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港の先には…… 5



 獣人の一撃で弾き飛ばされたアーネットは港から数十キロ離れた森に落下した。木々をなぎ倒し、地面を削り、ようやく止まる。巨大な蛇が通ったような痕跡が森に刻まれた。


「くっ……」


 服がボロボロになり、体中から血を流していたが、彼女は立ち上がった。柄のついた盾のような武器ハニータルトを緩衝材として身を守ったため、致命傷は免れたのだ。

 遥か遠くで、フラッシュが瞬いた。次の瞬間、アーネットの前に鼠色の布を纏った人影が現れた。彼女をここまで吹き飛ばした獣人だ。近くまで歩み寄ってくると、おもむろに顔を隠していた布を剥ぎ取った。

 

「やはり生きていたか。普通の人間ではないな」


 低く押し殺した声。獣人の正体は男だった。頭髪も眉毛も無いサッパリした褐色の頭部には王冠のような模様が浮かんでいる。目が細く、鼻の高いエキゾチックな顔立ち。イリナと似てはいないが、同じようなテイストが見て取れた。


「雇用主から言われているのでね。悪いが、君を倒す」


 獣人は凛とした顔を崩さない。腰を落とし、左手を前に、右手を腰の辺りに添えた。その構えは非常に迫力があり、戦闘訓練を積んでいるのは明らかだった。

(これは……ピンチですね)

 アーネットはじっとりと汗をかいていた。魔法名があるとはいえ、彼女はしょせん素人。素早く、力いっぱい武器を振り回す。そういう戦い方しかできない。以前、ロカ=ローブアインと戦った時は、圧倒的なポテンシャルの差を見せつけながらも攻めきれず、結局勝ち切れなかった。

 戦闘技術があり、加えて強力な一撃も備えている獣人が相手となると、不安要素がさらに大きくなる。ハッキリ言ってしまえば、勝利のビジョンが見えない。

 しかし、


「ふっ――」


 短い掛け声とともに仕掛けたのはアーネットだった。自分は不利かもしれない。が、だからといって起用に立ちまわったところで、結局、経験の差が出てジリ貧になる。だから、攻撃するしかない。

 アーネットは、早くも背水の陣なのだ。


「早い――そして、重い――」


 淡々と感じたことを口にしているだけの平坦な口調。それは彼の余裕を物語っていた。アーネットの攻撃は易々と避けられる。地面を蹴り、振りかぶり、振り下ろし、空を切る。そして、また地面を蹴り――という繰り返し。常人であれば視認することも出来ないスピードだが、まったく通用していない。

(このままでは、勝てませんね)

 アーネットは心の中で「三つ」と呟く。その瞬間、彼女は加速した。

 振り子のようだった攻撃の軌道が、徐々にふり幅を縮め、最終的に左右運動が無くなった。敵にぴったりと張り付いたまま隙のない連撃が放たれている。その威力は勢いを付けて攻撃したときと遜色ない。それどころか、僅かに増してさえいる。


「突然――強くなった?」


 獣人は、やはり感じたまま口にする。

 しかし、アーネットには届いていない。戦闘開始時から縛っていた味覚と嗅覚に加え、聴覚も封鎖することで彼女の魔法名“束縛”の効果を高めたのだ。“二つ“ですら人間の限界を遥かに超えていたのに”三つ“である。この場合、アーネットの動きに対応できている獣人の方が驚異的であると言えた。それどころか、獣人は信じられないことに、回避の合間に攻撃を交え始めていた。三回避け、拳を一振り。二回避け、拳を一振り。次は二回避けて二回打って――打たれて、打って――打って、打って、打たれて……。

 しばらく攻防を続けた結果、二人の戦いは、子供のチャンバラのような早さになっていた。

(ど、どうなっているんですか――これは)

 アーネットは激しく動揺していた。自分はもっと早く攻撃できるし、したいと思っている。なのに、最善を尽くすと、このスピードに落ち着いてしまう。ここだ――満を持して繰り出した斬撃はゆるゆると虫が這うような軌道を描き、それが過ぎ去ったところで、相手のスローモーションのような打撃が顔の前に迫ってくる。

 分からない。怖い。異常すぎる。

 アーネットは攻撃の手を止めた。


「どうじた少女よ」


 獣人は僅かに不満を滲ませて言った。


「今のは――貴方がやったんですか?」

「何を言っているんだ。二人の攻防が噛み合ったから組手になったのだろう。お前の力と私の力――それらが衝突した結果が今の戦闘だ」


 何を言っているのか分からない。しかしアーネットは特殊な“何か”が作用して戦闘が減速したとは考えられなかった。自然というか、必然というか。心の何処かで獣人の言葉に頷いている自分が居た。

 となれば、取るべき手段は限られる。減速した戦闘を制すか、一か八かの不意打ちで倒すか。二者択一。

 アーネットは考えた末、後者を選んだ。


「参ります」


 アーネットが武器を構えると、獣人も構えを取った。

(さて、どうなることやら……)

 大きく息を吸い、ゆっくり吐き出す。完全に空気が抜けたところでアーネットは心の中で呟く。


『五つ!』


 その後――何が起きたのか彼女には分からなかった。気付いた時には空を見上げていた。体中の感覚が無く、ピクリとも動かせない。視界の隅に影が掛る。眼球だけは動かすことができた。アーネットの顔を覗き込んで影を作っているのは獣人だった。


「見事だった。少女よ。久しぶりに傷を負った」


 そういう獣人の右頬に糸屑ほどの細い切り傷が付いている。


「反撃どころか避けきることも出来なかった。正直に言えば獣を起こす暇すらなかった……あとほんの少しお前が強ければ、今頃私の首は地面に落ちていた」


 その言葉には焦りも祝福も含まれていなかったが、彼なりの賞賛なのだった。

 アーネットは自分が敗北したことに気付いた。全ての感覚を縛るという奥の手を使ったのに、与えたダメージはかすり傷一つだけ。惨敗だ。


「ではな。私は港に戻る」


 なぜ殺さない――そう思ったが伝える術が無い。

 そんなアーネットに気付いたらしい獣人は、


「気づいていないようだが、お前の体はズタボロだ。私が手を掛ける必要はない」


 そう告げて、暗闇に消えた。

(私の体が――?)

 人の形を留めていはいるが、体中ほとんど全ての箇所が血で染まっている。白く美しかった彼女の体は見る影もない。

 そのことにアーネットが気づくのは、もう少し後のことだった……。


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