タキオンの孤独 29
「そういえば――初めて会ったのもここだったな」
「うん。俺、友達が欲しくってさ、そこのベンチで本を読んでたエイモスくんに声をかけたんだ」
二人の視線が傍らのベンチに集まる。
「フッ――声をかけたって、あれはそんな生易しいもんじゃなかったろ。必死すぎて怖かったぞ」
「そ、そっか。でも、あの時、偶然ね見つけたのがエイモスくんで良かったと思うよ」
エイモスはやれやれと頭を振って言う。
「やめろ、気色悪い……それに、俺たちはこれから戦うんだぞ」
小井戸は、それでも真剣な顔で、
「そうだけど――でも、戦うからって敵になった訳じゃない。虫がいいかもしれないけど、俺はそう思ってるんだ」
それは決意表明であり、問いかけでもあった。
エイモスはあえて答えなかった。
「俺が変わったことについて、聞かないんだな。少し前の俺だったらお前を倒すどころか、その力を自覚することすらできなかった。だが、今ならその能力の出鱈目さが分かる。そして、それに対抗する手段もない訳じゃない――お前を非難する訳じゃないが、俺も化け物になったんだ」
「正直驚いてるけど――」
コイドは一度言葉を切り、一瞬ベンチに視線を戻した。それから、再びともに向き直り、
「でも、あんまり関係ないかな。授業中やご飯を食べる時、放課後も――俺達の日常に能力は必要ない。だから、あえて聞くほどのことじゃないかなって、そう思ってる」
エイモスも友に習って再びベンチを見る。それは、ここではない――今ではない何処かを見つめているような面持ちだった。そんな彼の意識にしゃがれた声が響く。
『何を安心しておるのだバカ者――そこに居るのは敵であろう。それもヤツを差し置いて相対した敵なのだろう。真面目にやらんか』
『まったく、自由気ままな猫には分からんだろうな――俺たちみたいな小心者は他人がいなけりゃ自分を見つけることも出来ないのさ。重要なことなんだよ』
『はっ――訳の分からんことを。お前の考えなど知らん。それより、真面目に戦うのだぞ。力に伴う責任を受け入れて、お前は相克者になったのだから』
『ああ、分かってるよ』
制服のポケットから取り出した二本のテーブルナイフ――その僅かな重さを手の中で確かめながら小井戸は内なる声に耳を傾けていた。
『いやあ、まったくよ――面白いことになったな。普段お前が恋人みてーにベッタリ慕っている、あのエイモスと戦うなんてよ。まさかだぜ』
『さっき家でも戦ったじゃないか』
『あれは戦いとは呼べねえだろ。不意打ちと不意打ち、成り行き任せ。それは戦いじゃねえ――本当の戦いってのは――』
『分かってるよラプラス。僕らは互いを敵だと認定して対峙することを選んだ。これが本当の戦いだ……でも――』
『わーってるよ。そう心配すんな――俺だってお前と同じ意見だ。ったく、世話の焼ける奴だ――お前らは変わんねえ。そうだろ?』
『うん、ありがとう――』
二人の間に無言の合意が結ばれた。戦おう――。
普通の戦いであれば、ここでそれなりの準備があるはずだが、しかし、この二人に限って武器を構えたり、有利な位置に移動したりといった駆け引きは起こりようもない。なにせ、二人とも素人なのだ。ただ自然体で立ち、相手を見つめるだけである。
そして、素人であるからこそ繊細な読み合いや駆け引きが発生する訳もなく、最初の攻撃はストレートな必殺技であることは必然だった。
『なあヘヴン――アイツに纏わり付いているリボンは頭と体で色が違う。なぜだ――そして、どっちを結んだ方がいいんだ』
『知らん、彼奴にも事情があるのだろう。しかし、どちらを結ぶべきかといえば、それは簡単。 ――どちらもじゃ』
『まったく、テキトーな奴……』
エイモスは明確な答えが得られなかったので、とりあえず面積が広い方を選んだ。体の周りを螺旋状に覆う包帯のような白いリボン――それを結べば普通の人間と同じように動きを封じることができることを小井戸家での戦いで彼は知っていた。リボンが二つ存在する理由は分からず終いだが、考えたところで分からんものは分からん――ある意味で前向きな思考によって、エイモスは行動に移る。
小井戸の体を覆うモノから枝分かれし、自分の方に伸びてきているリボンの先端を握る。トンボの眼を回すような仕草でリボンに慣性をつけ、結び目となる円を作る――念のためより強固に――円の縁に沿って手の中のリボンの先端を二回転させる。これで引絞って結び目を作ればちょっとやそっとで、解けない堅いものになるだろう。リボンが見えているのは自分だけであり、小井戸に結び目を解く方法は無いので、無駄な配慮かとも思ったが、事実として彼はエイモスのリボン結びから復活し、学園まで来た。念には念を――だ。
――ギュッ。僅か一瞬の出来事。少し大きめの結び目が完成する。
この時点で、小井戸の体は完全に動かなくなった。一方的かつ理不尽な戦い。普段であれば、これで決着と判断し、踵を返して自治会室に戻るところだが、本人にも根拠が分からない“確信“により、小井戸から目が離せないでいた。まだ終わっていない……。
『おう、元気か』
『どうやらね』
『スターウェイの言ったとおりだな。どうやらエイモスの力は“時間”を物理的に認識し、自由に操ることができるらしい――まったく、とんでもねえ能力だ。しかしよお、それは――』
『うん。俺ほど“チート”じゃない』
小井戸の魔法名“未来”は触れることで発動する。小井戸の“思う”通り対象の未来を奪い取ることができる。
そう、“思う”ことができればいいのだ。こと、自分自身に魔法を使う場合、触れるという工程が省ける。自分自身に魔法をかけたいのなら、この場合“思う”だけでいいのだ。
小井戸が逃げ込んだ喫茶店にあらわれたスターウェイ=ランキャスターは小井戸の話から、エイモスの能力を推察したうえで、長々とこう助言していた。
『厄介な能力だね。およそ弱点があるとは思えない――しかし、君に限っては方法があるように思われる。
いいかい、コイド=コウヘイという人間は、とてもチグハグな存在なんだ。魔法王の体に小井戸浩平の精神が入って個を成している。それはつまり、肉体と精神――独立した“個”が、物理法則にのっとってそれぞれの役割を果たし、人間としての機能を成立させている。
このことに言及すると“神”と呼ばれる知り合いに酷く怒られるのだけど……まあ、君もヤツと知り合ったようだし、怒られるのは君だろう。だから、言うよ。
肉体の有無に関わらず“個”は成立する――分からない? そうだな、つまり、“魂”という概念を肯定したのさ。これは人間の世界の基準を揺るがしかねない事実だよ。あまり他言してはダメだよ。まあ、そのことはいいか。
要するに、肉体と魂の出自が異なる君は、まったく混じりけのない“個”とは認識されないのさ、世界というオペレーティング・システムからね。
時間と名付けられた概念は、世界が普遍的に持つ諸々の機能を有機的に統合し、同じライン上で複数同時に実行するために存在する。要するに、時間が見えるということは、人間の次元を超え、世界と近しいステージに踏み入ったということだ。
だから、コイド=コウヘイのチグハグさも、そのまま適用される。 ――と考えられる。
すなわち、エイモスくんの視界で見た君は、酷く不可思議に映る。勝機があるとすれば、そこを突くに限るだろうね』
話を聞いた直後はまるで理解できていなかった。しかし、今、実際戦いが始まって、ようやく実感として理解が追い付き始めているのだった。
『体が動かなくても考えることができる――もし、考えることができなくなったら、今度は動くことができる……あってる?』
『おそらく、そうだと思うぜ。スターウェイは、もっと簡単に話せばいいのにな』
『……ホントだよ。でも、これでまともに戦うことができる』
小井戸は自らに命令した。自らの時間――蓄積された“未来”だった“過去”を奪い取れ、と。
――ポンっ。
膨らませた紙袋を破裂させたような気の抜けた音とともに、小井戸の体が白煙に包まれる。
それは、魔法の発動に成功したという動かぬ事実の証明であり、エイモスの予感が現実になった瞬間でもあった。




