タキオンの孤独 26
「コイド様すみません――」
アーネットは謝罪の訳を聞く間も与えず小井戸をぶん投げた。校舎の屋上を目下に捉える高高度でのことだった。主人が飛んで行った方に「本当にすみません」と一度頭を下げ、それから重力に従った緩やかな下降を始める。
彼女が落下したのはルドラカンド学園の校門の周辺だった。ドシン――と普通の少女であれば卒倒ものの効果音とともに地面が捲れあがる。
そこにはアーネットにとって見逃せない相手が居た。その姿を見つけたからこそ、主人をぶん投げるという暴挙に出たのだ。まさに今校門を潜ろうとしていた、もう一方の少女は立ち止まることを余儀なくされ、腕で砂埃から目を守った。
暗く、さらに砂埃の眼隠し――しかし、そんな悪条件の中でも彼女はアーネットの初撃を難なく回避してみせた。
閃光のごとく速さで背後に抜けて行った気配に彼女は鋭い視線を送る。
「アーネットさん――まさか追い付いてくるとは思いませんでした」
柄のついた蜂蜜色の大盾で土埃を切り裂き、アーネットも視線を研ぎ澄ます。
「ここから先には行かせません。決着をつけましょう、ロカさん」
*
『なあヘヴン――結局このリボンは何なんだよ』
『何度も言うておるだろ。それは“時間”だ』
『ピンとこないんだよ。時間というのは流れるものだろ。でも、このリボンは違うじゃないか――長さも太さも色もまちまち、転がって管を巻いているのもあれば、フラフラ舞っているのもある。包帯のように巻かれていたり、バネみたいに螺旋を描いていたり――まったく取り止めがない。時間ってのはこうも整然としないのか』
頭の中にフッ――と鼻を鳴らす音が響く。そういえば、生前コイツの鼻は真っ黒だったな。どうでもいいことだが。
『何を問うておるのか。そう見えているなら、そうなのだ。いまさら能力を疑う理由もなかろう』
それはそうだ。人間に纏わり付いているリボンに結び目を作れば、そいつは動かなくなった。ドラゴンの火球が出現した瞬間地面と結び付くように出現したリボンを千切れば、火球は消え去った。全てヘヴンが言った通りの現象だった。能力の裏付けとして十分すぎる。しかしなあ、やはり俺は平凡なのだろう。今一つピンとこない。
床にバラバラと散らばるリボンを踏まないよう歩きながらそんなことを考えた。
『さて、それで、コイツには俺の力が通じるのか。よく分からんが魔法は効かないらしいが』
『時間が見えているなら通用する』
『ならよかった。とっとと――――』
女神像に絡みついた明るい黄色のリボン――千切ってしまえと手を伸ばしたのだが、その瞬間、白いリボンが俺の手に絡みつくように伸びてきた。急いで手を引く。
「しまっ――」
しくじった――リボンを踏んでしまったようだ。バスウッドが俺を見た。それと同時に女神像の掌が俺に向けられた。
「まさか、本当に居たとはね――」
俺が出てきて驚いているならスキくらい見せればいいのに。ヘヴンの言う敵というのは抜け目ない男のようだ。
さて、どうするか――継続的に放出される熱線のリボンはどんな形でどんな動きをするのか、想像もつかない。呑気に構えているわけにはいかない。かといって、姿を消して逃れたり、適当なリボンを引っ張って瞬時に移動する手も使えない。後ろにはリード会長が居る。
『覚悟を決めろバカ者』
『しかしなあ、出来そうもないことを気合とか根性で乗り越えるってのはどうかと思うんだが』
瞬間のインスピレーションに任せてしまえ。ヘヴンは怒るかもしれないが。我ながらどうかと思う結論をしたところで、しかし、
「危な――――い!」
そうか、と気づく。さっき手に絡みついてきた白いリボンはコイツの物だったんだ。
まるで目で追うことができない速さで躍り出てきた影――戦車の掌から飛び出した緑色の光がその影にさえぎられる。俺に光が届くことはなかった。
ランプの油が切れた時のような尻すぼみな揺らぎを伴いつつ光が消える。闇が戻った部屋の中、一番驚いているらしかったのはバスウッドだった。
「ど、どうして止めたのですか」
地団駄を踏むように問うバスウッドに、その突如現れた男のような女のようなヤツは言った。
「す、すみません――つい」
その顔を見た瞬間、体中から力が抜ける気がした。
バスウッドにへこへこ頭を下げてからソイツは俺の方に向き直った。
「やあエイモスくん」
何故ここに来ることができた。何故バスウッドの攻撃を止めた。疑問はいくつもあった。しかし、口を衝いて出た質問は実にくだらないものだった。俺は毒されてるな。
「コイド――お前、どうしてズブ濡れなんだ」
「いやあ、それがさあ、アーネに投げ飛ばされてプールにドボンだよ。溺れるかと思った……」
「それは災難だな……」
思わずゾッとして同情してから状況と会話が乖離していることに気付く。いかんいかん。
「お前は自分の立場を改める気が無いんだな」
「うん、無いよ。俺はバスウッドを助ける――そう決めたんだ」
「そうか、なら仕方ないな」
「そうだね」
俺の決定を察したらしいヘヴンの抗議が飛んできた。
『バカ者! お前が戦うべきはヤツだ。考え直せ』
悪いが無視しよう。それと、一応謝っておかないとな。
「すみません会長――バスウッドを頼みます」
リードはやれやれと頭を掻いた。
「まったく、気が重い。しかし、君がそういうなら止めないよ」
理解のある上司でよかった。普段は裏目にしか出ないが、今は心からそう思った。
「バスウッドさん、いいですか」
「うむ――」
バスウッドは若干不満気だったが、どうやら向こうも話が付いたようだった。
「行くか」
「そうだね」
互いに昼飯を食いに行くような調子だった。切迫した状況だということは分かっている――でも、仕方がないよな。
俺たちは友達でしかないんだから。




