若奥様と魔王
魔王の手下をゴミ袋で吹き飛ばした私は、王子を姫抱っこしてスタコラサッサと逃げていました。
周囲の景色も変化しています。
魔王城周辺の草木の生えない不毛の大地から、背の低い木々がポツポツと並ぶ緑の平原となっています。
あれからどのくらい時間が過ぎたのでしょうか。
『カラちゃん』は録画予約をしていたので諦めましたが、卵はまだ諦められません。最近は卵の値段も高騰していて、1パック98円なんて滅多にないのですから。
「王子のお城はまだですか」
砂埃を上げながらひらすらに走る私を見て、さすがに申し訳ないと思ってくれたのか、王子は小さな声で「すまん」と呟きました。
「この礼はきっとする」
「礼よりも早く帰りたいです」
「す、すまん。そうだ、お前の欲しがっている卵をやろう。ウコン鳥の卵は我が国でも希少な高級品だ。それを欲しいだけやる」
「本当ですか」
「ああ。望むなら金銀財宝、なんでも選べ。お前には迷惑をかけたからな。それなりの褒美を取らす」
「ありがとうございます」
有り難いことに、買い物の手間が省けました。
しかもタダで食材を手に入れることが出来るようです。今日の夕飯代が浮きましたよ。
これで高臣さんが帰宅するまでに帰れれば、ちょっと遠いところまで買い物に出た、くらいの認識で済みそうですが……馬で三日の距離ですからね。不眠不休で走ったとしても、同じくらいはかかるでしょう。
でも、灯りのついていない家に高臣さんを帰すなんて考えられません。
彼が帰ってくるまでに、何としてでも温かいご飯を用意して、笑顔で出迎えなければ。
「くおおおおおー」
気合を入れて王子を抱え直し、疲れてきた体に鞭を打って走ります。
その横を小さな青い鳥がすい、と飛んでいきました。優雅に滑空するその姿を見ていたら、名案を思いつきましたよ。
「王子、王子、飛行の魔法などはありますか」
「飛行、はない。だが、浮遊する魔法ならばあるぞ」
「そうですか。爆発の魔法はありそうですね?」
「ああ。破滅の魔法の下位魔法になる」
「ならば飛行機のように飛べそうではありませんか」
「飛行機とはなんだ?」
「マイレージポイントを貯められる乗り物です。貯まったら航空券をもらえます」
「……よく分からん」
「とりあえず王子は浮遊の魔法とやらを唱えてください。そして私が爆発の魔法を使えば、一気にお城まで飛んでいけますよ。そして私は夜までに高臣さんの元へ帰れます」
王子に浮遊の呪文を唱えてもらうために、私は一度立ち止まりました。
「なに、飛ぶ? 鳥のようにか? そのような魔法、魔王くらいしか使っているのを見たことはないが……」
「魔王ですか……」
私たちがその名前を出したのがいけなかったのでしょうか。
ごおおおおお、と、飛行機が空を飛んでいるときのような音が遠くから聞こえてきました。その音はだんだんと大きくなってきて、だんだんと近づいてきて。
黒い鳥……もとい、魔王が姿を現しました。
「ま、魔王ー!!!!」
王子が苦しいくらいに首にしがみついてきました。
「王子、ヘタれている場合ではありません。逃げますよ」
「しかし、お前が全速で走っても追いつかれるぞ!」
「ですから、浮遊の魔法を唱えてください。そして私が爆発の魔法を唱えますから、それで鳥よりも速く飛んで逃げるのです」
「そ、そうか、そんなことが出来るか!」
「いえ、出来るかどうか知りませんけれどね」
「いいからやるぞ! あっ、いや、待て、駄目だ!」
「何故です?」
「このまま魔王を引き連れるようにして逃げれば、前線基地にいる兵たちが危ない。延いては辺境の村人たちが……」
「……」
王子が王子らしいことを言っています。
私は少し感動しました。
「わかりました。やりましょう」
私は王子を放り出すと、高速で飛んでくる魔王と向き合いました。いつも高臣さんを殴っているときのように、中指を少し出して拳を握り締めます。
「や、やるのか」
王子が彷徨い歩くがしゃどくろのように、歯をガチガチさせています。
「貴方が護るべき多くの民のために、やりましょう」
「そ、そうだな、俺の民のために、やろう」
そう言いながらも、王子はへっぴり腰でヨロヨロしているだけで動きません。そうしているうちに魔王が私たちの頭上に到着です。到着早々、その手に巨大な黒い陽炎を作り出し、私たち目掛けて振り下ろしました。
「王子!」
赤ベコみたいに頭をカクカクさせることしか出来ない王子の手を引っ張り、力強く地面を蹴りました。
本気で跳んだら30メートルはいけました。またまたビックリです。
けれどもそれくらいでは魔王の巨大な力の外へ逃げることは出来なかったようです。上を見上げたら物凄く大きな陽炎が見えました。あの陽炎に触れたら体が蒸発してしまいそうだったので、私はもうひと蹴り、ふた蹴りして陽炎から逃げました。
ゴミ袋のなんちゃって核爆弾並の衝撃がきました。
その爆風で木の葉のごとく飛ばされ、地面に転がります。
痛いです。地面を転がったのですから痛いのは当たり前ですが、転んだ記憶など高校生の体育祭が最後です。久方ぶりの痛みにビックリしてしまいました。
予想外の痛みに涙が滲みます。何故ゴミ捨てに来ただけで、こんな痛みを伴う危険に巻き込まれているのでしょう。今更ながら理不尽さを感じます。
でも泣いている場合ではありません。顔を上げると、私たちが転がっている地面のすぐ横から、巨大な穴が空いていました。
直系100メートルはあるでしょうか。覗き込んだら吸い込まれそうなくらい深い穴です。
あの攻撃が当たっていたらと思うとゾッとします。そしてそんな攻撃が再びです。
上空の魔王の手に巨大な陽炎が現れました。先程の倍くらいありそうです。
「……これは死にましたね」
「ば、ばかものおっ、諦めるなああああっ!」
腰を抜かして滝のように涙を流している人が何を言っているのでしょうか。魔法を使って何とかして欲しいのですが、役に立ちそうにありません。
私は王子の腕を掴み、更に力強く地面を蹴って逃げてみました。
降り注ぐ黒い陽炎はギリギリで避けましたが、その後の爆風で背中を殴られたような衝撃を受けて飛ばされました。
あまりの衝撃に一瞬気を失っていたようです。はっと気がついたときには、上空で魔王が再び巨大陽炎を創り上げていました。
ああ。
駄目かもしれません。
21年。長いようで短い人生でした。
巨大陽炎を見上げ、私は諦観の境地に至りました。もう世界の景色を見ることは叶わないと、自然に瞼が重くなってきます。
けれども、思い出してしまったのです。
『楽しみにしてるよ』
そう言って会社に出かけていった高臣さんの顔を。
残業がないから早めに帰れるよ。そう言って、私が作る夕飯を楽しみにしていると微笑んだ愛しの旦那様を。
「……こんなところで死ぬわけにはいきません。私は、晩御飯を作るのです!!」
私はぐいっと王子を引き上げました。
「王子、浮遊の魔法!」
王子は白目を剥いて意識を失っていたので、鳩尾に一撃入れて無理やり覚醒させました。王子は胃の中のものをケロケロしてしまいましたが、構いません。魔王の陽炎が迫っているのです。時間がないのです。
「飛びますよ!」
王子は白目を剥きながらも、震える細い指で宙に何かを描きました。ふわり、と足が地面から離れます。
次は鳥や飛行機のイメージを思い浮かべながら、爆発の呪文を……。
あら。
私、魔法の呪文など、何一つ知らないではないですか。
「王子、王子、爆発の呪文は何と唱えるのですか」
「ぐ、ごほ、△Ψο□+Б*Ж・……」
何を言っているのか分かりません。
普通に会話が出来るのに、魔法の呪文の言葉だけ聞き取れないなんておかしいではありませんか。一体どうなっているのですか。日本語に魔法語? がないから変換出来ませんとか、そういうことでしょうか?
魔王の陽炎はすぐ頭上。モタモタしている暇はありません。
ええい、ままよ。
「『ロケット噴射』!」
某鉄腕ロボットのように、足から火を吹くイメージを作ってそう叫んだら、ぐん、と体に重力がかかりました。私と王子の体はみるみる地面から離れていきます。
ここでも勇者特典ですか。日本語で魔法が使えましたよ。
王子の国の人たちに迷惑がかからないよう、魔王城へ引き返すつもりで飛びました。……その、つもりだったのですが。
何故か私たちは、真上へと飛んでいきます。
「あら、あら?」
王子を掴んでいない方の手を揺らしたり、水平にしたりしてみますが、真っ直ぐに宇宙を目指して飛んでいきます。
下の方で魔王が放った陽炎が大爆発している音が聞こえました。ですがそれを確認する余裕がありません。何しろ物凄い勢いで真っ直ぐ上空へ飛んでいますから、かかる重力が凄くて首が動かないのです。
鳥を追い越し、雲を付きぬけ。
このままでは宇宙に飛び出てしまいます。さすがに酸素なしでは生きていられないでしょう。一旦魔法を切ってみますか。
足の裏から出ている火を消すイメージで、魔法を止めてみました。ちゃんとうまく出来たようです。推進力を失った私たちは、頭から真っ逆さまに落ちていきました。
「あら、あら?」
私たちは物凄い勢いで落ちていきます。推進力がなくなったのですから当たり前ですね。どうやら王子も完全に気絶してしまったようですし。
雲の中へ突っ込んだ後は、穴だらけの平原がみるみるうちに近づいてきました。
このまま頭から突っ込んだら、八つ墓村のようになって死ぬのでしょうか。あらいやだ、どうしましょう。そうだ、もう一度爆発の魔法を足から灯せば、また飛ぶことが出来ますね。
「ろけっとー、噴射ー!」
先程と同じように呪文を唱えたら、ちゃんと足から火が噴きました。
そして私たちは、一直線に地面に向かって突っ込んでいきました。
いけません、これではただ加速しただけです。これは自滅でしょうか。
なんて考えていたら、頭に衝撃を受けました。
どうやら宙に浮かんでいた魔王に頭から突っ込んだようです。あまりの痛みにぽろっと出た涙が、空の彼方へ消えていきました。
コンマ数秒後、どーん、どーん、と平原に音が響き渡りました。
最初のどーんが魔王が地面に突っ込んだ音で、二番目の音が私と王子が突っ込んだ音です。
しかし幸いにも魔王がクッションとなったようで、八つ墓村のようにならずに済みました。地面から二本足を突き出して倒れたのは魔王でした。
魔王は動く気配がありません。
おや、どうやらこれは。
勇者は 魔王を やっつけた
……というヤツですね。
「よし」
私はそのことに満足して頷きました。
これでやっと、王子の城へ帰れる。そして私も高臣さんの元へ帰れます。
しかし先程のロケット噴射ではどうしても真上にしか飛ぶことが出来ず、大きな岩を見つけて、そこに足をつけて真横に飛び出すことでようやく王子の城に辿りつくことが出来ました。
城ではたくさんの兵士たちや王様に歓迎されました。
城の方たちは私という勇者を召喚し、無事に帰ってきた王子を絶賛していました。調子に乗った王子が高笑いしながら不遜に振舞っていたので、密かにお尻に蹴りを入れておきました。ケロケロして白目を剥いているだけだった人が、調子に乗るんじゃありません。
そうして無事に契約が終了したので、約束通り王子から卵と食材を頂いて、それから王様に感謝の気持ちとして宝石をいくつか頂きました。
ほくほくしながら帰ろうとすると、王様に頼まれました。
「魔王というのは一度倒して終わりではないのだ。また復活してくるから、このままこの国に留まって我々を助けてくれまいか」
王子に良く似た金髪碧眼の美青年な王様が、一庶民の私に頭を下げてきます。
またアレが出てくるのですか。この国も大変ですね。困った王子はヘタレで役立たずですし。
「お給料はいただけますか?」
「今日は急なことであったのでこれしか用意出来なかったが、そなたの望む額を支払おう」
「そうですか……」
ちょうど今日、将来設計を見直そうとしていたところです。魔王と再び戦うのはちょっと怖いですが、資格も学もない私を働かせていただけるというのなら、願ったり叶ったりです。
「ですが、私は主婦です。夫の帰りを待つ身ですので、長い時間家を空けることは出来ません。パートということでしたらお引き受けしますよ」
こうして私は、異世界でパートの勇者として働くことになったのです。
これにて本編は終了です。
お読みいただきありがとうございました。
もう一話、おまけがつきます。