壇香梅の逃避行 7
なんでも“花も恥じらう”という言い回しは“それほど可愛らしい”という意味らしい。俺は大学を出る頃まで“花を見ても恥ずかしがるウブな様子”だと勘違いしていた。「まったく、花も恥じらう女の子が――」と、どうどう使った気もする……後になって、恥ずかしさで悶絶したわけだ。きっと当時の俺の姿を見たら、花も頬を染めたことだろう。
ところで、このエレという少女は見てくれだけならなかなかに綺麗だ。きっと恥じらう花も少なくないだろう。まだ幼いようだけど、時々ドキッとするほど大人びた横顔を見せたりする。
まあ、そんなことは割とどうでもいい。俺が今彼女に対して抱く感情は「といって、本人に恥じらいがあるとは限らない」だ。
「なっ」
ダメもとで賛同を求めてみるが、グーピーと難易度の高い返事が返ってきた。そりゃあ、腹の上に手を乗っけて、寝顔を隠そうともせず仰向けになってたら恥じらいはあるのか?と疑いたくなってしまう。一人で何やってんだろ、俺……。
――そんなかんじで、俺は結構参っていた。何でもいいから考えていないと、ちょっとおかしくなりそうだった。
扉を開けたのはどれくらい前だったろう。ほんの数時間のようにも、数日前のようにも感じる。気の利かないことに、この部屋は時計がないので確かめようがないのだ。
あるものといえば、くたびれたチョコレート色のちゃぶ台と、茶渋色の座布団。まあ、厳密にいえば四枚と半分の畳が床に敷かれていたりする。
まさかの和室である。一歩外に出れば貴族が支配する王国で、魔法まで存在するというのに――ミスマッチにもほどがある。
といっても、外とのギャップを目で感じることは無かった。この和室には窓や襖が一切ない。俺たちがこうして入っているのだから、どこかにドアがあると思うのだが、不思議なことに見当たらず、また、魔法や腕力では壁や天井、床を壊すことはできなかった。これぞまさに座敷牢――って感じだ。
ここまで来れば、ちょっとしたアクシデントじゃ済まない。列記とした事件だ。残念なことに事件慣れしつつあるけど、今回は少し不安が大きい気がした。
エレと出会ってからずっと付きまとってくる違和感――ひょっとして、和室に閉じ込められた原因はエレにあるんじゃないか? とか勘ぐってみたりして。俺も寝よ……。
*
小井戸が家出した――そう知ったメシアの行動は素早かった。ロクに荷物も持たず家を飛び出し、ルドラカンドを囲う城壁も文字通り飛び越えた。普通の発想であれば、知り合いの家を回って「来てないか」と聞いて回る。ちなみにアーネットは普通の発想をした。メシアの行動は、一見無鉄砲ともとれるが、しかし、それは彼女なりの考えがあってのことだった。
(コイドはチキンだ。だから、人に頼るくらいなら逃げる)
まったくもって面白全部である。本当に小井戸を探すつもりがあったのか、はなはだ疑問ではあるが、ともかく、名目上は同居者思いであり、一途ともとれる。
ちなみに、バスウッド=カーペンターから譲り受けた戦車は、学園の研究機関から危険性なしとお墨付きをもらい、晴れてメシアの持ち物となった。
戦車の走行性能は誰かを追いかけるにうってつけだ。どんなサラブレッドより早く走り、バック、ドリフト、お手の物。オマケで熱光線を出せたり、高速戦闘も行える。
彼女の頭脳と戦車の性能――これはまさしく鬼に金棒であり、彼女の予想では町を出てすぐ小井戸を発見できるはずだった。
実際のところ、目視できる寸前のところまで迫っていた――が、突然起こったアクシデントにより、大きくルートを外れることとなる。
「ねえ、壊れちゃったの? これ」
「いえ、壊れてはいません。しかし、原因も分かりません」
「頼りないなあ」
そこは平らな森の中だった。突然言うことをきかなくなった戦車の腕に必死でしがみついていたら、いつの間にか森に居た。それ以上の説明ができない状況だった。
メシアは懐中時計の文字盤を見つめて溜息をつく。
「はあ――どうしよ。こんなことになるなんて思わなかったから、なにも持ってないよ。お金だって少しだけだし……ねえ、ここどこか分からない?」
「私も丁度それを考えていました」
「それで?」
「今も考えています」
「――はあ」
見た目の割にたくましい心をもつメシアだが、さすがに森でサバイバルする気にはなれないようだった。時計に命令し、動かなくなった戦車を消す。そして歩き出す。
その森は平らで歩きやすいが、代わりに視界が悪かった。気を抜けば飛び出している枝で怪我をしてしまいそうで、足取りは慎重になる。
そのストレスのせいか、歩き出して一時間と経たないうちに、息が上がり、太ももがつっぱりだした。そして、体につられたのか、精神まで病んでくる。自分は永遠にさ迷い歩くのでは――夜になったら獣が――洞窟の奥で独りぼっちで死ぬかもしれない――。
浮かんではこびり付き、不安は募って行く。大きく短い間隔で続いていた呼吸が、薄く引きつったようになる。限界が近付いていることは明白だった。
そうまでして歩き続けているのに、視界は一向に開けない。それどころか、ついに日がオレンジ色を帯び始めている。
――夜が来る。
日頃であれば気にも留めないそんな予感が、今は胸を割くほど刺々しい。
メシアは空を見上げた。その目尻には滴が溜っていた。 ――しかし、その瞳に映ったのは、鬱蒼と手を伸ばし絡み合った枝だけだった。




