旅
王立ルドラカンド学園の新学期が始まるまであと半月。学費と推薦をとんとん拍子で手に入れた俺たちだったが、俺個人としては学校に行く前にやっておきたいことが一つある。
『もしスターウェイ=ランキャスターの力が必要なら魔女の都”ブラクコンティーン”に行くといい』
あの映画館で彼はそう言っていた。
俺は普通に学園生活を送りたいだけなので本当は力なんて必要ない。ただの人間として、ありふれた日常を過ごせればそれでいい――でも、現状そうはいかない。
魔法王の体がそれを許してくれない。またいつ身近な人間を傷つけてしまうかわからない。それどころか、たやすく人を殺してしまう可能性すらある。楽しい学園生活を――とか言ってる場合じゃない。
ということで、俺たちは旅に出た。
目的地はもちろん”魔女の都ブラクコンティーン”だ。
*
ドアをノックすると、すぐに中から返事が聞こえた。
「誰ですか?」
「ええとコイドだけど、入っていい? 明日の予定を決めとこうと思って」
「なるほど、丁度よかったです――カギは開いてますから入ってきてください」
「……丁度よかった?」
不可侵領域であるブラクコンティーンへ行くには、拠点を確保する必要がある。
てことで、今晩俺たちはブラクコンティーンから一番近いブーズステュー公爵領地で宿をとった。ここに到着したのは今日の夕方――馬車でローブアインを出て休むことなく走り、丸三日かかってしまった。
さすがに疲れたので部屋で仮眠をとり、ついさっき目を覚ましたというわけだ。
「それじゃ入るぞ」
ちょっと緊張するなあ――なんて思いつつドアを開けると、ロカが机の上を片付けているのが見えた。
「こんばんはコイドさん。少し散らかっていますが、どうぞ」
「ああ――地図を見てたのか?」
机の上に広げてある地図にいくつか書き込みがしてある。
「はい、私が知っているのはこの辺りだけですから、ブラクコンティーン周辺の道を調べていました」
「そうか……すまんね。そんなことまでさせて」
「気にしないでください。これは私がやらなければならないことですから」
彼女の言う”やらなければならないこと”とは魔女の都までの道案内だ。『何でもしますから――』とか言われたので俺が頼んだ。
すんだこととはいえ、俺に剣を突き刺した相手なので最初のうちは警戒したが、ロカはとてもよくやってくれている。次第に警戒心はなくなり、旅を経た今ではこうして気軽に部屋を訪ねることにも躊躇が無くなっていた。
「魔女の都は暗く深い迷いの森に囲われています。そこには道や道しるべは一切なく、抜けるには迷うのを覚悟で探索するしかないでしょう」
「マジで……」
「ここまで来て言うのもなんですが、魔女の都というのは、基本的に入れない場所なんです。長年ブラクコンティーンを調べている研究者ですら足を踏み入れたことがない――という人も少なくありません」
「学校始まるまでに間に合うかな……」
「厳しいと思います。しかし――」
地図に落ちていたロカの視線が俺に向く。
「ああ、やるしかない。諦める気はないよ」
何事にも全力で――生まれ変わった俺のテーマだ。
「そう言うと思いました。もちろん私も最後まで付き合いますよ」
「ありがとう」
明日から頑張ろう――俺は改めて気合を入れなおした。
それから、俺とロカは地図を眺めながら予定を決めた。明日は早朝に宿を出て探索を始める。ただでさえ迷いやすい森なので日が暮れてから歩き回るのは危険と判断したのだ。あとは、食料の調達場所や、荷物と馬車の預け場所などなど、細かい調整を済ませる。
旅慣れているらしいロカが話を進めてくれたおかげで打ち合わせはスムーズに終わった。
「さて、それじゃ部屋に帰るかな。ロカもよく休んでね」
「はい、お休みなさ――あっ……」
ロカは何かに気付いたようで、もじもじとして手遊びを始めた。
「どうしたの?」
「ええと……立場上頼みずらいのですが――これを脱がすのを手伝ってもらえませんか?」
これ――といって彼女は身に着けている鎧を指さした。
そういえばロカはローブアインを出てからずっと鎧を着ていた。鎧は体のラインを崩さない程度の薄いもので、上からマントを被せていたのもあり、ほとんど目立っていなかった。
「一人じゃ脱げないの?」
「脱げないことは無いのですが、少し手間取ってしまって」
それでさっき『丁度よかった』と言ったのか。
「分かった、手伝うよ」
「すみません……肩やわき腹のあたりにあるベルトを外してください。手足は自分でできますから」
「あいよ」
ロカの背後に回り、言われた通りベルトを外していく。銀色でピカピカの鎧はすごく綺麗だった。いつか俺も着てみたいなあ――なんてぼんやり思った。
両肩に三本、脇腹に二本あるベルトを外し終えると鎧はロボットのプラモデルのように前後に割れた。前半分をロカが、後ろは俺が持って床に置く。
甲冑の中から出てきた彼女の上半身は袖のない農紺色の光沢のあるインナーに包まれていた。
「次は腰当をお願いします」
「うい」
片膝立ちになり、腰に巻かれているアーマーのベルトを外していく。すると、腰骨の上で絞めていた力が緩まり、下半身の全てのパーツがカシャンと音を立てて床に落ちる。
「ふう――やっと一息つけます。手伝っていただいてありがとうございました」
すっきりした顔のロカがこちらに向き直って言った。
しかし、俺は返事をしてる場合じゃなかった。
「……ロカ、君ってやつはどうして鎧の下にこんな物を着てるんだ」
「はい?」
鎧が脱げ、下半身が露わになったところで発覚した――農紺色のインナーは上だけでなく、下まで繋がっていることが……。
手触りのよさそうな材質。光の加減で大人びた黒にも見える濃紺色。そして、手足を根元から露出したこの形は――――
「これは……スク水じゃないか!」
まさか、この世界にスク水があったなんて……。
「な、なんですかそれ」
「スク水はスク水だ」
「説明になっていませんが……この装備は鎧の下に着るために開発されたものです。通気性、伸縮性、耐久性など、あらゆる面で適しているのです――あの、聞いてます?」
ロカは結構背が高く、凛とした顔つきや落ち着いた立ち振る舞いから、普段は大人びた印象が強い。
しかしどうだろう――今彼女は子供が着る水着、スク水を着ている。しかも、恐ろしく似合っている。
正面から見るロカの体は、戦士のわりに筋肉が少なく、ほっそりとしていて凹凸も少ない。なまじ首から上が普段と変わらない分その印象の差が如実に見て取れ、妙な興奮を覚える。
これがギャップ萌えという奴だろうか……?
ギャップといえば、鎧の下にスク水を着ていた――という点も看過できない。三日間の旅の最中彼女はずっと鎧の下にこれを着ていたことになる。固く武骨な皮の下に甘い果実を隠す果物のようで、なんともいじらしく、背徳的でありながら挑発的な――それは、つまり――――
「素晴らしい……」
その一言に尽きる。
「あ、あの。そんなにじーっと見られると、さすがに恥ずかしいのですが」
「はっ!」
しまった。つい見入ってしまった。それも、かなりの至近距離で。
「ご、ごめん」
「いえ、お気になさらず…………よかったら触ってみますか?」
「ええ!?」
驚いてロカの顔を見上げると、彼女は不思議そうに俺を見つめていた。
「な、なんでそんな話に?」
「この装備に興味があるように見えたので――違いましたか?」
いや、違わない。興味がある――いろんな意味で。
「本当にいいの?」
「ええ、好きなだけどうぞ」
彼女はほんのりと頬を染めて――ない。いたって普通だ。
パーソナルスペース狭すぎやしないか? ちょっと心配になるレベルだ。
これで本当に触ってしまったら、俺は何も知らない子供を相手に悪事を働くような下種野郎になるんじゃないか?
それはよくない。やんわりと断るのが正解だ。
「そ、それじゃ……ちょっとだけ」
無理っす……ここで断れるほど俺は前世でいい思いをしていない。
だ、大丈夫。なるべくセーフな部分をちょっとだけ触るだけだから、な?
「はい」
ロカは両手を後ろに組んで、触りやすいようにしてくれた。
「…………」
俺はごくんと唾を飲み下す。
それから、光沢のある布に包まれたお腹のあたりに手を――――
「ロカちゃん、晩御飯どうする? この辺に……おいし――――い――?」
「――!?」
俺の手がロカの体に触れる寸前――背後でドアが開く音、そしてメシアの元気な声。
それにロカが答える。
「メシアさんアーネットさん。街の案内なら任せてください――ですが、少し待ってくれますか?」
「な、なにやってんのロカちゃん――コイド……」
「い、いやこれには事情が――」
「コイドさんが気になっているようでしたので、触っていただこうかと」
「へえ……」
こんな時に限って絶妙に不十分な説明を……!?
「違うんだメシア、あのな――」
弁解しようと背後を振り返った瞬間、言葉に詰まる。
メシアの汚物を見るような目――ひとまずそれはいい。よくないけど。
恐ろしいのは、アーネだ。例の光のないマットな瞳が俺を見ている。
(マットというよりマッドだな……)
「さすがにこれは冗談じゃすまないねコイド」
「違うんだって――」
「ふんっ」
メシアはぷいっと顎をしゃくると出て行ってしまった。アーネはそれを目で追うこともなく直立不動だ。
「あ、アーネ――聞いてくれ。これには理由があって――!?」
またしても言葉が続かない。今度は、アーネが突然笑顔になったからだ。
目を細めた満面の笑顔――そして彼女は明るい響きで、しかしまったく精気の感じられない声で言った。
「コイド様。明日は早起きになるかと思います。今晩はよくお休みになってくださいね――それでは失礼します」
それだけ言うと、アーネは回れ右して部屋を出ていこうとする。
「ま、待って」
俺は慌てて彼女を追い、引き留めようと手を掴む――寸前で手は引っ込められてしまった。
「アーネ……?」
アーネは立ち止まった。しかしこっちを見ようともしない。
それから、息をつくようなわずかな間をおいて、彼女はこう呟いた。
「コイド様、できれば私に触らないでください――そうされてしまっては、私は、つい発作的に舌を噛んでしまいます」
「…………」
「では、おやすみなさい」
アーネの背中が暗い廊下の向こうに消える。俺は黙って見ているしかなかった。
怖かった……マジで怖かった。触ったら殺す――じゃなくて”触ったら死にます”だもんな……。
俺が彼女に謝りに行って、ケンカになってしまったあの日以来、二人の間にはどこかよそよそしい空気が流れていた。
それが今日、完全な溝に変わった。
溝というより海峡ってレベルだ。もちろん連絡船は見当たらない……。




