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壇香梅の逃避行 5

 


 ビーフシチューは寸胴鍋にたっぷり入っていた。匂い通り、見た目も美味しそうだった。そして、味も申し分なかった。どれほど美味しかったかといえば、勝手に人様の家の料理を食べているという負い目を皿が空になるまで忘れてしまっていたほどだ。


「なかなかの味だったわね」


 猫目の少女エレは椅子にふんぞり返って腹を撫でた。鬼気迫る顔でシチューを掬っていたわりに辛口な評価だ。まずもって、味の評価などしていい立場で無いことを思い出していただきたい。まあ、俺もだけど。


「さて、そろそろ――」

「そうね。横になりたいわね」


 なにが“そうね”だ。


「皿を洗ったら今度こそ家主を探すんだ。すでに訴えられたら勝てないぞ、俺たち」

「めんどくさ……。大丈夫だろ、金はあるんだから」

「そりゃそうだが」

「あんがい、家主も喜んでるかも知れないよ。こんな山奥に家を建てる変人なんだから、闖入者大歓迎って感じかも」


 なるほど、安心した。闖入者の自覚はあったんだ。

 しかし、俺はそこまで楽観できない。家の中を勝手に歩く無礼を押して、家主を探そう。



 しばらく探索した結果、俺たちは一階右の大きな扉の前に立っていた。消去法というやつだ。どの扉をくぐっても人影は無く、鍵が掛っていて入れないこの扉に帰ってきた。

 二階奥の廊下は客室になっており、ドアの向こうにふかふかのベッドを見つけるたび、エレの駄々っ子が炸裂。そのたび俺がなだめに入った。最終的にエレは俺の背中で寝てやると飛びついてきたので、さすがに腹が立って脳天にチョップをくらわせてやった。その甲斐あって眠気は吹っ飛んだようだ。怒りを買ったが……。


「ねえ、なんか怪しくない? これだけオープンな屋敷の中で一つだけ開かないなんてさ――継ぎ接ぎ人間の牢屋だったり?」


 その怒りも飛んで行ったようだ。猫っぽい見た目だから好奇心とも縁が深いのかもしれない。

 しかし、言うに事欠いて“継ぎ接ぎ人間”とは。悪趣味この上ない。ここは年長者として道を正してやらねば――とも思ったが。


「ねえ、あれ見て――」

「ん?」


 エレの視線が彼方へ飛んで行った隙に、指先で扉のカギ穴の辺りに触れる。


――ポンっ。


 未来の魔法は物理現象なので対象が小さければ破裂音も小さい。


「今変な音しなかった?」

「気のせいじゃないか」

「そう――」


 どうやら誤魔化せたようだ。


「あれ、鍵が空いてる……」


 なーんちゃって。我ながら白々しい。人様の家のカギのかかった部屋に侵入しようというのだ。最低である。が、もうここまできたら関係無い。毒を食らわば皿まで、だ。



 *



 扉をくぐると、まず匂いが気になった。硬く刺激的なカビっぽい匂い。暗闇に目が慣れて、匂いの原因に気付く。正方形の部屋の中心に下りの階段が設けられている。どうやら地下室があるようだ。匂いは吹き上げてくる空気の流れに混じっている。

 隣を見るとエレはくちびるを結んで階段の先を見下ろしていた。


「怖いのか?」

「違うっての、バカ」


 カギをこじ開けた手前ここでジッとしている手は無い。どちらからともなく階段に踏み出す。しばらくは木の板が軋む音が響く。壁に手を突かなければ歩けなくなった頃に、硬い石の階段に変わる。

 慎重に歩を進めつつ、ふと思う。本当に継ぎ接ぎ人間が居てもおかしくないかも、と。この階段を見下ろしていた頃、「まあ、食糧庫かワインセラーみたいなもんだろう」と考えていた。普通こういう地下倉庫は厨房の近くに作られる。しかし、ここは尾根の上。場所を考えて掘らなければ斜面から“こんにちは”となりかねない。そういう事情を考えて、厨房から少し離れた場所に地下を作ったのではないか。そう考えていた。

 しかし、だとしたら変だ。まず、階段が長すぎる。手探りでゆっくり進んでいるとはいえ、すでに百段以上は下りている。こんなに深くする理由が分からない。

 そして、暗い。この世界には魔力を動力源とした証明が存在する。時差式で自動消灯する物だってある。だというのに、もしこの階段の先に食糧庫があったとして、シェフはランプ持って階段を下る必要がある。すると当然、大量の食材を抱えてランプまで下げて帰り道、階段を上ることになる。それは非効率的だ。あれだけ豪勢な屋敷を見ている、地下だけランプの設置を渋ったとはとても思えない。

 だから継ぎ接ぎ人間かも、と――。


「あたっ」


 エレの短い喘ぎはゴウンという鈍い音と共に響いた。俺の脚は自動的にピタッと止まる。


「どうした。大丈夫か?」

「おでこぶった……行き止まりみたい。硬い壁がある」


 言われて、手を伸ばしてみる。すると確かに、冷たくざらざらした感触に触れる。

 ここまで来て行き止まり? 考えられる可能性は二つ。一つ、まだ掘っている途中。工事中だったとしたら、鍵で閉ざされていたこと、照明が設置されてないこと、どちらにも説明がつく。二つ、家主は階段を愛している。階段自体が家主のフェチズムの対象だとしたら、階段の先に何も無くてもおかしくない。

 しかし、俺の考えはあっさりと否定される。


「ねえ、これ扉になってない? 横の壁とは明らかに手触りが違う」

「――? そんなはず」


 言われて、触り比べてみる。


「た、たしかに……」


 全く別物に思えた。横の壁はザラザラで岩をくりぬいた感じだが、正面の壁は滑らかで密度が高い気がする。


「押してみよ。二人の力なら開くかも」

「あ、ああ」


 違和感。こんなに手触りが違うのに、どうして俺は気付けなかったんだ。プラシーボ効果ってやつだろうか。どうも腑に落ちない。

 この屋敷を見つけた場面からずっとだ。俺は一度もエレより先に“発見”出来ていない。

 首筋に冷たい風が通り過ぎた――気がした。




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