることも出来ない。
「ほんとう? ちょっと信じられないかも」
「おやおや、何故です? ボクが嘘をついているとでも?」
「いや、べつに――」
「心外ですね。どうして疑われなければならないのか」
「だからそんなこと言って――」
「少しばかり成績がいいからって有頂天になってるんじゃありませんか、アメリア=ウォルターズさん? でも可哀そうに……知っていますか? 貴方、とても評判悪いですよ。上官たちは生意気だと言っていましたし、ボクのお友達は皆貴方を嫌っています。きっと、人を疑うような人間だからでしょうね」
うわぁ……嫌われてるのは知ってるけど面と向かって言われると傷つくなぁ。いやいや、そんなことより、話をすり替えられた。やっぱりやましいことがあるみたいだ。でも、このまま話していても言い負かされる。口じゃ勝てない。なにか、方法を考え萎えれば――と、考え出した時だった。
私的に、ちょっと聞き逃せないセリフが聞こえてしまった。
「だいたい、女のくせに軍に入ろうだなんて、その考えが間違って――」
ああ、ヤバいな――と自覚したのは、私の拳がダイルの憎たらしい顔をぶん殴り、ぶっ飛ばし、「ギャフン」という不様な声を上げて地面にたたきつけた、その後だった。
「あぁ……い、痛い! 凄く痛いッ!」
口喧嘩で手を出した方が負け。子供でも知ってる喧嘩の真理。私だって分かっていた――つもりだ。
でも、どうも駄目なのだ。
女だから、とか。子供だから、とか。そういう言われ方で括られるのが私は大嫌いなのだ。というより、もっと簡単に言ってしまえば、負けず嫌いなのだ。私は。
カッとなりつい手を出してしまう。
「ああ、ええと――ゴメンね」
「許す訳無いだろ暴力女! お前……上官に報告するからな!」
「ええ、それは勘弁して――くれない、かな?」
上官に嫌われている理由というのが、その負けず嫌いに起因していたりする。これ以上嫌われたりしたら――軍って解雇されたりするんだろうか……。
ダイルはもう完全に怒ってしまったらしい。非常にまずい。
――と、ずっと沈黙していた少年が、急に動いた。何をするのかと思えば、地面に這いつくばって喚き散らすダイルの方に歩いて行って、何やら落っこちていた“物“を拾い上げた。
「あっ――お前」
それを見たダイルが酷く動揺した。少年の服の裾をひっつかみかけて、私を見て留まった。
少年は私の前まで来て、拾った物を差し出した。
受け取って確かめる。
「これは――お財布?」
紙幣を折らずに仕舞えるタイプの革財布だ。
「今、殴られた拍子にあの人の服の中から落ちたよ」
中を検めてみる。
「うひゃ」
思わず変な声が出た。見たこともないような厚みの札束……これだけあれば向こう十年は遊んで暮らせそうだ。
じゃなくて!
札の間に折りたたまれた黄色い紙が入っていた。これは行政機関が発行している身分証明書だ。
開いてみる――そして、私は鼻高らかに微笑み、オドオドしているダイルに向き直る。
「ねえダイル。さっき貴方、迷子のこの子を助けていたって言ったわよね」
「…………」
この時のダイルの顔ときたら。さっきまでの余裕はすっかり無くなっている。
私は満を持して革財布から出てきた身分証明書を見せつけてやる。
「いつ改名したのよ、ダイル――いえ、フィルグランドさん? 貴方の服から落ちた財布に入っていた紙にそう書かれていたのだから、改名したってことよね?
でなければ、このお財布は貴方の物じゃないってことになるけど」
ダイルは苦し紛れに喚いた。
「それを拾って届けようとしていたら、その少年に出会ったんだ!」
苦しい、あまりにも苦しい。さて、どうとどめを刺してやろうか。と考えていると、
「――――?」
肩をぽんぽん叩かれそちらを見ると、少年は上着の首元のボタンを三つほど外し、胸の辺りの裏地を見せた。
そこには、金色の糸で“フィルグランド”と刺繍が入っていた。
――フィルグランドは僕の名前だよ。
ということだ。
「そ、そうか、それは君の財布だったか! いやいや、持ち主が見つかってよかったなあ」
さすがにもう無理でしょ――憐れみの眼で見てやる。
するとダイルは、
「あ、ちょっと!」
凄いスピードで逃げ出した。
追いかけようと思ったけど、服の裾を掴まれて制されてしまった。
「よかったの?」
「うん。大丈夫」
何が“大丈夫“なのか分からないが、まあ本人が言うならいいか。と思うことにした。
ひとまず、これで軍を解雇される危険はないだろうと胸を撫で下ろす私だった。




