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港の先には…… 11



 落ちて来た太陽にクモが絡みついている。

 影の鎧から伸びる触手は数百本に増えていた。そのうち数本が獣人の体を束縛し、残り全てで攻撃を加えている。山より高く振り上げられた触手が超高速で振り下ろされる。雨のように暇なく。そのたび発せられる打撃音はあまりに間が詰まりすぎていて、繋がった一つの音に聞こえる。

 獣人は触手に絡まれつつ、全ての攻撃を防いでいる。しかし、それも当然。音速を超える攻撃を高速の獣が捌いているというだけ。理にかなった攻防。

 その戦いは、もちろん人知を超えている。

 集光陣の中から見守るニアには目の前で繰り広げられている攻防が理解できない。簡略化されたイメージ。糸に絡み捕られた蝶が捕食にやって来たクモと鍔迫り合いをしている――そんな風に見えている。割って入るなどもってのほか、圧倒されてしまって指の一本すら動かせない。

 攻防はしばらく続く。そして、唐突に終わる。

 影の鎧が徐々に薄らいで行き、ついに頭上の球体が消滅する。その瞬間、獣人に絡めていた触手を引っ込め、攻撃も止める。手足の無い鎧がフワッと舞いあがるように飛び上がり、敵と距離をとって着地。直後、濃密な魔力の装甲が雲散霧消。小井戸の姿が現れる。


「コイド様、こちらです!」


 叫ぶニア。小井戸は弾かれたように飛び退り、集光陣の中に転がり込む。


「助かったよ――」


 ハッと目を開け、窮屈そうに肩で息をする小井戸。ニアは、その肩を支える。心配だった。明らかに余裕が無い。緊張、恐れ、不安、どれもが限界まで高まっている。それでも、敵に向かって行こうという気迫は損なわれていない。だから心配なのだ。

 労わりの言葉を掛けようとした。しかし、その前に、


「いいかい、ニア――」


 痛い。万力のような力で肩を掴まれ、ニアは顔をしかめる。

 小井戸の目は虚空のようだ。瞳孔が開き切っている。


「オレがダメになったら君は逃げろ。この森の違う場所でいい――オレを助けようと思うな。教会に居る皆も助けちゃダメだ。とにかく逃げろ。いいね」


 ニアは頷く。聞き返すことも、首を横に振ることも出来ない。小井戸が許さない。それほどの剣幕。

 オレがダメになったら――それはどういう状況だろう。切羽詰まった状況で、それだけ考えるニア。直後に答えが示されるとは思ってもいない。

 一方的な会話が繰り広げられている僅か数秒。獣人はゆっくりと体を起こし、消える。


「――――!?」


 腹に穴が開いた痛みでも、生命が消失したことへの恐怖でも無く、小井戸の顔に浮かんでいるのは“疑問”だった。

 一瞬にも満たない時間で移動した獣人。握手をするように何気なく差し出された右手が集光陣の膜と小井戸の体を貫通している。


「やっ……」


 ヤダ。それだけの言葉すら続かない。ぼたぼたと滴り落ちる血。小井戸の体を背後から貫通し、目の前で停止した鋭い獣の爪。ニアは傷口を一瞥してから、ハッと視線を上げる。

 もう小井戸はどこも見ていなかった。

 獣人が挙手をするように右手を振り上げる。小井戸の体は軽々と宙を舞う。一瞬の空白――雲のように空に浮かんだ小井戸の体。

 獣人は“何か”をした。恐らく攻撃だろう。この場に居る唯一の観測者であるニアは、空気の揺らぎでそう察した。

 そして、血の雨が降る。

 小井戸の体は幾万、幾兆の破片となり、もはや液体と化し、血と区別もつかないまま、地面に打ち付けられる。

 集光陣は光を吸収し通さない。しかし、液体を防ぐ機能は無い。ニアの全身は一瞬で深紅に染まった。その液体が肉や骨も含む小井戸浩平という人間の全てだとは夢にも思わない。が、最愛の人が惨殺されたことは分かった。そして、自分が見殺しにしたことも。

 ニアは何も考えられなくなっていた。古代王として培ってきた経験や知識、ブーズステュー公爵として生きて来た八十年の歳の功。そんな物、何の役にも立たない。絶望の先に立ってしまった彼女が取ることのできた最後の行動は、半ば自動的に左手薬指の指輪を抜き取ること――それだけだった。


『わあ、コイド様とお揃いです! 薬指につけましょう』

『バカ者、玩具じゃないんだぞ』

『私たち、夫婦みたいですね――うふふ』


 ローズウッドの呆れ声。困ったように自分を見る小井戸。一月ほど前、魔女の都で繰り広げられた他愛ないやり取りがニアの脳裏によみがえる。

 そして、彼女の意識は完全に消失する。

 ジーナが変身して六分。

 影の鎧を纏ったニアが倒されるまで、さらに二分弱。

 合わせて八分弱。

 森から飛び立った獣人がブーズステュー公爵領地を更地に変えるまで二十七秒。

 そして…………。



 *



 目を覚ますと、そこは宇宙の中だった。透明な板があるようで、オレはその上に寝転がっていた。起き上がりつつ、何となく察する。そういえば、前にも来たことがある。


「おっすー。おひさー」


 ドローエマグの魔道書から帰還するとき、ここに来たんだ。あの時はマローダと二人だった。


「おーい。聞いてんの?」


 とすると、このしまりの無い声は――


「神様?」

「そう、神様。良く覚えてました。褒めてあげちゃう」


 やっぱり。ということは――


「ここは世界と世界の中間点。前に言ってましたよね……それはつまり――」

「うん。あの世界は無くなった――というより、観測者が居なくなって、存在が維持できなくなった」


 腹の底に重い物が落ちる。オレは守れなかったんだ。全てを失ってしまったんだ……。


「オレ、どうなるんですか? もう転生とかは勘弁してくださいよ」


 懲り懲りだ。消えて無くなりたい。

 

「いやいや、そうはいかん。お前にはまだやってもらうことがある――ちょっと見ててみ」


 神様がそう言った直後、目の前の宇宙空間に“渦“が現れた。最初は小さな空間の揺らぎだったが、徐々に大きくなり、灰色のキャベツのようなヒダを持った円形になる。


「これは――」


 オレが戸惑っている間にも、渦は活発に動き、次第に線香花火のような火花を散らし始めた。


「貴重な物を見れちゃったねえ――星の誕生ドキュメンタリー、ダイジェスト版だよ。まあ、お前が元いた世界では正確に再現された映像が見れるけどね……まったく、実際に見ても無いのに何故分かるのか。人間ってやつは不思議な生き物だ」


 渦が晴れた後も火花は続く。そのたび、渦の中から現れた真っ赤な“球体”は大きくなって行く。


「ええと、あと二つパチパチ――うっし、これで星は完成。あとはねえ――」


 火花が収まると、次は球体が様々な色に移り変わって行った。赤、土色、緑、白、青、そして緑――最後は幾つもの色が入り混じった。


「おっけー、出来たよ。時間は、そうだなあ――星が消滅する一日前ってとこかな。君が獣人に負ける日と、その前日の二日間。それで、どうにかできる?」

「は――オレに言ってるんですか?」

「お前しかおらんやろ! だからさあ、こうして星そのものを一から作り直してやったから、今度は何とかしろつってんの」

「え、ええと……時間が巻き戻る。みたいなことですか?」

「まあそうかな。そんな感じ。私としてもさあ、世界が一つ無くなっちゃうと困る訳よ。だから、一度だけチャンスをあげちゃう。でも、一度だけだよ。リソースには限りがある。何度も何度も世界の復元なんてやってたら全体のエネルギーが終わっちゃうもん。

 だから、頑張ってよお!」

「な――」


 分かったような分からないような……いや分からん。でも、世界が滅びる少し前からやり直して、崩壊を止めろと言われていることは分かった。

 でも、


「なんでオレなんですか?」

「一番可能性が高いからだよ。選択肢を間違えなければきっとできる! かもしれなかったりするかもしれない……」

「神様のくせにハッキリしないんすね」

「全知全能やめちゃったからさ。まあいいじゃん――とにかく頑張ってね」

「はあ――」


 オレは絶望している。全部失ったんだから当たり前だ。でも、


「やってみます!」


 不思議とそう言うことができた。恐れや不安は確かにあるけど、だけど、もう一度やってみる気になった。


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