枢軸への旅 17
九十一階層は竹林ステージだった。青い林の間には静かな空気が満ちている。
「ねえ、もっかい説明してくれない? なんで浩平はレベル百になったのにまだ戦ってるの?」
ルーはこれで同じ質問を三回したことになる。
さすがのフィラカルティーもウンザリしていた。
「だからな、アイツが持っておる黒いネックレスは新しいスキルを付与するアイテムだったのだ。レベル百で通常スキルの最後の一つが解放され、それと同時にネックレスの最初のスキルも解放されたという訳だ」
「……つまり?」
「事実だけ言ったのだから、これ以上掘り下げることはない」
フィラカルティーからしたら不思議でしょうがない。このルーという少女は途轍もない強さと鋭さでもって浩平たちの策を討ち破って見せた。それこそ、美しい少女の皮を被った野生の獣のような人物だ。だが、戦闘に関係ない事柄に対しては理解がめっぽう遅い。有体に言ってしまえば“馬鹿”にしか見えない。
「ええと――三つ目のスキルが――あれ、四つ目? ――ネックレス……ってなんだっけ?」
これ以上関わるまい……。フィラカルティーは前を向いて少女の呟きも意識からシャットアウトした。
しかし、よくやるなあと思う。浩平が白と黒の体毛を持つ熊と戦い始めて、すでに数時間が経過している。スキルが貧弱とはいえ、ルーと共闘すればステージボスもそこまで脅威ではないはずであり、スキルツリーが解放されたからといって、わざわざ取得する必要はない。浩平とて、それくらい分かっているだろうに――
『復讐』
おそらく、彼を動かし続けているのはたった一つの執念。殺人という咎を背負い、悪鬼フィルグランドなどという異名を付けられ、それでも止まらない。それほど強い執念。
「大義を糧に戦い続けた兵士たちは、終戦と共に“何か“を失う――そして、その大多数が狂人となり、残りは自害する……」
フィラカルティーは半ば無意識に呟いていた。それは、王として見て来た人々の姿を現す言葉だった。
「ああ、それなら分かるよ。浩平の事を言ってるんでしょ? うん、私もね、心配だなって思う。短い付き合いだけど浩平の考え方は何となく分かるからさ。きっと自分で自分が許せなくなる――きっと元の浩平には戻れない」
フィラカルティーは僅かに舌を巻く。戦いに関する事柄ならばルーは老戦士であるフィラカルティーと対等に思想を展開できてしまう。彼女の言ったことはまさしく男の懸念を言い表していた。
「これまでのたち振る舞いを見るに、ヤツの魂を救うことができるのは女ではないかとワシは思っているが?」
「私? 浩平を慰めろって? いやいや、私なんかじゃ無理だよ」
ルーは苦笑を浮かべ手を振った。
フィラカルティーはそれを謙遜と取った。
「ああ見えて、ボウズはなかなかの性剛の気がある。お前さんのような男勝りで幼い女でも問題ないと思うぞ」
ルーは一瞬ポカンと呆けて、それから、さらに苦笑を強めた。
「違う違う。そういうことじゃなくて――ほら、ハリネズミのジレンマってあるでしょ? 私は浩平の事を理解できるけど、分かるからって解決できる訳じゃない。それどころか、私なんかが浩平を慰めようとすれば余計に悪化すると思う。お互いにね」
男は改めて驚く。この少女の中には、もはや少女は居ない。尋常ではない過去を持っているのだろうことは、先日の戦いを鑑みれば明らかだが、こうなっては、選別眼を得意とする男の目でも推し量ることができない。小さく美しい姿の向こうには、果てしなく暗い虚空が広がっているのではないか? がぜん興味が強まる。知りたい。問い詰めれば、あるいは口を割るかもしれない。だが、どうだ――知ってはいけない事なのではないのか。そんな気もする。
悩むフィラカルティー。
しかし、すぐに思考が中断される。
――キャアアアア!
鋭い悲鳴が竹林に響き渡った。
*
浩平の動きは速かった。それまで戦っていたモンスターに一瞬で見切りをつけ、走り出す。
少し遅れてルーもついて行く。
フィラカルティーは浩平と交戦していたモンスターの追走を止めるべく、その場に留まった。
悲鳴の主はすぐに見つかった。
鳶色の服に白い前掛けを巻いた女が地面に這いつくばり、目を見張って後ろを伺っている。その視線の先に居るのは、例の白と黒の熊――先ほどとは違う個体だ。
状況は一目見れば歴然。
「氷弾」
浩平の手から放たれた氷塊がモンスターの横面に命中。しかし、その奇妙な色合いの毛皮は見た目以上に固くダメージは無い。が、敵意を引き受けることには成功した。落ちくぼんだような黒い目が浩平を睨む。
そこにルーが追い付く。信じられないような身軽さで浩平の頭上を飛び越し、一っ飛びでモンスターの頭上まで躍り出る。
「はっ!」
そして繰り出される拳。結晶化のスキルによって鋼鉄を超える硬度を得た拳がモンスターの顔面をモロに殴りつける。
が、しかし、
「いいっ、硬ったい!」
効いていない。すぐに察し、慄くルー。
モンスターはその隙を逃さなかった。
鳴き声も上げず少女に襲いかかり、組み伏せてしまった。
モンスターに全体重をかけられ身動きが取れないルーだったが、その必殺のアギトだけは両手でしっかりと押さえ、止めていた。
「目が、目が怖いよ、コイツ! 浩平、早くなんとかしてえ――ずっと見てたら気分が悪くなりそうだよ。アレを使えば倒せるでしょ? 早く!」
彼女の言うアレとは、フィルグランド討伐戦で使ったリボルバーの事である。鋭い貫通力を持ち、急所を正確に撃てる銃であれば、確かにモンスターの硬い毛皮を攻略できるかもしれない。
しかし、浩平は銃を取り出さず、自らが突進した。
「なっ?」
モンスターと力比べを演じつつ呆気にとられるルー。
そんな少女に目もくれず、浩平はたちまちモンスターの目前まで近づき、ルーが押し開いて止めていた熊の口内に右手を押し入れた。そして、
「氷剣」
スキル名を発声。
その瞬間――モンスターの後頭部から鋭い氷の剣が突き出した。
ルーが感じていた物理的なプレッシャーが一気に遠のく。
「おいっしょ」
動かなくなったモンスターの体を横に払いのける。
すると、白黒の熊は霧のように消えて行った。
それを見届けるとルーは「ふう」と一つ溜息をついて、そして、
「いやあ、助かったよ――でも敵の内部で剣を出すなんてよく考えたね!」
心底感心したように言ったのだった。
「パンダと戦っている間ずっと考えていた。しかし、口を開いておく方法が思いつかず使えなかった」
「アハハ、浩平らしいや。 ――ところでパンダって?」
ルーの問いは無視して、浩平は襲われていた女性の方に歩み寄った。
そして、今だ自失状態の女性に手を差し出した。
「立てるか?」
それを見たルーが唇を尖らせる。
「ヤツの魂を救うことができるのは女ではないか――うむむ……なんか気に食わない」
この人は敵じゃない――そう理解したのか、前掛けを巻いた女はようやく緊張を緩めた。
「あ、ありがとう……」
なんとか捻りだすように呟いて、浩平の手を取ろうと手を伸ばす――
「ヒッ……」
そして、すぐに引っ込める。
「――?」
その様子を見ていたルーが首を傾げる。
どうしたんだろう。女の人は、どうして急に怯えだしたんだろう、と。
その疑問に対する回答は、今の浩平の顔を見れば、すぐに分かったはずだ。
浩平は、まさしく悪鬼の如き表情を浮かべ、そして酷く冷たい声で問うた。
「お前……その指輪……どこで手に入れた――」




