魔法王と偽りの魔女 6
起きぬけに「ごめんなさい!」と勢いよく頭を下げられては、戸惑うしかない。
「ええと、あのう……」
この人は私を攻撃した。だから“頭を上げてください”と言うのもおかしい。しかし、ここまで潔く謝られてしまうと“何をいまさら”という気は削がれる。
漆黒の髪を持つこの男は、いったい何がしたいのだろう……。ベッドから上半身を起こした体勢のまま、アーネットは茫然としていた。
すると、男はようやく頭を上げ、
「僕はロトニーという者です。どうしても貴方とお話がしたくて」
叱られている子供のような態度で言った。
「私と?」
「はい。魔法使い族の人と初めて会ったので、その、なんというか、仲良くなれるんじゃないかと」
「それで手刀を入れて昏倒させて個室に連れ込んだと?」
「そ、そうなりますね――で、ですからスミマセン!」
ゴン――ロトニーの額が木の床を打った。その体勢のまま、
「急に魔法名を解放されたので、話し合うのは無理だと思って――ああするしか思いつかなかったんです」
「それは、貴方がいきなり布を取ったからでしょう!」
「そ、そうですよね。すみません……」
こう何度も謝られるときまりが悪くなる。
「頭を上げてください。事情は分かりましたから」
「そ、そうですか」
心底ほっとしたような顔が床から帰ってきた。
アーネットはやれやれと頭を振って、
「それで、ここはどこなんです?」
「ここはトレアスさんの屋敷の中です」
「トレアス?」
それは彼女が倒そうとしている敵の名前だった。
驚くアーネットを見てロトニーは補足する。
「僕は養子なんです。物心つく前からこの家でお世話になっています――ああ、でも、心配しないでください。トレアスさんは魔法と名のつく全てを嫌っているように思われがちですが、生まれで人を差別したりしませんから。本当は優しくて誠実な方なんです」
「そうですか」
アーネットは少し意外に思った。昨日のスピーチを聞くに、彼の言うようにトレアスは魔法全般を嫌悪している印象を持ったのだが、まさか、魔法使い族の養子が居るなんて、と。
(それはともかくとして――これはチャンスかもしれません)
子犬のように彼女の言葉を待っているらしいロトニーを少しほっておいて、考える。そして、アーネットはベッドから出る。
「綺麗なお屋敷ですね。ぜひお散歩でもしながら話したいものです」
「そ、そうですね! それは素晴らしい考えです」
アーネットは少し怯む。
(そう喜ばれると……)
この機会を利用して情報を集めようと思い立った彼女にとって、ロトニーの純粋さは少しばかり良心に染みる。
*
個室を出て並んで歩き出す二人。ロトニーは甲斐甲斐しく屋敷の説明を続けた。アーネットは話の合間合間に相槌を挟みつつ歩いた。
そして、書斎だという大きな扉の前を通り過ぎた辺りで、トレアスの話題になった。
「やはり、お忙しいんですね」
「はい、昼間はほとんど家に居ません。集会の無い日の夜は一緒に食事を取ったりもするのですが――世間が騒がしくなる前は毎日一緒でした。子供っぽいと思わないでほしいのですが、少し寂しいですね、最近は」
家族と一緒に食卓を囲えない寂しさ――それはアーネットにとっても共感できるものだった。コイド、メシアと同じ屋根の下、普通の生活を送る。それは、かけがえのない幸せ。
(コイド様は今何をしているでしょう……)
魔女の都に居るであろう主人のことを思って、急に切ない気分になる。
(い、いけません――しっかりしなければ。それに、メシアも心配しているでしょうから情報収集を済ませて早めに帰らないと)
中庭に入りましょう、噴水が綺麗なんですよ――楽しげなロトニーの提案に首肯してから、アーネットは話題を振る。
「推進派の運動を始めたのはトレアスさんなんですか?」
「そうです。この国には公爵直属のヴィルトラージ騎士団と民間経営の軍という二つの軍事勢力があります。トレアスさんは元々民間軍に資金提供していたんですよ」
生い茂る木々、石畳に落ちる疎らな影――主人の留守が多いとはいえ手入れの息届いた庭。
「それで発言力があったという訳ですね」
「はい。それに加えて民間軍には有力な指導者が現れず、舵取りのできない漠然とした組織として長いこと活動していました」
「そこにトレアスという指導者が現れた、と」
「本格的に活動を始めたのは半年ほど前ですけどね。しかし、それから軍は随分変わったと聞いています。トレアスさんは色々な決まりを作り、皆の意識を変えて、活気ある軍に作り替えたのだと」
ロトニーは誇らしげに微笑んでいた。
「では、民間軍を取り仕切っているのは実質トレアスさん一人ということですね」
「大変そうですが、誇りある仕事です――僕としてはもう少し自分の体を労わってほしいんですけどね」
木々の割れ目から水の香りが漂いだす。ロトニーの言う通り、立派な噴水がそこにはあった。古い井戸のような貫禄がありつつ、けっして汚らしくない。苔むした石のブロックや動物をかたどった彫刻に水粒が付着し、日光を受け輝いている。
ロトニーは僅かに気取った動作でアーネットを促した。正面に噴水を添えた木陰のベンチ――外で戦争が行われているというのがウソであるかのように穏やかな空気が流れている。
「貴方はロトニーさんと一緒に行動しないのですか? 護衛としては申し分ない力を持っていると思いますが」
ロトニーは照れたように頭を掻いた。
「昼間は軍の校舎に居るので護衛は必要ないんです。行き帰りも兵隊さんたちがしっかりガードしてくれますし。昨日のように夜行動するときは、僕が傍に着きますけどね」
「なるほど――」
それなりに警戒しているようだが、付け入るすきはいくらでもありそうだ――例えば軍の校舎との行き帰りの最中、メシアの戦車を使えば強引に馬車ごと連れ去ることもできる。もっとも、そんなに目立った行動を取れば、至る所から反感を買い、逆に敵の勢いを増してしまうだろうから、そこまで大胆な手は使えないが。
「…………」
「――――?」
ふと視線を感じアーネットの思考は中断される。いつの間にかロトニーは彼女の顔を凝視している。
落ちつかない気分になり、アーネットは言う。
「人の顔をジーッと見て、失礼じゃないですか?」
「あ――す、すみません」
と言って、我に返ったかのように視線を反らす。
「綺麗な横顔だなと思いまして、つい」
「なっ――」
今度はアーネットが視線を反らす番だ。
「ロトニーさんが、そんな軟派者だとは思いませんでした」
「うう……すみません。でも、こんなこと言ったのは初めてなんです――本当に綺麗だったから」
「また言った!」
アーネットは自分の目的も忘れて、すっかり憤慨していた。頬をぷっくり膨らませ、ツンと唇を尖らせ、そっぽを向いている。
ロトニーは一しきりアワアワしてから、
「そういえば――お名前を聞いていませんでした」
思い出したかのように言った。
「ああ、そういえば――私はアーネットです。長いので“アーネ“とでも……」
しまった――アーネットは密かに顔をしかめる。敵の人間に名前を教えてどうするのか。それが手掛かりとなって、これからの作戦の妨げになる場合も考えられる。軽率だった。
「アーネット――アーネ――アーネさん……」
ロトニーは何やら微笑みながら口の中で呟いている。
「あの、ええと――」
「アーネさん……僕と友達になってくれませんか?」
「はい――?」
「僕この家に住んでいるから、怖がられてしまって年の近い友達が全然いないんです。でも、気兼ねなく話せる友達が欲しいな、と前から思っていて――アーネさんは僕がこの家の人間だと知っても怖がらなかったし、こうして話してみてすごく楽しかったし――だから、ぜひ友達になりたいんです!」
アーネットは突然の提案に面食らいつつ、心の中で唱える。断れ、上手い理由を考えて、断るんだ――敵同士なんだ、友達になるなんて有り得ない、と。
しかし、
「そうですね――それもいいかもしれません……」
アーネットの唇から零れたのは、そんな言葉だった。
「ほ、本当ですか! やった!」
ああ、なにをやってるんだ、私は――言ってから後悔するアーネット。
(でも――でも、断れません……)
純粋で、必死で、どこか寂しげで――彼女の瞳に映るロトニーは彼女が最も大切に思っている主人の影と重なっていた。




