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港の先には…… 12



 酷い夢を見た。目を覚ました時、最悪の気分だった。夢で良かった――なんて、逃避は早々に切り上げて、だるい体を引きずってベッドを出る。夢じゃない。世界が滅びる。そして、それを知っているのはオレだけ。救えるのも多分オレだけ。だから休んでいる暇はない。世界を救わなければ……。

 最初に何をするべきか。色々考えた結果、原因を無くせばいいという結論に至った。全ての元凶は、もちろんアニス=ハーディライトだ。

 リハビリも兼ねて散歩でもしてくるよ、と適当なことを言って病院を出る。オレはこれから酷いことをする。だから誰も連れて行きたくなかった。見られたくない。

 

「やあ、コイドくん。よく来たね」


 本や書類が散乱した書斎。オレが扉を開けると、アニスは嬉々として立ちあがった。なんて暢気な――お前のせいで世界は……。


「ようやく私の軍に入る気になったのかい? いやあ、嬉しいな――」


耳障りだ。後ろ手に隠し持っておいたナイフの魔法を起動する。一瞬でアニスの背後に回り込み、左手を捻り上げ、喉元にナイフを当てる。容赦はしない。そんな暇はない。


「今すぐ獣人を元の場所に帰せ。従わなければ殺す」

「ええ、ヤダよ。せっかく集めたんだから」


 駄々をこねる子供のような口ぶり。カッと頭に血が上る。


「殺すと言っているんだ! 従え、すぐに!」

「断る。殺せばいい。君にできるならね」

「分かった――」


 コイツの命など簡単に奪える。天秤の対にあるのは世界そのものだ。比べるまでも無い。テーブルナイフでも力いっぱい切りつければ人を殺せる。魔法を使うまでも無い。簡単なことだ。


「…………くっ」


 出来ない。オレには殺せない。どうして? 手が動かない。


「本気で殺す気があるなら部屋に入った瞬間、喉を切り裂くべきだ。それをしなかったのは、君に殺す気が無いということ」


 分かったようなことを――そう思うが、返す言葉が無い。


「君に人殺しはできない。事情は知らないが、それは絶対だ。だから、私は君が欲しかった。身近で苦悩を見たかった。

 敵の私が言うのも変かもしれないが、その甘さが君の長所だ。最大の弱点だ。自覚すべきだ。その上で行動すべきだ――」


 頑張りたまえ。最後にそう言って、アニスは机に戻り、作業を再開した。

 オレは何も言えなかった。黙ってその場を去った。



 *



 病院に帰り着いたのは、ちょうど昼ごろだった。

 明日の夕方に世界は滅びる。残された時間は少ない。なのにオレは何やってんだ。でも、どうしていいか分からない。冷静になろうと病室のベッドに寝転がった所で、頭は混乱し続けている。ダメだ、全然考えがまとまらない。


「クソっ!」


 やけになってベッドにあたる。ホント、情けない……。


「あ、あの――」

「え?」


 気付かなかった。病室のドアが開いていて、そこにイリナが立っている。幼い顔に不安の色を浮かべて、立ちすくんでいる。バスケットを下げているのを見るに、お見舞いに来てくれたんだろう。


「や、やあイリナ。ごめん、考え事しててさ――入ってよ」


 なんだか急に恥ずかしくなる。世界を救おうという人間がこんな幼い子を怯えさせてどうする。まったく、自分が嫌になる。

 イリナはベッドわきの椅子に座った。緊張した面持ち。オレはなるべく笑顔で、


「お見舞いに来てくれたんだね。アリがと、助かるよ」

「いえ、あの、これ――アーネットさんが作ったサンドイッチです」


 そういえば腹が減っている。バスケットを受け取って仲を確認する。綺麗に整列する色とりどりのサンドイッチ。アーネットの手料理なんて久しぶりだ。


「一緒に食べよう」

「いえ、私は来る前に食べましたから」

「そっか」


 なら遠慮なく。トマトの挟まったのをつまみ、一口。うん、美味い。夢中になってサンドイッチを食べる。学校が無い日の昼飯はサンドイッチが多かった。アーネットは家事で大変そうだからオレも手伝うと申し出ると「手間が増えるのでジッとしててください」と言われる。するとメシアが「そうだよ、コイドは不器用なんだから」なんて茶化してきて、アーネットに「あなたは手伝いなさい!」と怒られる。

 もはや懐かしい日常の一コマ。それと比べて、今オレは随分遠い所に来てしまった。そんな気がする。


「コイド――さん?」

「――ん?」


 急に名前を呼ばれ、ハッとイリナの方を見る。が、


「あれ……」


 顔が見えない。曇った窓ガラスが間にあるように、ぼやけてしまう。

 ああ、オレ泣いてんだ。

 気付いた瞬間、食べ物を口に運ぶことすらできなくなった。


「いや――違うんだ……」


 恥ずかしい。言い訳がしたい。でも、言葉が出て来ない。俯く。固まる。喉がヒクヒクと痙攣している。止めようとしても出来ない。何やってんだ、オレは。まるっきり子供だ。

 

「コイドさん――」


 食べかけのサンドイッチが手の中から優しく取り上げられる。その直後、オレは、温かい物に包まれた。


「イリナ?」


 何とか呟くことができたのは、そんな気の利かないセリフだった。オレの体を包む力が強くなる。石鹸と太陽の匂いがする。


「あの時、コイドさんに“こう”されて、私、救われた気がしたんです」

「あの時?」

「はい。怖くて、切なくて、どうしようもなくて……支えてほしい。掴まりたい。そんな時でした――」


 そうか、教会でスロークに殺されそうになっていた時の話だ。ようやく思い至る。あの時、イリナはオレにしがみ付いて泣いた。

今は立場が逆になっている。


「事情は分かりません。でも、我慢しているのは分かります。強がっているけど、そのことを自覚していなくて、空回りしている。きっと、そうだと思います。

 そんな時は、思いっきり泣くべきだと思うんです。私は、そうすることで救われました。全て吐き出して、スッキリしました。きっと、そうしなければ先には進めないんです」


 少女の小さな手がオレの頭を優しく撫でる。


「私なんかじゃ頼りないかもしれないけど――よろしければ、思う存分泣いてください。私はずっとここに居ます」


 その言葉がどれだけ嬉しかったか――残念だけど、言い表すことはできない。言葉が思いつかないし、そもそも、喋れる状態じゃないほど泣いていた。

 だから、涙が止まったら――今度こそ世界を救おう。

 それくらいしか、この恩に報いる方法が思いつかないから。


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