壇香梅の逃避行 1
しばらく実家に帰らせていただきます。まあ、この世界に実家なんて無いんだけどね。いうなれば、魔女の都ブラクコンティーンがそれに当たるのかな。魔法都市崩壊後、魔法使い族が住む最後の町だし、何となく心情的にも故郷って感じがする。それに、お姫様との約束もある。
『休みに入ったら必ず戻ってこい』
あの幼くて横暴な、かつてこの体の持ち主と恋仲だったという少女は、別れ際そう言った。夏休みはもう少し先だけど、待っている余裕は無い。
俺は、失敗した。
バスウッドの目的は“箱”を奪うことだった。その箱によってかつて自らの手で殺してしまった奥さんを生き返らせることができると言っていた。だから俺はバスウッドに協力した。たくさんの人に迷惑をかけてしまうけど、でも、バスウッドの望みがかなうなら、それは良いことだと思った。そう――思ったんだ……。
「はあ――」
溜息は雑踏に紛れて消えた。
この町の特産は木彫りの像らしく、通りの初めから折に触れて眼に入ってくる。普段であれば、興味を引かれるだろうけど、今はダメだ。人が多く活気のあるマーケットに来れば少しは気がまぎれるかと思ったけど、それのダメみたいだ。
なにやってんだろうなあ――黙って家を出て、知らない町に来て、溜息ついて……俺はなにがしたいんだろう。
真っ直ぐブラクコンティーンに向かえばいいのかもしれないが、それも気が進まない。お姫様には人の心を読む力がある。俺のバカな行動を知ったあの人はどんな罵倒を浴びせてくるか……。魔女の森にはゆっくり行こう。
「よし――」
マーケット通りの熱気にあてられても気は紛れない。戻る気にも進む気にもなれない――ならば、そんな人間が行きつく先はいつだって“あそこ”だ。
*
「見当たりませんね」
学園を中心とした子供の町ルドラカンドと比べても、この町は小さい。しかし、こういった大国の隙間にある町は、商人の中継点として人の入出が多い傾向にある。したがって、規模の割に人口が多く商売が盛んな傾向にある。マーケット通りを一通り見物したロカとアーネットは、ここがそういった狭間の盛況街であることを身にしみて知った。
「コイド様であれば、真っ先にマーケットへ行くと思ったのですが、タイミングが悪かったのでしょうか」
小井戸は歩き、二人は馬車、出発した時間を考えればこの辺りでちょうど会えるだろう――話し合った結果、二人はそう結論を出したのだが、肩すかしをくらってしまった。通りの終わりまで来て、結局それらしい人影は見つからなかったのだ。
ロカは少し考える素振りを見せてから、提案する。
「少し休憩しませんか? あまり根を詰めすぎると持たないですよ」
「しかし、こうしている間にもコイド様は町から出て行ってしまうかもしれません。そうなったらさらに見つけるのが困難になります」
「こういった商人を中心に経済が成立している町は、入るのは楽ですが出るのは大変と相場が決まっています。タダで商売をさせて、その儲けの中から税を取るんです。つまりですね、町を出ようとすれば何らかの痕跡が残るという訳です。
コイドさんの見た目はかなり目立つので、町を出たのなら絶対に分かると思います。私たちは馬車で移動できるので、後追いでも問題ないはずです。
ですから、ね?」
「なるほど――たしかに」
「決まりです」
ロカはアーネットを導くように迷い無い足取りで進みだす。マーケットの終わりにひっそりと建つ“喫茶店”は静かに休むのにちょうどよかった。
*
「いやあ、まさか、あの店のマスターの弟子だったとは。驚きました」
「いやいや、こちらこそ驚きました。コーヒーとクッキーの味で気づかれるとは思いませんでした。お客さん、お好きなんですね」
フラッと吸い寄せられるように立ち寄った喫茶店で、小井戸は思いがけない出会いをした。カウンター席に座り、ブレンドとクッキーを注文。それらを一口ずつ味わった瞬間、小井戸は気づいた。ルドラカンドで通っていた喫茶店の味とそっくりだ――と。
髭面の熊のようなマスターは、照れくさそうに話す。
「ぼくも昔ルドラカンドで店をやってましてね。アチラとは同業者として随分争ったのですが、勝負になったのは最初だけで、まるで私は相手にならなかった。好きと恨みは表裏一体といいますか――負けた理由を考えているうちに、気づけばあの店の味の虜になっていました。
あのマスターは優しくて面倒見のいい人でね。商売敵だというのにお菓子のレシピや、使っている豆の種類なんかを簡単に教えてくれるんですよ。
いやあ、気づかされましたね。喫茶店なんて中途半端な業種、好きじゃなきゃやってられない。あの人は喫茶店のマスターという生き方が大好きで、それに憧れたぼくも同じ人種だんだって――」
優しく野太い声で語り終えると「いやはや、話が長すぎましたな」と我に返って頭を振った。
小井戸はそんなマスターを恋する少女のような瞳で見つめていた。
「うわあ――いい話ですね。いいなあ。俺も、そんな職人として生きたいものです」
「滅相もない」
マスターは照れくさそうに笑った。
「お客さん、あの店を知ってるということはルドラカンドの生徒さんですよね? なんでまた、こんな小さな町に」
うぐっ――小井戸は言葉に詰まる。
「ちょっと、休みができたもので、里帰りの途中なんですよ」
「へえ、それは楽しみですね。しかし、あの学園の生徒ということは貴族なのでしょう? 付き人なんかは居ないんですか?」
「そ、それは――」
黙って出てきた――という事実が急に存在感を増し小井戸を押しつぶす。
――その時だった。カランカランとドアの鈴が鳴った。
ちょうど居た堪れない気分を持て余していた小井戸は、音のした方に視線を逃がした。本当に何気ない仕草だった。
今まさに店に入ってくる二人の少女――その顔を見た瞬間、小井戸の両手は素早くポケットをまさぐり、二本のテーブルナイフを握った。
(な、なんでいるんだ――――!)




