俺の言う事を全く聞かない奴隷の話。
「ふふふ、ここにこうして捕まったということは、どういう事か分かってるな?」
にったりと万人が見て悪人と分かるような笑みを浮かべる若い人影が、ぐったりと壁にもたれかかり、しなだれかかる少女へと声をかける。
室内は暗く、彼女の近くにランプが掛っているだけだ。
少女から見て、対面の相手に光は届かずぼんやりと人の形をしていることしか分からない。
少女は、年若く見た目は12、3程度であり、絹のような柔らかい金髪を肩まで伸ばしており、肌は日に当たったことが今まで無いのだろうかと言わんばかりの滑らかな白さを持っていた。
目の前の声に反応したのか、ゆっくりと瞳を開く少女。澄んだ瞳は麗しい滑らかな湖畔のさざ波を思い出させるようなエメラルドブルーであった。
「あの……」
一言放った声は、歌を紡ぐ小鳥も恥じ、口をつぐむほどの聞いたものがその声だけで極楽へと導かれんばかりの美しき音をしている。
「何だ……何か言いたいことがあるのか」
彼女の優美さに圧倒された目の前の人影が、ごくりと唾を飲み込み、彼女の言葉の続きを促そうとする。
それほどに、彼女の声はまるで声自体に魔力を持っているセイレーンのように魅惑的な響きをしていた。
どんな内容を発するか、などではない。その美しい喉を震わせること自体が崇高であると言わんばかりの清らかさなのである。
そう、どんな内容でも……
「あの、ちょっとそういうのいいんで、これ緩めてもらえます?正直糞ダルいんですけど。ゲロ出そう」
「え?な、何?」
少女の清楚清純、優美なその姿からは想像できないほど気だるげで粗雑な言葉がだらだらと口から漏れ出る。
「は……?え……?」
「いや、そんな突っ立ってないで早く外してくれないですかね?普通に考えて腕しびれてくるんですけど。血流悪くなって痛いんですけど、ちょっとそこらへん考慮してもらっていいですかね」
少女から紡がれる、というよりもはや地下水路に叩きつけられる汚水のような激しい言葉があふれ出る。対面する男が止めに入ろうとする中でも、少女はその口を紡ぐ気配がいっこうにない。
「え、ちょっとストップストップ。何?」
「は、普通にお願いしてるんですけど?その程度の会話の意図も汲み取れないんですか?大丈夫です??」
「あっ?うん?わか……いやいや、ちょっとまで、なんで言う事きかないといけないんだよ。俺主人だよ。普通シチュエーションでって、何か泣き叫んで助けてください的なそういうアレやるんじゃないの」
男……というにはまだ年若いが……対面する男が、懐から本を取り出す。ぱらり、とめくるそれには艶めかしい女性の姿が。
「うわ、それ……男性的な意味での実用書じゃないですか、引くんですけど。うわー。まあ、持ってるのはいいですけど、普通に考えて異性の目の前で持ってくるとか無いんですけど。まあ、そういうのに興味あるお年頃なのは分かりますけど、流石にちょっとどうかと思います。キモい」
じとり、と音が出そうなほどに冷たい眼差しで、少女が主人と名乗った男を蔑む。まるで道端の犬のフンに出くわしてしまったと言わんばかりのその興味の無さと生理的嫌悪を抱く口調。
主人というには歳若く、少女より少し年上という程度の男が気遅れして固まった。絶対零度という言葉が似合いそうなそれに、精一杯の強気に出ていた主人も一歩後ろへと下がる。
何もない地下室の中は広く、彼女のそばから離れようと思えばどこまででも離れることは出来たし、愛想をつかして部屋から出ることもできた。しかし、それでも彼の意地なのかぐっと足を止めて食いしばる。
「う、うるさい!無駄口を叩くなら塞いでやってもいいんだぞ!」
「ふーんそういう事いうんだ。まあ、女の子と付き合ったことないだろうから、こういう本音言われるのなれてない?童貞君?」
ズバっと臆面なく紡がれた言葉に、流石の顔の美醜でごまかしきれぬ衝撃を少年は感じる。
「ちょ、ちょ……!何でそんなこというんだよお!!やめろって!!!てゆうか、ち、ちげーし!」
ぶるぶると顔の前で手をふり、真っ赤な顔を隠すように下を向く。
「何だ。恥ずかしがっているということは図星か?あ、図星ですか。チッス息子さんはじめまして」
にやにやと笑いながら、少女が挑発するように繋がれたままの両手をわきわきとさせる。
際立って美しいその顔が崩れるのは、流石の主人として虚勢を張っていた主人も恥ずかしさに口をぱくぱくさせた。
一見すれば、少女が圧倒的不利な状況にも関わらず今このコミュニケーションの場においては、上位にいるのは少女の方であった。
ぐぐ、と羞恥に顔を赤らめる少年が少女に向かって文句をつける。
「もー!!!馬鹿なの?かわいくないなぁ!!見た目結構大人しそうな子だったから油断したよ。何?何なの、返品しようかなもう」
主人は少女の足元にしゃがむ。そこには商品タグが取り付けられており非常にゼロの個数の多い値がついていた。買った値段を確認しているのか、少年が値札をまじまじと見る。そんな足元の様子も気にせず、金髪の少女はむっとした顔で少年を睨み、見下ろす。
「は?ちょっと酷くないです?なんですかそれ、傷つくんですけど。デリカシー無し」
「え、いやどう考えてもちょっと外れの商品掴まされた系なんですけど俺」
「いやいや、私結構値段高かったでしょ?いい買い物しましたよ。うん、そこは自信を持っていただきたいですね。ほら、今もトークで貴方を和ませてるじゃないですか。これはナイス買い物。売られたことには文句の一つもつけたいですが、高かったと言われて悪い気はしないかな。いくらくらいです?」
「え、話楽しんでないし。戸惑いしかないんですけど。何言いきっちゃってるのこの人こわっ。値段ね、いやまあ、たしかに高かったよ?金ののべ棒3、4本くらいはいったし」
はあ、ととうとうため息までつきながら、少年は少女のあまりの上からの発言に困惑しつつも彼女の質問を無視してはまた騒がれると思い、
「はーなにそれシケてるなぁ。ちょっと価値分かってなさすぎその店主。君、私を上手く使えばもっといい稼ぎ出してやれるよ?こう見えても錬金術は得意なんだよね。純金は結構大変から大量には無理だけど、青銅くらいなら無尽蔵に作ってやるからねー。だからこれ、はずして何気に魔力封印してあるでしょ」
「は?なんでそんなことできるの。あんた、何物?」
「えー、それも知らないで魔術できるエルフ買ったの?普通に見た目採用?完全ロリコンじゃん。
私見た目12歳前後だしヤバい犯罪臭しかしないんですけど。あ、でも君も16、17くらいっぽそうだからギリギリセーフ?いや、アウトか」
そう言って少年に長い耳を見せつける。口調が段々と乱暴になっていることに、押され気味の少年は気づいていてもそれを指摘することができない。いや、する暇もないくらい言葉の矢が止まらない。
「というか、その年齢ならまだ働いてないでしょ。なんでそんな金持ってんの?この地下の部屋もなんだかんだで作りしっかりしてるし、お金かけてそうだし金持ちボンボンの息子?息子の道楽?あーもしかしてパパママから貰ったお小遣いで買っちゃったの~?」
あからさまに煽ろうとする様が少女に見てとれた。それは怒りや焦りで判断力を鈍らせようとしているのか、それともただ自分よりも随分と歳の離れた少年など懐柔しやすいであろうと思ったのか。
部屋で意識を取り戻した直後ほどの警戒心を彼女はこの少年に対して家具の上にこびりつく埃程度にしか抱かなくなってきたのだった。
そのため、必要以上に少年を煽り遊んでしまったのだ。
「……父上も母上ももういない」
少女の言葉より、今まであわてたり、照れたりと表情を目まぐるしく変えていた少年が急にすっと、一枚面を張り付けたような顔になる。
(あー地雷踏んだかな)
少女はふう、とため息をついて少年を窺うような、探るような視線を送る。
「うん、ゴメンゴメン」
「謝る、なよ……お前、俺の奴隷、だろ……」
とうとう耐えられなくなったのか、少年は鼻声になってしまう。プライドが許さないのか、なんとか涙だけはほほを伝わずにいた。
「ね、ほんと。鎖緩めてくんない?もう、泣いちゃってるのにさ、私、君の涙もぬぐってやれないじゃん。ね、ほら謝りたいから」
姉が弟を気遣うような様子で、少女はゆっくりと少年をなだめる。よもや泣きだすほどに傷つくとは彼女も思っていなかったようで、困ったものだという気持ちが言葉に滲み出ていた。
「……うるさい」
「ごめん、ほんとごめんって」
少女が何度も謝り倒すと、ようやく落ち着いたのか少年の鼻をすする音も止まりだす。
「ほら、おちついた?じゃこれ緩めて?ゆっくり話そ?」
「……わかった」
警戒してなのか、完全には外さないもののすこし少女の拘束を緩める。その時、少女は抜け目なく魔力封じを外し、施錠を解く。カチンという軽い音とともに、壁に少女を拘束していた鎖が外れる。
手にはまだ鉄の輪っかがはまったままだったが、これで少女は自由に動けるようになったのだ。
「お、おい!??」
「あー大丈夫大丈夫、ホント気にしなくていいから。逃げないって、ちゃんとここにいるでしょ?うん?
何?それとも私のこと信頼してないっていうんじゃないでしょうね」
ふーんと値踏みするような少女の青い瞳に、少年はぐっと唇を噛んで涙に歪んだ顔を戻そうとする。
「お、いいぞいいぞ。そうやって見ると君、結構私の好みだよ。将来イケメンになりそうだ」
「なん、だよ。今そうじゃないって言いたいのかよ」
「そりゃあ。そう、かなぁ??イケメンはそんな風に泣いたりしないんじゃあない、かな」
くすくすと笑いながら少年の頬を突く少女。その丸い薄紅の貝殻のような爪が、少年の湿った目尻を柔らかく解す。
少年は、ふとその遊ぶような仕草に、今ではもう触れることのできない母のぬくもりを思い出した。
まだ10にもなっていない頃、母が屋敷の庭で自身と緑の柔らかい若葉の茂る木陰でまどろみ、遊んだことを。その日の影になって今では思い出せない若い母の純粋なる自愛の眼差しと、すべてを包み込むような手のひらの大きさを。
「……お母さん」
「……私は、違うけどね。うん、でもさ、家族がいないと寂しいって気持ちは分かるわ。私も一人森に住んでもう300年かなー。旅に出ていないときも多いけど。近くに小さな村があってねそこの人達がたまに私を頼って薬をもらいに来るんだよね。それが何世代も何世代もかわるがわる。その皆が私と関わってると思うとね、誰もが子供みたいに思えてくるよ。でも、それは本当の家族じゃない。一人夜にベッドで天井を見てると、急に自分何してるんだろうって怖くなるときがあるよ」
「……そう、なんだ」
「長生きするとね、色々死別も経験するものよ。……でもまあ辛いだけじゃないよ。長く生きてるから色んなことをしたこともあるし、色んなところにいったこともある。それこそ本で書かれてるみたいな面白い大冒険もしたことある」
「へえ、例えば?」
「んー長くなるんだけどね。気になるなら話てもいいけど」
「なんだよその言い方……気にならないと言うと嘘になる、かも」
ぶすっとしながらも少年がちらちらと少女の顔を窺う。
「最近、メイドとか執事以外とはろくろく話てなかったし。別に、ま、暇つぶしになるなら……」
ぶっきらぼうに、しかしどこか恥ずかしさを伴いながら、少年が床に座る。手を招いて少女に近くに座るよう、促すも目が合わせられず口を尖らしそっぽを向いている。
光輝く黄金のような美しい少女と膝を合わせて座ることが照れくさいのだろうか、それとも優位に立とうとしていた相手にこちらからお願いをするのが腹立たしいのか。
「じゃ、続き。よろしく」
「むっ、ふふ。じゃ何話そうかな~万能の秘薬の元となる薬草が生えた、この世の果てにある大海の滝の裏にいった時の話とかどうかな?それとも、土着の神の化身である八牙の獅子と戦った時の話とか。その後戦果として獅子の血肉を互いに戦った仲間と奪い合いになって狼頭の狂戦士と千夜戦って、結局肉が干物になっちゃった話とか……それとも……」
※※※
少女の嘘とも本当とも区別がつかない冒険談は、何時間にもわたり、それでも湧きだす話に、少年は目を輝かせて次、次を望んでいった。
「それでね……その城の王が気に行っていた道化師が王を裏切って寝ているところを襲ったんだよね~油断してた王は大けがをして私の薬が……こほん。あー、うん、喉、かわいちゃったな」
から咳をする少女に、少年はばつの悪そうな顔をして頭を掻いた。自分が子供じみて母親に童話をねだるように次から次へと話をねだったせいなのだ。
色々な話を聞いていくうちに、彼女の過去の勇ましい戦いや、機転の利いた行動や深い知識と経験に基づく発言に、尊敬とも言える気持ちが湧きあがってきていたのだった。
「あー俺もお腹すいちゃった。ずっと座ってたし疲れたよね」
「たしかに腹も減った。もう夕方くらいになったんじゃあ無いだろうか」
「紅茶でも入れてこようか?誰か呼ぶかな」
「いいよ、いいよ。私がいくから」
「ん、ありがと」
少女はガチャガチャと手足につけられた物をとりはずし、まるで友人の家でトイレを借りるような気楽さで地下室の扉に手をかける。
「じゃ、紅茶入れてくるから。あ、出来たら帰るから扉の前にでもおいておくわ」
「うん」
「じゃあね」
バタン……
「…………」
「いや、バイバイっておかしくないか?おいおいおい、ちょっと待て、まてっておかしくない?いやいや??」
ガチャガチャと、扉の鍵が閉められいるような音がする。
「うおおおお、何やってんだー!!お前ー!!!」
完全に扉が閉められる前に、ダッシュで扉に体当たりし施錠を防ぐ。あまりにも焦って扉にぶつかったせいで身体ごとごろごろと廊下に投げ出される。
「ちっ!!バレたか」
転がった少年の下敷きになった少女が、悪徳の極みのような舌うちをして顔をゆがませる。
「え?何?まだ何か用事ある?あ、何?まだ足りなかった?僕寂しいの?それとも愚痴聞いてほしいかんじ??」
「いや、いやいやいや。違うでしょ。ちょっとまってよ。俺、主人だよね?君奴隷?うん?何帰ろうとしてるの」
もはや優雅さも優位さもなく、格闘技どころか子供の喧嘩のように取っ組みあっては髪の毛をひっぱりあう、戦いに慣れた少女とおぼっちゃまの貴族の少年とでは体格の差を差し引くと、ちょうど互格の戦いになるのだ。
「ちょっと!!はなしなさいよ!変態!!童貞!!」
「何だよ!お前!俺のこと!馬鹿にしてるだろ!!言う事なんてきいてやるか!」
寝ころんだ状態でのまんじ固めのようなポーズとなり、ようやく少女がギブアップする。
ばんばんと床を叩いて、ギブアップを訴える少女になんとか魔力封じの鎖をはめて動きを封じる。
そうでもしないと滑るうなぎか跳ねる魚のように滑り逃げようとするのだ。
「いた!いたっってばもう!!はずしなさいよ!」
「う、うるせー!!」
「あ、もう家は夜盗きたし帰るとこ無いけど。でもまーここで住むのはちょっと無理だし、
どっか新しいとこにでも住もうかな。別にいいでしょ?」
「いやいやそんな軽く別にいいでしょとか言われても」
そんなぐだぐだ言う少女を無視して、少年は少女を引きずって再度地下室に入れる。
もちろん少女が積極的に従ってくれるはずもなく、風呂に入りたがらない猫を無理やり風呂場に引きずっていくような姿勢になる。
ようやく鎖を壁につなぎ直したときには、もう少年は息も絶え絶えといった状態だ。
「はー、はー、もう、つかれた……」
「はーケチ。お金あるんだから別にちょっと無駄遣いしちゃったかなーくらいの気持ちでさらっと逃がしてくれていいじゃん」
「いーやダメだね!てゆうか俺のプライドの問題もだな……あーもう。お前と話してたらテンポが狂う」
頭を掻きむしり、少年がため息をつく。このままではまた
言葉たくみに騙されると思ったのか、少女に背を向けて頭を抱えるのだった。
「……ちょっと頭冷やしてくる」
「ちぇ……はいはい。じゃ、冷静になってこれはずしてくれるのを期待して待ってるから。私寝てていい?」
「……!好きにしろよ!!!」
バタン、と強く扉を閉める。
「はあ……これからコイツとの生活が続くのかと思うとため息が出る」
少年はずるずると床に座り込んだ。
「ホント、返品できないか相談してみよ」
(しかし、奴隷って返品なんてできるのだろうか……聞いたことないぞ。
あいつに強く出た手前、今更解放してやる!なんて言えないぞ……困った……)
ぐるぐると頭をかかえ、少年は大きく肩を落とした。
どうやら少年と、このうるさい奴隷少女との攻防の日々は、まだまだ続きそうだ。
【終】
このあと、少女と少年は少年の両親の死の謎を解明に世界を又にかけて旅をするかもしれません。
ただ少年の孤独に同情した少女が彼を癒すため、日々を屋敷の中で過ごすかもしれません。
少年は少女に心を開かず、少女は一生を地下室で暮らすかもしれません。
少年の前には未来と広がる世界があり、長命の少女と一生を生きるかもしれません。
少女との出会いが、少年を成長させるかどうかはご想像にお任せします。