壇香梅の逃避行 8
牢獄のように狭く汚い部屋。牢獄と違うのは鉄格子が無く、ドアがある点だ。赤錆びの浮いた武骨なドア――メシアはそれを見つめ首を傾げた。
ドアを開けなければ外には出られない。それは困る。ドアを開けなきゃ。ところで、どうして私はこんな処に居るんだろう?
頭がぼんやりして、少し前のことが思い出せない。まるで“夢”の中にでもいる気分だった。なにか重要なことを見落としているような違和感と、そんなことどうでもいい、と耳元でささやかれるような感覚がせめぎ合う。
しばらく立ちすくみ迷った後、大した理由もなくドアを開けることにした。
「ありゃ」
しかし、ドアは開かなかった。ノブが付いていないので引くことはできなかったが、押しても横にずらそうとしてもビクともしない。
私は閉じ込められているんだ。どこか他人事な実感が湧いてくる。
その瞬間だった。彼女の中に好奇心が芽生える。目の前に“謎”が現れ、自分がそれに直面している。それは彼女にとって、原動力となりえる。
ふむ――と、さっそく辺りを見回してみる。そして、ドアの横の壁の辺りで視線が止まる。
歩み寄って近くで見る。それは、注意深く見なければ気づかないような、壁にできた小さな凹みだった。石レンガでできた部屋の中に、そんな凹みは幾つでもある。が、彼女が見つけた凹みには、周りと少し違う色の石で縁取りされている。ただレンガが剥がれただけではない。剥がれを装ったレリーフなのだった。
次にメシアは床に視線を移した。
こちらも一面石のレンガでできている。そして、壁から剥がれ落ちたらしいレンガの破片がところどころ散乱している。
「よーし」
メシアは嬉々とした表情で床にへばり付いた。落ちている破片を次々と拾い上げては注意深く眺め、部屋の中央に置く。それを繰り返す。
思った以上に破片の量が多く、その上レンガとレンガの間に挟まった物まであり、作業は長時間に及んだ。地味で退屈な作業であるが、メシアは宝石の中からお気に入りの一つを選ぶかのように、楽しげに取り組んでいた。
そして、ついに“当たり”を発見する。壁と床の隙間に挟まっていたうえに、湿気を吸った土で化粧されていて、危うく見逃すところだった。
指で付着した土を丁寧に払いながらレリーフの前に立つ。
そして、ゆっくりと勿体ぶった手つきで破片をはめ込んでゆく。パチッ――小気味良い音を立てて破片がレリーフに収まる。ほぼ隙間なく完全にフィットした。
メシアは笑みを漏らし、レリーフを満足げに見つめていた。と、その時だった。
――ゴゴゴゴゴ……。
重いもの同士が擦れ合う鈍い音。それと共に、レリーフが縁に沿って壁に沈んでゆく。メシアが探し当てた破片に影が落ち、完全に見えなくなる。
それと同時に、カチンという軽いととともにドアにわずかな隙間ができた。どうやらメシアは正解したらしかった。
「うんうん」
メシアは満足げに頷き、ドアの方に移動した。
が、その時だった。部屋の中にガリガリガリ――と不気味な音が響いた。ハッとしてメシアが振り返る。そして、見つける。
今や穴になっているが、さっきまでレリーフがあった場所、その真下の床に白い粉が散らばっている。それは明らかにさっきまで無かったものだ。
メシアはあえて近づこうとはしなかった。さっきの音と、放射状に散らばる粉を見れば、なにが起きたのか大体察しがついたからだ。
さっきまでの満足げな表情は消えていた。小さく芽を出した不安を腹の底に押しこめて、メシアはドアを押しあけた。
悲鳴を上げる蝶番。徐々に現れる部屋の向こうの景色。メシアは溜息をついた。
扉の向こう――そこはさっきまでとほとんど変わらない小さな部屋だった。向かいの壁に鉄のドアがあるのも同じだ。しかし、唯一――いや、二つだけ違う所がある。
ドアからドアへと続く直線部分しか床が見えない。それ以外の床には“人形”が並んでいる。形や背格好は様々だが、そのどれもが部屋の中心に顔を向け直立している。メシアはかつて、どこかの軍の演習を見たことがあった。今目の前に広がる人形たちは、まさに整列した軍のようだった。
その視線に晒されつつ、部屋を横切り、向こうの扉に辿り着く。背後でドアのしまる音がしたが、彼女は気にしなかった。戻る理由は無い。
人形たちを蹴飛ばさないよう注意しながら、メシアはドアの横の壁を観察する。
すると、やはりあった。レリーフだ。そして、さらに予想通りで、そのレリーフは二頭身ほどの可愛らしい人型なのだった。
さっきの部屋との違い。それは、人形の有無とレリーフの形。それは、すなわち“二回戦”が始まった。ということなのだろう。
さすがに、二回目ともなれば楽しさも半減すし、げんなりしてくる。バラエティー豊かな人形たちを一つ一つ手にとって確認しながら、メシアは何度となく溜息をついた。
破片は探すところから始めなければいけなかったが、今度は数が決まっている。難易度は低いと思われるし、事実そうだった。服や髪の毛で誤魔化され、きっちり触らないと形が分からないというマイナスはあったが、それでも、確かに楽だった。楽なのだが、それが逆に不気味でもあった。
徐々に難易度が上がって行くなら、まだ分かる。しかし、微妙に下がった場合、何か意味を持つのだろうか。メシアは次々人形を触りながら考えていた。その切れの良い頭脳を遺憾なく発揮し、あらゆる可能性を考察してゆく。
片っ端から人形を確認し、当たりと思われる人形に行きあったのは四分の三ほど確認し終わった時だった。
その人形は深い色のゴシック調ドレスを身に着けていた。これを与えられた子供は不幸だ。夢に出る。メシアは人形に対してそんな感想をもった。
人形を胸に抱き、レリーフの前に立つ。カギを見つけたというのに、その顔は浮かない。彼女は考え続けて、一つの結論を出しつつあった。
「ゴメンね」
そう呟いてから、おもむろに人形をレリーフにはめ込む。予想通り、ピッタリとハマった。
直後、例の音と共に、人形が壁に沈んでいく。メシアは今にも泣き出しそうな面持ちで、ギュッとくちびるを引き結んだ。
傍らでドアのロックが外れる音。しかし、彼女はレリーフあとの暗闇から目が離せない。
――そして、
「――っつ……」
それは短くつぶれてはいるが、悲鳴に他ならなかった。
バリバリバリ――嫌な音と共に壁の穴から物が吐き出される。メシアはそれらから目が離せない。
一つはビリビリに破れて毛玉のように丸まった紫色の布、一つはくるぶしから上の無い小さな足、一つは宝石のように輝く鳶色の黒目の目玉、それ以外にも、床には肌色の細かい破片が幾つも散らばった。さっきまで人形だったパーツ。一つ目の部屋の破片と同じように、壁の中で破壊されたのだろう。あまりにも惨い。
人形を壁にはめる際の謝罪は、この時を予期してのものだった。レリーフに人形をはめれば壊されてしまう。しかし、そうしないとメシアが部屋から出られない。そういうジレンマがあったのだ。
それは、今や現実のものとなり、壊れた人形は床に散らばっている。メシアの体は雨にぬれた子猫のように震えていた。それは、彼女が辿り着いた結論に起因している。
「やっぱり……そうだ――」
己に言い聞かせるように、メシアは独り言ちる。人形の破片を踏まないよう注意しながら、ドアの前に立った。
「これはゲーム。どんどん難易度が上がっていく――」
右手でドアに触れる。ひんやりと冷たい。
「でも、カギを見つける難易度が上がるんじゃなくて――」
ギギィィィィ――ドアが向こうに開いて行く。
「カギをレリーフに入れることを“覚悟”する難易度が上がるんだ……」
いずれ人形をレリーフにはめなければならない。人形を探す際中、メシアは憂鬱だった。そして、考えることで、その憂鬱こそが意味を持つ――ということに気付いたのだ。
壁の破片が壊れても何も思わない。しかし、それが人形だったら? そして……、
「あっ……ああ……――」
メシアの頬に涙が流れ落ちる。
二つ目のドアの向こう――そこは、またしても小さな部屋だった。しかし、今度は人形ではなく大量の“人間の腕”が落ちていた。それらが本物か、作りものか、確かめることはできなかった。する必要もなかった。
確実に、この部屋ではレリーフに腕をはめる必要がある。そして、正解の腕は床に落ちている物の中に存在しない。
なぜなら、これはゲームだからだ。徐々に難易度が上がる仕組みになっているからだ。
縁もゆかりもない腕をレリーフに入れ破壊することと、罪のない人形を同じように破壊することに、さしたる違いは無い。
難易度を上げるためには彼女自身の腕を要求されるにきまっている。
――メシアの意識はそこで途切れた。次に目を覚ますとき、彼女はこの悪夢のような出来事が悪夢だったことに気付く……。




