壇香梅の逃避行 10
小井戸浩平が失踪したことを知ったエイモスは真っ先にこう考えた。
『探してほしいんだろうな――』
それは根拠のない推察だった。しかし、探しに行くことを彼は躊躇しなかった。
エイモスは小井戸が逃げ込むとすれば、彼の故郷であるらしいブーズステュー公爵領地だろうと当たりをつけて旅立った。小井戸が失踪した翌日、昼ごろのことだった。
ルドラカンドからブーズステューまで馬車なら五日ほどかかる。が、エイモスはその日の日暮れ前に到着した。エイモスが言葉を喋る黒猫”その猫は死んでしまった”から授かった能力は、時間をリボンとして視認することができ、そのリボンを手繰ったり縛ったりすることで様々な現象を起こすことが可能だ。エイモスはその能力を使い、時間を物理的にワープすることで目的地まで移動したのだった。
しかし、もちろん小井戸はまだブーズステューまで移動していない。エイモスは完全に先を越していたが、彼はそれも織り込み済みだった。
『アイツが何か行動すれば、必ず面倒に巻き込まれる。正攻法で探しても絶対見つからん』
という考えを元に、道すがらの捜索をしなかったのだ。それは小井戸浩平をよく知るが故であり、また、友人ならではの距離感から来る判断だった。そして、結果からいえば、まさしく正しいのだった。
ブーズステューにいち早く辿り着いたエイモスは宿をとり観光を楽しむことにした。考えてみれば、小井戸が居なくなった五日後辺りで彼も移動すればよかったのだから、その観光は最初から予定に入っていたのだろう。ブーズステュー公爵領地といえば幻の魔女の都ブラクコンティーンと最も近い街であり、王国内でも有数の観光地である。娯楽には事欠かない。特産品を食べ歩いたり、魔法都市時代に使われていた道具を展示している博物館を見物したり、美容に良いという魔融水の温泉に行ってみたり、と、少々胡散臭いものもあったが、それも込みで観光なのだという心持でもってエイモスは観光を満喫していた。
といって、エイモスの性格上、完全に浮かれることはない。常に視野を広くもち、冷静さを失わない。それがエイモスという人間なのだ。
「なあ、ヘヴン。あれは変だろう」
エイモスがそう呟いたのは、魔法都市の生活を再現したというレストランから宿に帰る道でのことだった。すでにとっぷり日は暮れていた。そこは町の中心から外れた寂しい場所だった。街燈の明かりや酒場の喧騒などが遠くに聞こえる。
エイモスが目を向けているのは、古びた小ぶりのトンネルだった。魔女の都を研究するため立地を決めたという経緯があり、ブーズステューはデコボコとしたいびつな地形の上に栄えている。そのため、こういった高低差を利用した横穴が無数に存在するのだ。
通常、こういったトンネルの中は露店や飲食店が立ち並んでいる。しかし、今エイモスが見つめているトンネルの入り口は暗く、まったく視界が無い。とてもじゃないがこの中に店があるとは思えない。
しかし、エイモスが“変だ”と言ったのは、それが理由ではなかった。彼は言葉を重ねる。
「リボンの切れ目――それは、時間が破たんしていることを意味する。要するに“死”だ。そうだろ?」
『そうだ』
答えたのは彼にのみ聞こえる声だった。
「物の死というのは形が無くなることじゃないのか? 少なくとも俺の認識はそうだ。だというのに、このトンネルはどうなってんだよ」
エイモスが見つめているのは、トンネルの天井を這うように伸びているリボンだった。それは、トンネルの持つ時間を現したリボンであり相当な太さがあり銀色に輝いている。トンネルの終わりに合わせてリボンもプッツリ切れいている――形を留めているのにリボンが切れているというのは、あり得ないことなのだった。エイモスはそのことに疑問を感じている。
ヘヴンは少し間をおいてから言った。
『詳しいことはワシにも分からん。世界という物を完全に把握するすべは無いからな。しかし、一言だけ言っておこう――関わるな』
「らしくないな。ビビってるのか?」
『ふん、バカ者が。お前が認識できるのは時間だけだ。それに異常があり、解せないというのなら――すなわち、他の要因がからんでいるということ』
「――他の要因?」
『一番怪しいのは“空間“だろう。時間と対を成す概念だ。時間を見る者であるお前は、空間を本質的に視覚することはできない。その逆もしかり――つまり、お前では、この謎を解き明かすことは、まず不可能だ。だから、関わるなと言っている』
「よく分からんが――」
エイモスは中途半端に言葉を切って、少し俯いた。そんな彼に、しゃがれた声が釘をさす。
『バカ者。たまにはワシの言うことも聞かんか――冗談で言っている訳じゃないんだぞ』
エイモスは返事をしない。ヘヴンが念を押す。
『お前がここに来た目的は何だ。変なことに首を突っ込むことか? 違うだろう――あの二重リボンの少年を待つのが目的だろうが。であれば、のんびり観光を続けるのが一番――そうだろう?』
しばらく沈黙が続く――それを破ったのはエイモスだった。
「トーストを落とした時、ピーナツバターを塗った面が下になって落ちる確率は絨毯の値段に比例する――何とかの法則っていうんだ。前にリード会長から聞いたことがある」
『それが何か関係あるのか?』
「つまりさ、失敗したくないなら、そうなる可能性の芽を全て摘み取るのが一番なんだ」
『お、おい』
エイモスは歩き出した。どこまでも続くトンネルの闇が彼を侵食して行く。この先には自分の理解が及ばない何かが待っている――しかし、彼の足取りは、腹ごなしに散歩でも行くか、といった具合に淀みなく軽い。
カツカツと反響する足音に乗せて、彼は言った。
「今俺が無視したところで、結局コイドのヤツがこのトンネルに辿り着くに決まっている。アイツが関わると面倒が増える――だから、今の内に一人で処理するんだ。簡単な話だろ?」
それを聞いたヘヴンは深い深いため息をついた。
『バカは死んでも治らんと言うが、ならば、いっそ死んでしまえばいい……薬くらいにはなるだろう』
エイモスは声に出さず小さく笑った。その間も足は止まらない――奥へ、奥へと進んで行く……。




