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壇香梅の逃避行 3

 


 喫茶店を出た小井戸は薄暗く狭い路地を歩いていた。そこは、どんな町にもある“グレーな場所”であり、饐えた匂いと怪しい視線で満ちている。

 彼がここを通りかかったのは、あまり人目に付きたくないからであり、とくに用事は無かった。

(うわあ、胸が詰まりそうだ……)

 今の俺に日陰はちょうどいい。などと思えたのは最初の数分だけ。ゴミ箱の裏にうずくまるホームレスを見たあたりで胸を悪くしかけていた。

 早く通り過ぎよう。そう思い始めた時だった。前方からこの場に似合わない幼く甲高い声が聞こえた。


「ホント? お金いっぱいくれるのか」


 どちらかといえば鈍感な小井戸だが、こればかりは一瞬で気づく。足を速める。

 通りの中でもかなりの面積を誇る建物。その玄関先に二人の人影があった。


「わしの店はこの町で一番給料がいいんだよ。お譲ちゃん運が良かったね」


 出っ張った腹と綺麗に整えられた白髪の口髭が特徴的な男だった。服や着こなしは一流風で、その話し方も親切そのものだが、場所と話している相手を考えるときな臭いことこの上ない。


「そうか――それはラッキーだ」


 何の疑いもなく喜んでいるのは、普通の少女だった。猫のような黒目がちな瞳、白く透き通る肌。幼いながら相当に美人である。しかし、耳に掛る程度に切りそろえた薄墨色の髪は少年っぽさを残し、花柄の白いワンピースを着ていなければ一瞬性別が分からないだろう。

 お使いの最中に怪しい路地に迷い込んでしまった。そんな感じだ。


「ささ入りなさい、お譲ちゃん。中でゆっくり話そう」


 少女は一度頷いて、しかし、直後に表情を曇らせた。


「でも、わたし、一度も仕事したこと無くて……大丈夫かな?」


 どうやら働くことに不安を感じているようだった。

 白髭の男は赤子をあやすような声で言う。


「大丈夫。難しい仕事じゃないよ――それに、お譲ちゃんだったらすぐ“人気者”になれるからね」


 これはもう勘違いじゃないだろ。そう思いつつ、小井戸は二人に近付いて行った。

 

「やっと見つけた。お前な、あれほどはぐれるなって言ったろ!」


 店に入りかけていた二人が小井戸の方を見る。小井戸は少女の手首を握って引き寄せる。


「ほら、帰るぞ――まったく」

「なっ? お前、だれ――――」

「すみません、おじさん。こいつ目を離すとすぐどっか行っちまって。連れて帰りますね」


 状況が分からず混乱している少女の言葉を遮りつつ、強引にその場を離れた。



 *



――ぱあん。


 日当たりのよい住宅街に快音が響く。

 小井戸の頬を平手で打った少女は怒りをあらわに言った。


「なんてことをしてくれたんだ、このバカ! せっかくいい仕事が見つかったのに台無しじゃないか」


 見た目よろしく、喋り方も男勝りだ。

 小井戸はひりつく頬を抑えて、げんなりと呟く。


「お前なあ……はたくこと無いだろ。助けてやったってのに」

「助けた? 逆だろ。わたしの邪魔をしたんだぞ」


 隙あらばもう一発。そんな気迫が少女から漂ってくる。

 

「あのおっさんに付いて行ってたら、お前、今頃酷い目にあってたぞ。ありゃ明らかに“そういう店”だ。一生忘れられないような傷をつけれるところだったんだ」


 小井戸は相手の歳を考えて、あえて抽象的な説明をした。しかし、それが良くなかった。


「わたしをバカにしているのか? そんなテキトーな説明で納得する訳無いだろ。さてはあれだな――お前、子供相手に商売する姑息な詐欺師だろ!」

「なっ――なんだと! そんなんだから騙されるんだよガキが!」

「誰がガキだオカマ野郎! もいっぱつブッてやろうか!?」

「んだとぅ!」


 年下の少女と同レベルで言い争っているのに気付き小井戸が落ち込むまで、十数分――。

 踏んだり蹴ったりで心が折れた小井戸は道端のベンチに腰をおろし、大きな溜息をついた。

(何やってんだろ……ホント)

 そんな彼の前に怒りが収まっていないらしい少女が仁王立ちし、言う。


「責任取りなさいよね」


 はい? ――小井戸が顔を上げると、大きな目と視線がぶつかる。


「お前のせいで職にありつけなかったんだから、責任とってわたしを養いなさい」

「は……? いや、家に帰れよ。ここら辺に住んでんだろ?」

「わたしに家なんか無い」

「孤児ってやつか」

「そんなことはどうでもいい。とにかく私は一人で生きなきゃいけない。でもお金がない。だから働こうとしていたの。それをお前が邪魔した。

 だから、お前にはわたしを何不自由なく生活させる責任がある!」

「無いわ、そんなもん!」

「じゃあ、おじさんとこ戻る」


 プイとそっぽを向いて、少女は来た道を帰って行く。

 小井戸は悩んだ。無礼なガキ――いっそ行かせた方が。しかし、葛藤は十秒も続かなかった。

 少女を追いかけ、再び手首を掴む。


「まてまて、分かった――」


 そして、ポケットから金色のコインを何枚か取り出し、渡す。


「これだけあれば贅沢しなきゃ半年は生きていける。だから、ゆっくり考えてまともな仕事を探せって、な?」

「お金くれるの?」

「その代わり、さっきの通りには絶対行くな。それが条件だ。分かったか?」

「分かった」


 あっさりした返事に少し不安になるが、小井戸にも事情がある。これ以上関わっていられない。


「じゃあな」


 踵を返し歩き出す。町を出よう――そんな気分だった。

 


 *



 小井戸は人気のない道を選んで歩き、町の外れまでやってきた。外に通じる門は開けっぱなしだが、テントが一つ置かれており、外に出る人間はそこで何やら手続きをしているらしく、人の流れは滞っている。小井戸はロカとアーネットの姿が無いことを確認してから列に参加した。

 目立たないよう人の陰に隠れながら待ち、ようやく小井戸の番が回ってきた。テントの前に立つと、役人らしい鎧を着た男が話しかけてきた。


「荷物は無いようですが、観光ですか」

「はい」

「では、銀貨二枚になります」

「え? なんですかそれ」

「関税です。観光であれば滞在期間に関わらず銀貨二枚。行商目的であれば荷物の量によって額が変わります」

「ああ、なるほど」


 貴族が市場を仕切っている公爵領地にしか出入りしたことのない小井戸が関税を知らないのは仕方がないことだった。

 そういうもんか、と思いつつ貨幣を取り出そうとポケットに手を入れる。そして青ざめる。

(あ……お金全然ない)

 さきほど少女に渡したのが小井戸の有り金ほとんどだった。持っている小銭を全て足しても銀貨二枚には届かない。


「どうしましたか?」


 急に黙った小井戸に役人が問う。

 小井戸は自分の不注意を呪った。精神的に参っていたとはいえ、ロクに考えもせず金を渡してしまった。こんな状況じゃまともに旅することもできないじゃないか、と。

 大人しく引き返すしかない。諦めてテントから離れようとした、その時だった。


「あっ、やっと見つけた。なんで先に行くんだよ!」


 服の裾を引っ張られて、それが自分に向けられた言葉だということにようやく気付く。


「お、お前――」


 なんで居るんだ――と言いたかったが、突如現れた猫目の少女が言葉を被せてきて、言えずに終わる。


「まったく、せっかちなんだから。ほら、お金わたしに預けたままでしょ」


 といって、少女が取り出したのは一枚の金貨。先ほど小井戸が彼女にあげたものだ。


「おじさん、二人分。これで足りる?」

「ああ、大丈夫だよ」


 役人は、少女の思惑通り、二人を仲間と判断したらしく、金貨を受け取り、


「良い旅を――」


 業務的に言いつつお釣りの数枚の銀貨を少女に返した。


「どうも。さ、行こう」


 半ば自失状態で手を引かれるまま歩く小井戸。門を出て少し離れた辺りでようやく口を開く。


「お前、付いてきたのか?」


 少女は前向いたまま、


「変な奴と思ってね。まさか、有り金ほとんど渡すようなバカだとは思わなかったけど」


 憎まれ口を聞いた。

 小井戸はムッとして言い返す。


「バカとはなんだ。っていうか、どこまで行くつもりだ。俺は旅の途中で、もう町には戻らないぞ」

「どこ行くの」

「魔女の森だけど」

「おお、いいね」

「――ひょっとして付いてくるつもりか?」


 そこで少女は足を止め、小井戸に向き直った。そして、ニヒッと悪戯に笑って、


「付いてくるのはお前だ。金がない可哀そうなお前を、私が養ってやろう」


 ふてぶてしく言い放った。


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