オレが死んだ世界で 6
『私の始まりは一つの星でした。といって、私が知るのは、死んだ後の姿ですが』
「ブラックホールですね」
『ええ。元々が地球の三千倍以上の大きさでした。広い宇宙の中でも相当大きなものになりました。幾万の星を呑みこみ、加速度的に質量を増し、やがて臨界を迎えます』
「臨界――? それはいったい」
『そうですか、この星の科学レベルでは観測できないのですね――。私の言った臨界とは、一つの概念体が持ちえる最大質量に到達してしまった状態を言います。コップに水注いで行き、あと一滴でも水を増やせば溢れてしまう。そう言う状況です』
「天体の質量が水、コップが空間――あってますか?」
『ええ、なかなか理解が早いですね、オタクメガネは』
カグヤはジトーッとした目でオレを見た。悪かったな、バカで……。
「それで、臨界を迎えた貴方はどうなるんです?」
『硬化します。理由は二つ。それ以上大きくならないように。そして、安定させるため』
「溢れかけていた水を凍らせる。そうすれば、コップの中の水という“塊“がそれ以上増えることは無く、溢さず運ぶことができる」
バスウッドは、オレに向かって話している。おかげさまで、何とか理解できている。
『硬化した私は月の半分程度の大きさになりました。地球の三千倍の大きさの星と飲み込んだ幾万の天体、その合計の質量――おそらく、この宇宙で最も重い物質でしょう。重い物はそれだけでエネルギーを持つ。この星でも認識されている事実でしょう』
「相対性理論ですね。聞いたことくらいはあるでしょう」
ある。聞いたこと“は”ある。
『膨大なエネルギーを内包した私は、意識を持ちました。吸い込んできたすべての物質が持つ記憶を統合し、一つの自我となります。
それは、良いことだったか、悪いことだったか、今でも複雑な感情が渦巻いています。しかし、人格形成に大きな影響を与えた“部分“は、それを幸運と捉えています』
「その“部分”というのが、小井戸くんに関係あるんですね?」
『ええ。ですから、浩平さんに会いに来ました』
「なるほど――ということらしいですよ」
って言われても……。
オレが反応に困っていると、カグヤの刺々しい声が飛んできた。
『ですから! 早く私のことを思い出してください――ということです! 先ほど口を滑らせてしまったので、仕方なく説明しましたが、重要な部分をぼかしながらなので、酷く難しいんです。浩平さんが私のことを思い出してくれれば、なんの衒いも無く全て説明できるのに……ああ、もどかしい!』
怒られたし……。
*
そういえば、季節は夏だ。
妹が用意してくれたソバで腹を満たし、縁側で庭を眺めていると、ふと夏を感じた。向こうでも熱い季節はあったけど、日本の夏は特別な気がした。
「ねえハルカ、コレなに?」
「あら、水鉄砲ですね。懐かしい。何処にあったんです?」
「向こうのちっちゃい家にあった」
「どうやって使うの?」
女集は楽しそうだ。色とりどりの水鉄砲を抱えたエレとイリナ。庭の植木に水やりをしていた晴香。なんてのどかな風景。変なロボットに襲われた次の日とは、とても思えない。バスウッドとカグヤはオレの部屋で話しているらしい。オレは話に入れないので逃げて来た。
『早く思い出してください――私の事を』
カグヤにそう言われた。しかし、思い出せと言われても、携帯電話の中で喋るキャラクターと知り合ったことなんてない。そんなのと話したことがあるなら、忘れるわけがない。と思うんだよなあ。
「こうして水を入れて、トリガーを引くと――」
「凄い! やらせて!」
「私も、私も」
でも、カグヤという名前は何処かで聞いたことがある気がする。教科書と変え本じゃなくて、もっと違う――どこかで。
「きゃ――ちょっと、イリナさん」
「ふふふ。油断したなハルカ。 ――つべたっ!」
「エレちゃん、背中ががら空きだよ」
もうちょっとで思い出せそうなんだけど……。何かが足りない気がする。テレビとゲーム機はあるのに、それらを繋ぐコードが無い。そんな感じだ。
なんだかなあ。
と、オレがうんうん唸っていると、文字通り冷や水を浴びせられた。
「ぶぼあっ――何すんだ!」
プラスチックの匂いがする水を吐き出しながら前を見ると、水鉄砲を構えた晴香の悪戯な笑顔がそこにあった。
「何難しい顔してるの、お兄ちゃん。一緒に遊ぼ?」
とだけ言うと、姦しい銃撃戦に戻って行った。気づけば、我が家の庭は、戦場になっていた。
なんだか、思い悩んでいるのがバカらしくなる。それほど、三人の少女は楽しげだ。
ようし――。
打ち捨てられたホースを密かに手繰り寄せる。ちょろちょろ水が出ている先端を指ですぼめて、三人の方に向ける。すると、三つの甲高い悲鳴が上がった。
「お、お兄ちゃん、それズルイ」
「うるさい。先に仕掛けて来たのはそっちだ。文句は言わせん」
「私は味方だよ、コイド」
「オレに味方などいない。孤独にして最強の戦士だ」
「スキあり――キャア――ホースはズルイです」
「イリナよ、戦場とは常に非情なのだ」
*
結局、空がオレンジ色になるまで遊んでしまった。濡れた服を着替えてから、今に寝転がる。冷め始めた空気。風鈴の音色。疲労感に逆らわず眠ってしまえば、きっといい夢が見られそうだ。
「もぉ、だらしないよお兄ちゃん」
軽い足音。オレは大の字に寝転がって目を瞑ったままでいる。
「勘弁。今幸せを感じてるんだ」
「なによそれ」
呆れた様な声。すぐ隣で座るもの音。
「でも、お兄ちゃん、用が済んだら帰っちゃうんだよね」
少し沈んだ声。急に胸が苦しくなる。
「ゴメンな、晴香――オレにはやらなきゃいけないことがあるんだ」
「謝らなくていいよ。でも、寂しい――かも」
語尾をぼやかした晴香。兄弟のオレにも謙虚なんだから、まったく、困ったものだ。こんな妹を残して帰らなきゃならないなんて。胸が張り裂けそうだ。
「オレはさ、目標を決めたんだ。それに向かって生きていた。だからさ、途中であきらめちゃいけないんだ。ここで中途半端なことをしたら、変わってしまったオレを否定することになる。オレをオレを思えなくなってしまう。だから――オレだって晴香と離れるのは寂しいけど――それでも、帰らなきゃいけないんだ」
言い訳に聞こえるかもしれない。でも、それがオレの全てだ。
「なんかお兄ちゃんが真面目なこと言ってるぅ」
茶化すような声。ムッとして言い返そうとするが、投げ出したオレの手に暖かいモノが重なって、タイミングを逃す。小さくて、か細い。晴香の手だ。
「頑張って。お兄ちゃん」
その言葉に、重ねられた手に、どんな意味があるのだろう。謙虚で真面目な晴香にしか分からない複雑な感情が籠っている筈だが、オレには分からない。そんな自分に歯痒さを感じつつ、オレは呟く。
「ありがとな」
それが精いっぱいだった。
「さて!」
手を握り合ったまま、オレは勢いよく飛び起きる。つられて晴香も否応なしに起き上がる。「ちょ、ちょっと――」と可愛い反応が帰って来た。
「晩飯の用意しないとな。兄ちゃんも手伝っちゃうぞ」
「ふふふ――ありがと。でも、手間が増えるからあんまり張り切らないでね」
「なにおう! オレだって少しは――」
成長したんだ。
言おうとしたところで、オレは見てしまった。
水浸しになって着替えたのだろう。晴香の服装はさっきと違う。イラストがプリントされた紫色のTシャツ。その胸の辺りからオレは目が離せなくなった。
「――? お兄ちゃん……?」
紫の生地を宇宙に見立てて、デフォルメされた星星が散らばっている。そして、胸の辺りに描かれているのはトンボの羽のように頼りない二枚の羽を広げた鉄の塊“人工衛星”のイラストだ。
胸がざわざわする。その鉄の塊は、オレにとってとても重要なモノに思えてならない。それこそ、かつてのオレを象徴する“シンボル”のような気さえする。
「お、おい――晴香?」
しばらく見ていれば何か浮かんできそうだった。しかし、人工衛星は唐突に逃げて行った。
晴香がプイッと後ろを向いたのだ。首だけでこちらを見ている。それも、子供を叱る親のような、厳しい視線で。
「どうした? すまんが、もう少し見せてくれ」
オレは必死に訴える。すると、予想外の言葉が帰って来た。
「そんなに妹のおっぱいが見たいの……?」
「そう、おっぱ――え?」
「巨乳好きのくせに」
「あ……いや」
「エッチ!」
晴香は大股で部屋から出て行った。
静かになった居間――オレはようやく、妹の胸元を凝視していたことに気付いた。




