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若奥様と旦那様

しょうもないお話ですが、お暇つぶしにでもなれば幸いです。

 柔らかな朝日が窓から降り注ぐキッチンで、私は朝食の支度をしていました。


 本日の朝食はフレンチトーストに、りんご、パイナップル、キウイなどのフルーツにヨーグルトソースをかけたサラダ、そして紅茶です。貴臣さん──というのは私の主人ですが──は甘いものが好きなので、一緒にいちごジャムも添えます。


 フレントトーストの乗った白い皿とサラダ、透明な紅茶ポット、そしてジャムの入った小皿を若草色のランチョンマットの上に並べて、ふう、と一息。


 うん、こんなものでしょうか。

 

 でも若干栄養に偏りがあるかもしれません。たんぱく質でしょうかね。血となり肉となる食物が足りない気がします。お肉は昨日使ってしまったので、鮭を焼きましょう。


 私は鼻歌を歌いながら鮭を焼き、フレンチトーストの横に置きました。よし、これで完璧です。


 うふふ、と微笑んで、スリッパを鳴らしながら寝室のある二階へ向かいました。そろそろ高臣さんを起こす時間ですからね。


 その寝室のドアを開けようと手を伸ばしたら、その前にドアが開いて貴臣さんが現れました。


 パジャマ代わりのグレーのスウェットを着た貴臣さんは、寝起きのままのボサボサの頭で、まだ眠そうなトロンとした目で私を見下ろしました。


「あら、珍しい。ひとりで起きましたか」


「ああ……」


「おはようございます。ご飯出来てますよ」


 微笑みながらそう声をかけると、ボサボサの髪をふわりと揺らした貴臣さんが、突然、はっとしたような顔で私を見つめた後、ほんのりと頬を染めながら胸の辺りを手で押さえました。


「う……ううっ……」


 唸りながらその場に崩れ落ちる貴臣さん。


「ど、どうしました?」


 私は慌ててしゃがみ、貴臣さんの顔を覗き込みました。眉間に深く皺を寄せ、苦悶に満ちた顔をしています。


「う、胸が、胸が、痛い」


「胸が!?」


 まさか心臓発作でも起こしたのでしょうか。


 まだ二十代の貴臣さんが心臓発作だなんて。


 どうしましょう、私、この年で未亡人になってしまうのですか。


「貴臣さん、しっかりしてください。大丈夫ですか、救急車ですか」


 必死になって声をかけると、貴臣さんは更に苦しみながら言いました。


「む、胸が、苦しいっ……ま、まさか、これが」


 貴臣さんはくわっと目を見開き、私の肩を強く掴みました。


「これが、恋!?」



 真剣な目で私を見つめる貴臣さん。


 ポカンと口を開ける私。



 しばらくそのまま時間が流れ、7時を告げる鳩時計がポッポーと平和に鳴き始めました。


「……貴臣さん」


 私はにっこりと笑顔になり。


 立ち上がって貴臣さんの頭に踵落としを喰らわせました。


「朝から余計な心配をさせないでください」


「すみません。嫁がかわいすぎてトキメいちゃったんです」


 貴臣さんは床に這い蹲りながら謝ってきました。




 それから何事もなかったかのように一階に下りてきた高臣さんは、テーブルに並んだ朝食を見て笑顔になりました。


「うわー、パンに魚かー」


「駄目でしたか」


「いや、うん、別にいいよ、いいけどね……」


 高臣さんは何か言いたそうにしていましたが、笑顔で静かにテーブルにつきました。そうして一緒に朝食を食べます。


「うん、美味い!」


 まずは好物のフレンチトーストを一口食べ、貴臣さんはにこおっと可愛らしく微笑みました。


 身長も高くてキリリと引き締まった体躯、いかにもスポーツマンな顔立ちと髪型の貴臣さんですが、笑うと子どもみたいに可愛らしくなります。大型のワンコみたいです。


「このジャム、もしかして手作り?」


「いえ、市販品です」


「……そ、そうか。うん、でも美味い。フレンチトーストに良く合ってる」


「貴臣さんは市販品と手作りの区別がつきませんねぇ。先日もパスタのソース、手抜きして市販品にしたのに気づきませんでしたし」


「うぐっ。……お、俺は料理人じゃないから、そんな細かいところには気づかないんだ」


「私が愛情を込めて作ったものくらいは、分かって欲しいものです」


「うん、気をつける……」


 私の指摘に、貴臣さんの表情が曇りました。大型ワンコの耳と尻尾が力なく萎んでいくのが見えるようです。でも私はもうひとつ、言いたいことがあるのでした。


「それに、私を見て心臓が飛び跳ねるほど可愛いと思ってくださるのは嬉しいのですが、どのあたりを可愛いと思ってくださっているのでしょう」


 そう質問すると、大型ワンコの耳と尻尾が復活しました。


「それはだな! その艶のある真っ黒な長い髪だとか、守ってあげたくなるような色白な肌の色だとか、まんまるで可愛らしい目だとか、ぷっくりしたさくらんぼ色の唇だとか、思わず頭を撫でたくなるようなミニマム身長だとか、その割に大きいおっぱいだとか! 全部、うん、全部可愛い!」


「そうですか。外見だけの評価なのが若干気になりますが、まあいいでしょう。ここは素直に礼を言います。ありがとうございます。でも昨日、前髪を切ったのですけれど、気づいていませんよね?」


「えっ、そ、そうなのかっ?」


「やはり気づいていませんでしたか……。私の外見が好きな割に、あまりよく見ていませんよね」


「そ、そんなことはないんだぞ? 毎日椿姫を見つめるのが趣味なんだぞ、俺は」


「ではちゃんと気づいてください。そういう些細なことを気にする女なのです、私は」


「ああ、そういえばなぁ」


「はい。女々しくてすみません」


「いや、誰よりも男らしいと思うけどな」


 貴臣さんは少しだけ悪戯っぽく笑いながら、こちらへ身を乗り出してきました。そうして私の顔をじっと覗き込み、頷きます。


「うん、確かに。眉毛がちゃんと見えてる。昨日までは隠れてたのにな。気づかなくてごめん」


「若々しくなりましたか?」


「ははっ、まだ若いだろ? でも、そうだな。更に可愛くなった」


 そう言われると嬉しいものです。私は衝動のままに高臣さんに顔を寄せ、素早く唇を掠め取りました。


「ありがとうございます」


 にっこりと微笑めば、何故か感動したように目を潤ませる貴臣さん。


 そして。


「ああ、これからはもっとよく椿姫を見る! そして今はお前を抱く!」


 と、テーブルを乗り越えて抱きついてこようとしたので、私は思い切り中高一本拳を眉間に叩き込んであげました。


「あらあら、いけませんよ。そんなことをしていたら電車に間に合わなくなってしまいます」


 遅刻をして会社から信用を失って、それが積み重なって出世に響いたら大変ですからね。どんな小さなミスもしないに限ります。そして、そんなミスをさせないよう、支えるのが妻というものです。


 ……と思ったら、貴臣さんは椅子ごと後ろにひっくり返り、意識を失ってしまいました。


「あら、貴臣さん。寝てはいけませんよ、起きてください」


 愛情をたっぷり込めて往復ビンタを二回ばかり繰り返したら、彼は息を吹き返しました。


「うう……や、やっぱり誰よりも男らしいよ、お前は……」


 目覚めて開口一番に、そんなことを言われました。


「それは褒め言葉ですか?」


「たぶん」


「ありがとうございます」


 朝から旦那様に褒められてしまいました。嬉しいですね。今日はいいことがありそうです。




 

 食事が終わったら、貴臣さんはスーツに着替えて会社へ出かけます。


「いいか椿姫、俺が出たらすぐに鍵をかけるんだぞ。知らない人が来てもすぐにドアを開けちゃ駄目だぞ。必ずインターフォンで誰か確認してからだからな」


 玄関先でそう念を押してくる貴臣さん。彼は毎朝必ずこの台詞を言ってから会社へと出かけていくのです。


「大丈夫ですよ。子どもじゃないんですから」


「椿姫がかわいいから心配なんだろ。男だったら出なくてもいいからな」


「本当に用事のある方だったらどうするのですか」


「用事ついでにかわいい椿姫の胸を見たり、足を撫でたりするかもしれないだろ。転んだと見せかけてスカートの中を覗いてきたりするかもしれないぞ」


「大丈夫ですよ、そんな変態は高臣さんくらいですから」


「俺みたいな変態がいるから心配なんだよ!」


 自分で変態だと認めるのですね。まあ、私も彼が変態だということは否定しませんが。


「分かりました、ちゃんと鍵をかけますから安心してください」


「うん、そうしてくれ。じゃ、行ってくるからな。今日は残業ないから、早めに帰れるよ」


「分かりました。それに合わせて晩御飯作って待っていますね」


「うん、よろしくな」


「はい。行ってらっしゃい、気をつけてくださいね」


「ん」


 ちゅ、と軽く触れるだけのキスを交わし、貴臣さんに小さく手を振ります。彼も笑顔で手を挙げながら玄関を出て行きました。


 ぱたん、とドアが閉められたことにほんの少し寂しさを覚えながらも、言われた通りにきっちり鍵を閉めました。そしてキッチンへ戻ったところで、黄色いゴミ袋が二袋、目につきました。


 そうだ、今日は燃えるゴミの日です。


 前回出すのを忘れてしまったので、今日こそは出さなければいけません。


「よし、捨てに行きましょう」


 私は袖を腕まくりして気合を入れ、燃えるゴミの指定袋である黄色い袋を両手に持って外に出ました。







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