オレが死んだ世界で 9
二人の影が交わる――その寸前。
夜が吹き飛ばされる。それほどの光が頭上に現れる。
人の形をとる獣――獣人だ。
アルフは空中でブースターを逆噴射し、回避行動をとった。しかし、それが裏目に出た。動いたことで、獣人の目に留まってしまった。
獣が闇夜を蹴り、流星となる。背を向けて距離をとろうと飛んでいたアルフの背後に光が迫る。いかなる方法で攻撃したのかは分からない。が、アルフは敵の接近を察知する前に、地面に叩きつけられていた。
「晴香!」
そう叫んだときには、すでに獣人が彼の前に居る。超重力で歪んだ空間の中、何万倍にも引き延ばされた体感時間をもってしても、その移動スピードを正確に捉えることはできない。が、何とか敵の姿を目視することはできた。女性の特徴を体に残している。この獣人はジーナだ。
『浩平さん――やりますよ』
『ああ』
それは、アルフと対等に戦うため考案した策だった。魔法アイテム“ジャネーとカルテジアン”。カグヤのスペックであれば、その性能を完全に再現することができる。
一秒で約一キロ。視界の悪い森の中、浩平は逃げの一手を打った。ダメージを受けたであろう晴香から獣人を引き離したかったのだ。
即興技が終わったところで、白銀の鎧は背後を振り返る。光が迫っている。陽動に成功した。そのことに安どしている暇もなく、次の技のコマンドを打ち込む。といって、それは賭けだ。敵は攻撃時にのみ実体化する。したがって、攻撃を見てからスキルを考案する必要がある。しかし、敵は光速で動く。動きを見てから考える暇がない。山を張って攻撃するしかないのだ。
当てずっぽうで繰り出される攻撃。獣人は何なくそれを捌く。一切攻撃が当たらない。だが、それでいい。ここで攻撃を止めれば一方的にやられてしまう。
――とてつもないスピードでの戦闘はしばらく続いた。
しかし、限界だ。もし鎧の中に入っているのが普通の人間だったら、とっくの昔に死んでいる。特定の脳内物質が大量分泌されていたため、本人は自覚していなかったが、浩平の体は血に染まっている。大気との摩擦で全身にやけどを負い、ジーのせいで全ての内臓が破裂している。血が沸騰し、血管が破れ、人としての機能は、完全に失われている。それでも、魔法王の体は即時回復を繰り返し、なんとか戦闘に耐えて来た。
しかし、それも終わり。
浩平の視界がホワイトアウトする。体中の力が抜けて、突き飛ばされたマネキンのように、顔面から地面に倒れる。
「あ……えうか……うり――」
もはや、まともに口を動かすことも出来ていない。
獣人は突然倒れた敵に対して、一瞬戸惑いを見せた。が、やはり容赦はなかった。回復力を遥かに超えて死に続ける浩平の腹に蹴りを叩きこむ。
悲鳴を上げることさえできない。状況を把握することも叶わない。
浩平は遥か上空、月に触れそうなほど高い所まで飛ばされた。
『浩平さん――浩平さん! お願い、起きて――もう少しです。後五秒――そこまで耐えてください――浩平さん!!』
脳に直接響く声。浩平にはそれがちゃんと聞こえている。しかし、摩耗しすぎた精神は、その言葉の意味を理解できない。
彼の両目はとっくにつぶれている。よって、自分か月を覆い隠すかのような眩い光に包まれたことに気付かない。
『浩平さん――お願い――避けて!』
追い打ちをかけに来た獣人――もはや、彼に出来ることはない。
「兄さん!!」
弾丸のように接近してきた黒い影――白銀の鎧を空中で抱きとめ、そして、次の瞬間――その姿が完全に消えた。
*
そこは夕暮れの屋上だった。
「ここは――」
「アルフの虚構空間です」
声のした方に目を向ける。そこにはカグヤがいた。もう二頭身のドット絵じゃない。完全に人の姿だ。長い黒髪、華やかで美しい顔、上品な着物――まさしくカグヤ姫。
オレの視線に気付いたのか、カグヤは少し恥ずかしそうに、
「ダウンロードが終わりました。私は今や盤石です――それも、すべてアルフのおかげです」
言い終わる頃には、辛そうに目を背けた。
「何があったんだ? 良く覚えてないんだ」
獣人を見た辺りから、記憶があいまいだ。
オレの問いに答えたのは、カーナビのような機械音だった。
「ツキノウラガワ――ソコニ――ワープポイント――アル」
気づけば、カグヤの隣に青白い顔の学生風の男が立っている。きっと、それがアルフなのだろう。
カグヤが補足してくれる。
「遥か未来、月の裏側に軍事基地が作られます。データに記憶されていたその座標に、アルフは私たちを連れてきてくれたのです」
「そっか、そういうことか――」
逃げて来たって訳だ。
「それじゃ、早く戻らないと。獣人が地球を壊してしまう」
「急ぐ必要はありません。ここでは時間が進まない――それに、完全体になった私の力を使えば、簡単に勝てます」
「そうなの!?」
驚きと安どが綯い交ぜになって襲ってくる。
「浩平さん――今は、それより、聞いてほしいことがあります」
「――?」
カグヤは目を伏せてしまった。なんだ……?
「ツイテ――キテ」
唐突にアルフが歩き出した。言われた通りついて行く。アルフは屋上の金網の前で足をとめた。オレはその隣まで移動する。
そして気付く。金網の向こう、屋上のヘリに女物の革靴がある。綺麗に向きをそろえて置かれ、夕日を受けて鈍く光っている。
「ハルカハ――イッタ――ココロガ――コワレテシマッタ――ソシテ――トビオリタ」
飛び降りた? この靴は晴香が置いたってことか?
「ソシテ――イマハ――カラダモ――コワレテシマッタ」
体も――?
オレはアルフの肩を掴んでいた。
「おい、どういうことだ! もっとはっきり言えよ。なあ、晴香がどうなったんだよ、なあ!」
「浩平さん」
肩に置かれた手。それを振り払おうと、一瞬視線を後ろに向ける。そして、我に返る。カグヤは泣いていた。大きな目を兎のように赤くして、必死で唇を引き結んでいる。そして、彼女は震える声で言った。
「獣人の一撃でアルフの装甲は深刻なダメージを受けました。晴香さん自身も相当な怪我を負っていたようです。ただの女の子にとって辛すぎる状況だった事でしょう。
しかし、晴香さんは立ちあがった。状況を打破する方法を探した。そして――私たちをここまで運んでくれました――」
どうしてそんな悲しそうに話すんだ――。
耳を塞ぎたい気分だった。でもそんなことはできない。
「ですが――アルフの安全装置は破損していたようです。晴香さんはそれを知った上で、迷わなかった……不完全な状態でのワープ飛行――――月面に降り立った時、彼女の心臓は止まっていました。私たちを地面に横たえ――それから、晴香さんは――……」
もういい……やめてくれ。聞きたくない。
「晴香さんは亡くなられました」
「…………」
夕暮れに佇む革靴。晴香はここにいた――という事実を告げている。
アイツはいつだって自慢の妹だった。人のために自分を犠牲にできる――優しい女の子だった。
でもさ、だからって、自分が死んじまうこと無いじゃんか――なあ、晴香。
――オレは叫んだ。それ以外、なにをすればいいのか分からなかった。
だからオレは叫んだ――月の裏側で。




