枢軸への旅 20
浩平の強さは圧倒的だった。九十一階層までの悪鬼フィルグランドと呼ばれていたころと比べても明らかに数段力を増している。もはやルーが手を貸す必要さえなく、それどころか、共闘することで足を引っ張ってしまう場面すらあった。それほど浩平の戦いぶりは洗練されていた。
九十九階層へ下るのは、今の浩平にしてみれば大したハードルではなかった。気まぐれにレベル上げをこなし、何の覚悟も準備もなくボス部屋に入り、たちどころに主を仕留めると、さっさと階を下る。ダンジョン攻略はクライマックスに差し掛かっているというのに、なんともあっさりとしたものだった。
石造りの神殿――
「がっ――かはぁ……」
ついさっきまで王座に腰を据えていた甲冑の男は、怒りと憎しみに顔を歪めて地に伏した。そして、余韻も残さず消えて無くなった。
その男こそ九十九階層の最深部に陣取っていた階層主だった。
これで浩平はダンジョン内の全てのボスを倒したことになる。
「やった、これで帰れる!」
何なく敵を切り伏せた浩平は氷の剣を片手に持ったまま子供のように喜んだ。
「いや、そういう訳じゃないだろうよ。最後のボスにしては弱すぎる――まだ何かあるはずだ」
フィラカルティーは冷静に言った。確かに、これで終わりだとしたら理不尽なほど拍子抜けである。
男の指摘はすぐに真実だったと分かる。
「ねえ、ここに浩平の名前があるよ」
ルーは王座を観察しているようだった。赤いクッションに金の縁取りが施されている豪勢な椅子。その背もたれ上部の縁に文字が彫られているのだ。
『小井戸浩平――新たなる王よ――十の魂を礎とし――そなたの魂は神の元へ上るだろう――』
浩平は首を傾げた。
「どういうこと?」
フィラカルティーが考えつつ話す。
「お前がこの階層の王になった――神のもとへ上るというのは枢軸に到達したときの報酬の事だろう――つまり、お前さんが新しい九十九階層のボスとなり、十人の攻略者を倒せばダンジョンクリア――ということだろうな」
であれば、王座にいたボスらしくない弱さのボスの存在に説明がつく。さっきの彼がここで何人倒していたかは知りようもないが、彼とて王座に座っていた誰かを倒して王座に着いたのだろう。
「なるほど、そういうことか。じゃあ――」
何気ない態度、何気ない表情――浩平は実に自然に仲間を攻撃した。
常人離れした戦闘センスを持つルーにとっても、その不意打ちを避けるのは困難だった。躊躇いも殺気もなく、ただ命を奪おうと振るわれる氷剣。
「――ッつ!」
頬に傷を作りながらも致命傷は避けた。だが、息つく暇もない。二の太刀三の太刀が矢継ぎ早に少女を襲う。それを紙一重で避けながら、
「おじさん、逃げるよ」
ルーの見切りは速かった。浩平と自分の力量差を鑑みて、向かって行くのは愚策と瞬時に判断したのだ。
フィラカルティーは突然始まった殺陣に呆気にとられていたが、老いたとて兵士である。指示されるまでもなく、一目散に入口に走った。
それを見届けて少女は地面を蹴った。天井付近まで飛翔する。そして、
「結晶化」
スキル発声。見てくれに変化はないが、少女の両腕が鋼鉄をも砕く最硬の剛腕に変わる。
「浩平の――バカ!」
ルーは、自由落下しつつなんとも子供っぽい貶し言葉を叫んだ。
浩平は着地直後のスキをつくため、少女の落下地点から少し離れて飛びかかる態勢に入っている。
しかし、
「おりゃぁ!」
薄く頼りない体を弓なりに反らせて溜めた力を全て乗せた拳――それが床に振り下ろされる。
変化は劇的だった。石の地面が少女を中心に隆起し、すぐにはじけ飛ぶ。地面その物が揺れていた。床のヒビは部屋の隅まで広がり、その全てが次の瞬間には砕けて飛散する。
浩平は反撃を加えるどころではなかった。
――神殿その物がもたない。
どんな人間でも一瞬で理解できるほど、決定的な破壊が起きていた。
*
雄大な森の始まる場所。小高い丘の上――そこには階段がある。ダンジョン最後の階層とその前の階層をつなぐ階段だ。そこを通ることができるのは真の強者だけである。
今しがた登って来た人物も、やはり強者に違いなかった。
「ついに……」
鼠色のマントを纏い、フードを目深にかぶっているのでどんな人物かは分からない。が、その声は甲高く幼さすら感じられる。
その人物はしばらく陶酔したように眼下に広がる森を眺めていた。
「――?」
すると、突然、空が騒がしくなる。広い階層のそこら中にいた鳥たちが一斉に飛び立ったのである。そして、直後――
――ズゴゴゴゴゴォ……。
巨大な地鳴りが響き渡り、僅かに地面が揺らいだ。
揺れはすぐに治まったが、何かが起きていることは明白である。
マントの人物はそれからしばらく観察を続け、そして、木々の向こうにある石の神殿を見つけた。
それがこの階層の重要な施設であることは、一目瞭然。
「さて、行こうかな――」
言うが早いか、マントが翻る。階層の最奥部まで見渡せるほどの高さがある崖から飛び降りてしまったのだ。
真っ逆さまに落ちる。
地面が迫る。
その時、
「操舵」
マントの人物は唱えた。
その直後の動きは、もはや目で追えるような早さではなかった。おそらく柔道の受け身のように衝撃のベクトルの方向を変えたのだろう。落下からノータイムで飛翔している。
まるで空を飛んでいるかのような軽やかな速さ――その目は真っ直ぐ神殿を見据えている。




