魔法王と偽りの魔女 7
向こうの世界で過ごした三十年の人生を振り返ってみると、褒められた記憶が殆どない。しかし、どんな人間にも特筆出来る特技が一つはあるもので――俺の場合“酒に強い”というのがそれに当たる。
仕事関係の飲み会があった次の日は決まって「お前強いんだな、羨ましいよ」なんて言われたもんだ。そんなときは「まあ、普通っすよ」なんて謙遜しつつ、内心喜びもした。
でも、だ……
「――とびっきり笑える話が聞きたいわね。ねえ浩平? そんな気分よ」
酒に強い人間は、酒に弱い人間のまき散らす不条理の相手をする運命にある……。それは異世界に来たところで変わらないらしい。
「そんなもん無いよ」
「無いってのはどういうことよ? 私は聞きたいのにアンタは話さない――じゃあどうしろってのよ!」
「ええ……」
あまりに理不尽。見た目こそ幼女だが、その実、五百年の時を生きてきた超年配者――普段は威厳に満ちていて只者じゃない雰囲気を持っているのに、一升瓶一本でこの体たらくである。
背中を丸めてだらしなく胡坐をかき、朱色に染まった顔は首の座っていない赤子のようにフラフラ揺れている。
「詰まんないヤツね……じゃあアンタは?」
「ええ、私?」
酒の席を囲むもう一人の女性は、ゲッと顔をしかめて仰け反った。きっと彼女は俺以上に呆れているだろう。
俺たちが荒野の世界から帰ってくると、ニアは部屋の真ん中で倒れていた。魔力を急激に集めすぎたため、携帯電話で言う通信制限のような状態に陥ったのだ。しばらく一切の魔力を行使できない。
そんなニアが目を覚ました時の戸惑い顔は見物だった。なにせ、手足を縛られたうえ、目の前では酒盛りが始まっているのだ。何事かと思うに決まっている。
「アンタも使えないわね……いっそ裸んなって踊りなさいよ。その冗談みたいにデカイ脂肪袋を揺らしてさ――面白そう」
「ローズ、いい加減にした方がいい。さすがに酷いぞ」
溜りかねて強めに言う。
魔女の都を侵略しようとしていた敵だけど、だからといって、そんな屈辱的な行為をさせていい訳が無い。
さすがにニアも怒ったはず。
「コイド様が見たいというなら、やります!」
「おお、やれやれぇ」
嬉々としてニアを束縛している縄をほどきにかかったローズを止める。ああ、疲れる。
いい加減、俺だって怒るぞ。
「あのねローズ、今上では大変なことが起こってるんだよ。こうして呑気に酒盛りしている間にも沢山人が死んでいるかもしれないんだ――だから、ふざけている場合じゃないんだよ」
王都に向かったロカ。ルドラカンドに帰ったエイモス。アーネット、メシア、エレの三人はすぐ近所のブーズステューで何かしら行動を起こしていることだろう。
だというのに、俺ときたら何をやっているんだ……。急に情けなくなる。
「お姫様なら今、国で何が起きているのか教えてくれると思っていたのに、まったくそんな話にならない。さっきの戦闘は見事だったけど、それからふざけてばっかりだ……これじゃあ、何のために来たのか分からないよ!」
駄々をこねているだけ――そう自覚していながら言葉を止めることはできなかった。情けない。女々しい。でも、どうしたらいいのか分からない……。
「おい浩平――」
「なんです――うっ! んんっ!!」
「あ!」
陰鬱な気分は一瞬にして吹っ飛んだ。マシュマロのように柔らかく、ゼリーのように滑らかで、猫の背中のように暖かく、そして少し酒臭い。
お姫様の唇を感じながら俺は仰向けに倒された。
「な、なにを……」
「何してんのよ、アンタは!」
心神喪失した俺に代わってニアが言ってくれた。
ローズは俺の体に跨って、ゾッとするほど綺麗な顔で俺を見下ろしながら、
「殴るかキスするか――どっちが効くかなと思ってね。こっちにしたわ」
そう言った。
効く? それは、いったい――
「アンタ、ずっと焦ってたわ。心ここにあらずで、冷静じゃなかった」
「そんなことは――」
「どうして私の所に来たのよ。アーネットたちと一緒に公爵領地へ行けばすぐにでも争いに介入することができたかもしれないのに。王都や学園に向かえば、困っている人がいくらでも居るのに――どうして魔女の都に来たのよ」
「それは、なにが起こっているか知るために――」
「あらそう――今まさに崖から落ちそうな人間が居たら、アンタは“どうして落ちそうなの?”って質問するのね?」
「そんな訳無いだろ!」
「事実そうじゃない――アンタの目標は何? 何事にも全力で――じゃないの?」
そうだ。それが俺の目標だ。車に轢かれたあの時から一時も忘れていない。今回だって、その目標に従ってここに来たんだ。
確かに、少し回り道しているかもしれないけど、でも、結果的にそれが役に立つならいいじゃないか。
ローズは俺の心を読んだようだ。
「それは賢明な判断よ。あるいは、最も正しい選択だったかもしれない――でもね、その判断を下すのはアンタじゃないわ」
「――俺じゃない?」
腹の辺りに感じるローズの温もりが少し強張った気がした。
「突き詰めてしまえば戦争に善悪は無い――どんな立場を取ろうとも、それは絶対的に悪であり、同時に必ず善を孕んでいる。戦争とは善悪の戦いではなくて、その両方を持った者同士の戦いなの」
難しい話だ。きっと俺では言葉の真意を理解できない。でも、たぶん――
「守るために人を殺す」
そういう話だろう。
「その通り――戦場にはウンザリするほど矛盾が満ちている。倫理や常識は、相対比較することで悪辣や不条理に変わる。どこを見渡しても、誰に聞いても、正しい、間違っている、という判断を下せやしない。
だから――だからね、浩平」
ローズの顔が近付いてくる。上半身全体が軽やかな温かさに包まれる。まるで羽毛布団を掛けられたような心地だ。
どこか冷たい表情だったローズが、今は女神のように柔らかい頬笑みをたたえている。
この世界での母親――まさしく、その物だと思った。
そして、彼女は俺の耳元で、
「アンタはアンタでいなさい――利口になってはダメ、バカになってもダメよ――自分のためだけに行動をしなさい。そうしなければ――」
俺はローズの言葉を遮る。
「迷子になって、戻れなくなる」
「そういうことよ」
そういえば、しばらくアーネットの手料理を食べてないな……。メシアと将棋を打ったのも随分前だ。こんな時でもルドラカンドもマーケットは店を開けているのだろうか。
とりとめなく、そんな、どうでもいいことばかり浮かんでくる。
「そう、その調子よ」
俺の心を知った上で、俺を肯定してくれる声。
ローズの言っていたことは正しかったのだろう。
俺は、しばらくぶりに心の底から安らぎを感じた気がした。




