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壇香梅の逃避行 15


 焚火の明かりの中で、私は手帳を閉じた。情報を文字にして残すのもハンターの重要な仕事である。後に続く同胞たちのため、大いに役立つだろう。

 今日一日で、私は途轍もなく希少な体験を重ねた。水辺を離れたフロッグドッグから始まり、岩場のドラゴンまで――予想に反して、それ以上モンスターが出現することは無く、こうして静かな夜を迎えるにいたったが、これで足りないと言ったら罰が当たる。数十ページに渡って書き足された私の体験記は、今や私の宝物だ。


「さてと」


 手帳を上着に仕舞いつつ丸太から腰を上げる。一つ体を伸ばしてから歩き出す。ここは既に森の外れであり、モンスターに出会うことはまず無い。楽な気分でいられる。日中のことが夢だったかのような、本当に静かな夜だった。

 しばらく歩くと、水の音が聞こえてくる。ちょっとした滝から透明で清潔な水が流れ込む泉があるのだ。私は書き物を優先して焚火に残ったが、アーネットとロカは先に水を浴びている筈だ。

 そうだ――二人に会ったら、改めて謝ろう。なにせ、モンスター扱いしてしまったのだから。それから、ありがとうと言おう。二人は私に宝物をくれたのだから。ああ、私は何やってんだろう。一人で笑ったり、はにかんだり――ホント、変な感じだ。

 水の音が大きくなり、水の匂いが漂いだす。そして、草葉の陰から月明かりに染まった白い滝が現れた。

 アーネットとロカは並んで滝の流れを浴びていた。女らしい小ぶりの肩から張りの良い臀部に向かって水が滴り落ちるのが見える。

 滝は泉を挟んだ対岸にあり、二人もそこに居て向こうを向いている。私に気付いていないようだ。ふと傍らを見ると、すぐ近くに二人分の衣服と、武器や荷物が置いてある。


――それらを見た瞬間、私の意識は赤く染まった……。



 *



 少女の動きは異様だった。目にもとまらない速さで横にスライドし、アーネットの武器ハニータルトの柄に手をかけ、次の瞬間には宙を舞っていた。常人であれば持ち上げることもできないハニータルトを片手で持って、さらに跳躍――これは既に人間のできることではない。この間一秒とかかっておらず、さらに一切の物音を立てていない。

 彼女は空中でハニータルトを振りかぶった。その視線の先には無防備に水を浴びる二人の少女――泉を一足で飛び越え、必殺であり不可避の攻撃を繰り出そうとしているに違いなかった。

 アーネットとロカは、これを避けるどころか、気づくことすら叶わないだろう。


――が、しかし、泉のちょうど真ん中あたりで少女の体が不可解な挙動を見せた。


 それは、まるで上昇気流にでも晒されたかのような急激な上昇だった。弧を描いて落下するはずが、途中でさらに真上に飛び上がったのだ。体勢を崩し、きりもみしながらも少女は視界の隅で捉えていた。

 アーネットの右腕が真上に上がっている――そして、その指先から鈍く光る細い“線“が伸びている。さらによく見れば、その線はハニータルトの柄からも伸びていた。

 少女は自分を襲った現象の理由に思い至る。

(武器にワイヤーが付いていて、アーネットはその先端を持っていたんだ――ワイヤーの振動で私に気付き、それをバカ力で振り上げたから私は吹き飛ばされた……でも、それって――)

 私が攻撃すると予想していたということになるじゃないか――そこまで考えたところで、少女の視界に飛来してくる影が映る。次の瞬間、体の自由が一切効かなくなった。暴れることもできないまま、上方向に働いて居た慣性が相殺され、落下に入る。

 派手な水しぶきと音を立てて、少女は泉のちょうど中心辺りに着地した。高さの割に落下の衝撃が少ない? その違和感の答えと、体が動かなくなった理由に彼女は同時に気付いた。後ろからアーネットに羽交い絞めにされている。ピッタリと体をくっ付けられ、手足を絡められており、まったく身動きが取れないのだ。落下のショックを緩和したのもアーネットの仕業だろう。

 少女は唯一動く首を動かし、斜め後ろで水の滴る黒髪が僅かに見えるのを確認した。


「正体を現しましたね――出来れば、勘違いであって欲しかったです」


 少女が前に視線を戻すと、スラリと細い体が水面を割ってこちらに歩み寄ってくるところだった。ロカは憂いを帯びた表情で話しだした。


「私は子供の頃から軍で活動していました。長距離移動なども日常的で、そうなると、野営する機会も少なくありません。そういった経緯から、私は自然と森に住むモンスター類に詳しくなりました」


 少女は黙っているしかなかった。自分は何故攻撃などしたのか――まるで理由が分からず混乱していた。


「ですから、実は最初あなたに会った日、すでに気づいていたんです――あなたはヴァリアントデビルですね」

「ヴァリアント――デビル――――?」



 *



 ヴァリアントデビル――それは、悪魔と称されるに足る危険性をもったモンスター。魔法生物以上に警戒が必要とされる、最上級の害獣であった。

 最大の特徴は、蝶のように完全変体をすることである。それも、一度や二度で無く何度となく繰り返すことができる。その際、姿かたちが変わるのはもちろん、記憶や性格まで変化させることができる。それこそが最上級の害獣と称される所以であった。

 脳そのものから記憶を司る細胞まで、全てが一度スープとなり再構築されるため、変体後の個体は全く別の生物としか捉えることができない。そして、多くの場合、変体後のヴァリアントデビルは善良な精神を持つ。世の道徳観念に適った善良な生物になってしまうのだ。が、しかし、獣としての狩猟プロセスや凶暴性は完全に消えない。特定の条件下でのみ、深層意識から精神を支配してしまう。

 善良な精神を持ち、それを全うしようと生きているのに、本人にはコントロールできない危険性を持っている。

――これが厄介なのだ。ただでさえ人間同士の間で衝突しがちな道徳観念や思想にヴァリアントデビルは油を投じる存在となる。野放しにすれば人を襲う可能性があるが、かといって駆逐することもできない。カメレオンが迷彩によって身を隠し、狩りをするように、ヴァリアントデビルは非常にデリケートでアンタッチャブルな“道徳観念”を隠れ蓑に、生きる術を手に入れた生物だった。


「ハンターギルドは何処にあって、なんと言う名前で、メンバーの顔や名前を一人分でも答えられますか? この辺りにギルドなど無いんです。それにパーティーを組み安全な狩りを推奨するハンターギルドに入っているのに単独行動するはずがありません。どうですか、何か反論できますか?」


 ロカは矢継ぎ早に問うてくる。少女は答えようと口を開いて、しかし、言葉になるものは何もないことに気付いてしまった。


「わ、私は――――」


 信じられないが、信じざるを得ない。矛盾と直面してしまい、少女の精神は崩壊しかかっていた。


「きっと、森のモンスターたちに“餌“を提供するよう指令を組みこまれ変体を経たのでしょう。今日一日何度もモンスターと出会ったのはそのためです。貴方は自分にハンターとしての過去が無いことに気付けない。変体した過去を思い出せない。すでに別の生物になったのだから」

「わたし――ちが――――うう、ぅぅぅ」


 少女はもはや喋ることができなかった。脳が物理的に崩壊を始めていた。

 ロカはいつの間にか対岸から取ってきたらしい剣を鞘から抜き、構える。


「ごめんなさいね……でも、貴方を見逃すことはできない。危険すぎるから――」


 すでに覚悟は決まっているようだった。剣の先端が月に刺さる。

 少女は既に聞くことができない。聞こえていても理解できない。そうと分かっていてアーネットは言った。


「私たちの勝手で貴方に手をかけます。恨んでください――でも、これも勝手な話ですが――いつかまた、きっとまた会いましょう……」


 あまりにも鋭く、あまりにも速い――少女の首は一閃の元に切断された。


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