オレが死んだ世界で 2
明日みんなでオレの実家に行こう! とは言ったものの――オレは超早起きして、一人で下宿を出た。新幹線と電車を乗り継ぎ、逃げるように実家に向かう。
いやね……別に皆を裏切ろうとか、一人になりたかったとか、そういう訳じゃなくて、昔のオレを見られたくなかったんだ。きっと、仏壇に写真が飾られてる。それを仕舞っておきたい。それだけのために起こした行動だった。
電車の雰囲気、窓からの景色、全てが懐かしい。実家に近付くにつれ、懐かしさも強くなる。オレの実家は冗談みたいな田舎にある。山と山とが重なった隙間に土を盛ったような場所にひっそりと存在する村。そこが故郷。町から繋がっている道は一本、店は一つ、そんな場所だ。家を出て働き始めた時、知り合いに実家周辺の写真を見せたことがあった。すると「マチュピチュかよ!」とつっこまれた。さすがに大げさだろ。と思う反面、的確かもしれないとも思った。
駅前でタクシーを拾い、実家がある村の名前を告げると、運転手はあからさまに嫌な顔をした。こっちは客だぞ! と怒る気も起きない。残念ながらオレが悪い。
細く曲がりくねった山道を一時間。ようやく木々が開ける。二度と戻れないと思っていた故郷。オレは帰って来た。やっぱり廃れている。昔は衛星を打ち上げる基地が近所にあったりして、それなりに観光客が居たみたいだけど、基地はオレが子供の頃に無くなった。誰も来ないし、何も無い。でも、オレの故郷だ。
「…………」
タクシーはオレを下ろすと凄いスピードで帰って行った。苦笑いでそれを見送ってから、オレは玄関と睨めっこを開始した。
数年ぶりの実家。何も変わっていない。こうして見ているだけで思い出が溢れ出してきて泣きそうになる。
でも、扉を開ける勇気が足りない。オレは変わってしまった。芯の部分は同じかもしれないけど、見た目が全然違う。冴えないおっさんが中性的な美少年に変身している。誰だよ――皆そう思うだろう。
実家に帰る。たったそれだけのことなのに、今のオレにはハードルが高すぎる。家の前まで来て、そのことにようやく気付いた。
「み、皆が来るまで散歩でもしてよっかなー」
白々しい独り言。情けないとは思うが、でも、一人じゃ無理だ。バスウッドの家にメモを残しておいた。多分、四時間くらい遅れて皆もここに来るだろう。実家の扉を叩くのは、それを待ってからにしよう……。
「誰かいるの?」
踵を返しかけた、その時だった。少し離れたところから声が聞こえた。しまった、見つかった――走って逃げようかと思ったが、その声に聞き覚えがあることに気付いた。というより、聞き間違えるはずが無い。
振り返る。すると、建物の影、庭の方から人影が現れる所だった。タンクトップと陸上選手のような短パン、手にはジョーロを持っている。肩に触れない程度のショートカット。意思の強そうな目、薄い唇。ほっそりとした体つき、少し日焼けしている。
確か、まだ高校生だったはずだ。しかし、最後に見た時より随分大人っぽくなった気がする。
オレの口は、自然と動いていた。
「春香――」
少女の目が大きく見開かれる。カラン――ジョーロが落ちる。そして、春香はこう言った。
「おにいちゃん……」
*
今この家に住んでいるのは春香だけらしい。高齢の祖母は施設で暮らしていて、両親は職場の近くに部屋を借りたそうだ。
「実家を無くすわけにもいかないからさ。わたしが残ることになったの。学校もあるし、丁度いいって」
かつて家族で食事をしていた居間。庭の景色、床の間、大きな座卓――全てが懐かしい。
春香は麦茶の入ったコップを二つのせたお盆を持って台所から帰って来た。
オレは、仏壇に飾られているオレの写真を密かに箪笥の奥に仕舞ってから、座布団に腰を下ろした。
「そうか……女一人じゃ大変だったろ」
春香はオレのすぐ隣の座布団に座ってコップを配ると、頬杖をついて、オレの顔をまじまじと見て来た。
「うーん、まあ、慣れるまでは色々あったけど、でも、大丈夫だよ。昔からシッカリしてるって言われてたでしょ、わたし」
悪戯な笑顔。その意味は、
「それに比べて浩平は……って繋がるんだよな」
春香は「そうそう」と頷きつつ声に出して笑う。オレもつられて笑ってしまう。懐かしいなあ。
ひとしきり笑った後で、オレは流石に聞かなきゃな。と踏ん切りを付けて、口を開いた。
「オレのこと気にならないのか?」
何故少年の姿なのか。葬式をやったはずなのに、何故生きているのか。何故帰って来たのか。春香が聞くべきことは山ほどあるはずだ。遠慮してるのかもしれないが、話すなら早い方がいいと思ったのだ。
春香は気まずそうに目を伏せた。しかし、すぐに微笑んで、
「あのね、おかしいってことは分かるの。多分、普通じゃない――でも、わたしには関係無いかな」
「関係無い?」
「うん。化け物になってようが、宇宙人になってようが、関係無いの。わたしは、お兄ちゃんに会いたかった。どうしても、なにをおいても、お兄ちゃんに会いたかった。それだけ」
「春香……」
オレは何故、自分の家に入ろうとしなかったのか。それは、もう居場所が無いかもしれない――という恐れが原因だったんだ。春香の言葉でようやく気付くことができた。そして、そんな恐れは杞憂だった。春香はオレを兄の浩平だと瞬時に見抜き、認めてくれた。
そのことで、オレがどれだけ救われたことか……。
*
オレは何度も「ありがとう」を言った。春香は恐縮してアワアワしていた。昔と変わっていない。人の役に立つようなことを進んでやるけど、いざ褒められると慌てる。自慢の妹は健在だ。
「ね、ねえお兄ちゃん、それより、自分の部屋見たくない? ねえ、いこっ」
その提案は春香の照れ隠しだった。オレは腕を引っ張られ、立ち上がる。
「まだ残ってんのか? オレの部屋」
「うん。お母さんが片付けようとしてたけど、わたしが止めてってお願いしたの」
目頭が熱くなる。きっと春香はオレとの思い出を大事にしようと――、
「だって、お母さんに見つかったらいやでしょ?」
「え、なにが」
階段の踊り場、オレの腕に巻きついていた手がパッと離れる。春香はこれ見よがしにショートの髪を掻きあげた。
「わたしね、ずっと髪型変えてないの。ちょっと地味なのが好きなんだよね?」
「え――」
オレが戸惑っていると、妹は次に自分の胸を手で包んで、
「でもゴメンね。おっぱいはあんまり成長しなかったよ……」
唐突な春香の言動と奇行――部屋を片付けさせなかった理由。誰にも言ってないはずのオレの好み――この時、オレは我ながら見事な推理力を発揮した。
「み、見たのか」
「うん。天井裏に五冊。机の引き出しの隠し板の下に二冊。ベッドのパイプの中に丸めたのが二冊。辞書のカバーの中に二本ずつ、全部で八本――これで全部だよね?」
膝に力が入らない。オレはその場に崩れ落ちた。
「お、お兄ちゃん!?」
遠く聞こえる妹の声。まさか――まさか、知られていたとは! っていうか、あれだけ厳重に隠したオレの青春をよくもまあ、残さず見つけたものだ。
「春香よ――成長したな」
「そ、そうかな?」
「いつから知ってたんだ?」
「小学生の頃からこの髪型なんだ」
なるほど、オレがまだ中学生の時。つまり、最初からって訳だ。
「おまえ、向こうの世界行ったらヒーローになれるかもな」
間違い無くオレより活躍するよ……。




