根暗系男子と暴走系女子~起
翌日。全ての授業が終わった後、委員会で呼び出された。図書委員という普通の委員会ではあるものの、当番制で図書室の司書をやらないといけないというのが面倒だ。演劇の稽古は学業や仕事が優先という事にはなっているが、委員会なんかで稽古を休んだり遅刻したりする、というのは避けたい。
今日はその当番日程決めをするために集められたのだが、結構な時間が掛かった。初対面、というよりも、劇団の人以外とは上手くコミュニケーションが取れない俺は、それでも自分の予定を通そうと奮戦したのだ。その結果、時間こそ長引いたもののなんとか稽古が無い日に委員会の仕事をやる、という日割りに出来た。
終わった頃には既に五時を回っていた。今日が稽古の無い日で良かった。
鞄を持って図書室を出て、そのまま昇降口に向かう。靴を取り替えて学校を出て、暗くなり始めている空を見上げた時だった。ブレザーのポケットに入れている携帯電話が振動した。
取り出すとどうやら通話の着信らしく、ディスプレイには『安達先輩』と映っている。
「もしもし。どうかしましたか?」
安達先輩なら用も無く掛けて来た、という事も十分に有り得るものの、礼儀として聞いておく。すると安達先輩は電話越しにデゥフフと笑った。あんた、そんな笑い方する人でしたっけ。
『プレゼントは受け取ったかい?』
「プレゼント?」
小首を傾げ、下駄箱まで戻ってみる。中を確認するが、そこには何も入っていない。
『ありゃ? 気付かなかったのかい?』
「プレゼントらしきものに心当たりが無いです」
正直に答えながら、再び校門へ向かって歩き出す。フェンスに囲まれたコンクリートの道。右手側からテニス部の声。左側からは野球部とサッカー部とソフトボール部と陸上部の掛け声プラス色々な音が混じって聞えてきて、正直、電話の向こうの声が聞き取り辛かった。
『一応、昼休みにはもう届けたはずだけど?』「え、なんですか?」『昼休みには君の机に置いておいたはずだよ! あたしからのプレゼント!』
机? プレゼント? 昼休みには届けたというが、俺は昼休みは学食に行っており、不在だった。その間に届けに来たから無くなった? まさかそんな馬鹿な。
「ちなみに、何をくれたんですか?」
盗まれるほど高価な物だとは思えない。安達先輩がケチだというわけではなく、彼女もまた俺と同じ高校生であり、収入源に限界があるからだ。
電話の向こうで先輩が何を言ったが、上手く聞き取れなかった。
「えっと……もう一回言って下さい」
立ち止まって確認すると、冷や汗がにじみ出てきた。いやいや、まさかそんなはずが無い。さっきは周りが五月蝿くて聞こえなかったのだ。聞き間違いに決まっている。
『だーかーらー!』
ちゃんと聞き取れよ、と前置きするような長いを間を取ってから、先輩は言った。
『プレゼントしたのは、あたしのお気に入りのコスプレ衣装だって!』
そりゃ、ダッシュで戻りますよ、教室へ。
踵を返して走りながらふと考える。コスプレ衣装ならば、入れ物は相応のサイズになるはずだ。しかし、そんなもの俺の机付近には無かった。
だとすると、
「先輩、その荷物、どこに置きました!?」
『だから、君の机だって』
「詳細を! 窓際から何列目で後ろから何番目ですか!」
クラス替えしたばかりの俺の席を、安達先輩が正確に覚えてるとも思えないわけで。
『えっと……窓際から二番目で後ろからも二番目』
「隣じゃねぇかあ!」
やっぱり間違えていらっしゃった! しでかしやがったよこのクソ先輩!
通話を切り、携帯電話をポケットに仕舞う。
階段を昇り、俺の教室がある三階へ。そして教室の前まで来ると、勢いよく扉を開け放った。
それが失敗だった。
教室には人が居た。一人だ。
まず目に入ったのは、真っ白の逆三角形である。美しい、と思ってしまう程の白。純白だ。世間一般で言うところのパンティーというやつであり、そこから伸びた細い肢体もまた、夕日を反射して白とオレンジのコントラストを描いていた。
簡潔に述べよう。
着替え中の女子が居た。
ラッキースケベというに相応しい現象が俺自身に降り注いでしまったわけであり、パンティー一丁(この表現は正しいのだろうか)で身を屈め、迷彩柄のズボンを膝まで上げている女子と目が合ってしまった現状、俺は慌てふためきごめんなさいを連呼して、すぐさま教室から出るべきなのだろう。
しかし、それを実行に移す事が出来なかった。
何故なら――
「な、な、なん……」
――その女子が、軍服を身に纏っているからである(上半身のみ)。
明らかにコスプレだ。
明らかに安達先輩の趣味だ。
つまりあれは確実に俺へのプレゼントだ。
あんなものがプレゼント? という疑念は勿論あった。しかし今はそれ以上に、人のコスプレ衣装を勝手に着ようとして、半端な体勢のままフリーズしている女子をどうにかするべきだと思うんだ。
勿論、こんな事を考えている間に状況は動く。
「いやあああぁぁぁあぁああああああ!」
そいつは叫んだ。叫んでたまたま近くにあったのであろう筆箱をぶん投げて来たためなんとか回避する。が、その筆箱が後ろの扉に激突したと同時に、投げられたのが俺の筆箱だった事に気付いた。ちょ、こいつ!
「見るな変態いいいいぃいぃぃい!」
見るなと言うならまず隠せ! と思わなくもなかったが、どうせ俺の声など聞きやしない。だからそいつに背中を向け、ひとまず退散する事にした。
事情は後で説明しよう。とりあえず今は逃げよう。
というわけで教室から出たのだが。
「逃げるな変態いいいい!」
追ってきた!?
反射で廊下へ駆け出したところで、後ろのドアが乱暴に開け放たれた。
まさかと思って首を捻って振り向くと、迷彩の上着を羽織った女子生徒は迷彩のズボンを太ももの高さまで持ち上げた状態で、顔を紅潮させながらこっちを睨んでいた。ます着ろよ!
前へ向き直ってから全力疾走をしようとするが、後ろからどたばたとした足音が聞こえてくるうえに色々なものが飛んでくるため、なかなか走る事に集中出来ない。
飛んでくるものは罵声と、おそらくコスプレ衣装の一部であろう物達だった。
ゴーグル。ガスガン(多分)。軍帽。ベルト。
……ベルト?
俺の横を通過していった飛んできてはいけないはずのものに、一抹の不安がこみ上げてきた。有り得ないとは思うのだが、もしかして後ろの女子は今、ベルトをしないで走っているのか?
流石にズボンはもう穿いてると思うのだ。だがベルト無しでちゃんと走れるのか?
振り向く。
腰元に手を当ててズボンを押さえながら、涙目で全力疾走している女子が一人。……えー、なんかこれもう別の意味で怖い。
「人でなし! 嫁泥棒! 痴漢、悪寒、嫌な予感がすると思ったらあんたのせいだ変態!」
どちらかと言えばそんな格好で追いかけてくるあんたのほうが変態だよ! というか嫁泥棒って言葉の意味が解らないし韻の踏み方が下手糞だし!
投げ飛ばす物が無くなったからか、変わりに罵声の数が増えて、質が落ちた。もはやカオスな方向にまで話が進んでいる。
「止まりなさいよ前髪!」
確かに俺の前髪は長いが、俺は前髪そのものじゃねぇよ!
「待てえええ!」と言われて待つ奴がどこに居「ふぎゃ!」
後ろから聞こえた豪快な転倒音。同時に途切れた罵声と足音。
三度振り向く。と、同時に立ち止まる。
「えー……」
軍服を纏った女子が倒れている。つまり転んだという事らしく、恥じらいからかぴくぴくと痙攣していた。待てと言われて待つ奴は居ないが、待てと叫んで待った奴ならここに居るという。
哀れだ。哀れすぎる。
なんとなく、本当になんとなく心配になって歩み寄るが、掛ける言葉が無い事に今更気付く。この女子が転んだのは半ば俺のせいなのだから、大丈夫? と問うのもおかしいと思ったのだ。
だが、だとしたらなんと声を掛ければいいのか解らない。俺は対人関係における経験値が欠如しているため、どういうときにどうすればいい、なんて事を知るはずもない。
演劇ばかりやってきたせいで、俺が思う正解らしきものもまた、きっと何かが間違えていることだろう。
だから俺は、差しさわりの無い言葉を投げかけることにした。
「……その服、俺のなんだけど……」
痙攣も止まり、女子は完全に沈黙した。
逃げている途中に投げつけられた小道具達を俺が回収している間に、軍服女子は教室に戻り、着替えを済ませた。
制服姿を見てようやく気付いたのだが、この女子は昨日の放課後、俺とぶつかった女子だ。くるくるのパーマが特徴的だったため覚えている。
「…………」
保たれる沈黙。コスプレ衣装は元々入っていたのであろう紙袋に収まって俺の前に差し出されているが、言葉は交わされない。
ひとつの机を挟んで座りあっているものの、たったひとつの机がベルリンの壁を思わせる程に強靭だった。何を言っても届かない。そんな錯覚さえ感じてしまうほどに。
「……っつ……」
空気に耐え切れなくなったのか、その女子の瞳に再び涙が滲んできた。
俺が泣かせているような気分になって申し訳なさに見舞われたが、如何せん女子の涙の拭い方など知らない。俺にとって交友があると言える女子は安達先輩だけなのだが、あれを一般的な女子と比較する気にはなれない。プレゼントと称してコスプレ衣装を人に渡そうとした挙句、席まで間違えるような人だからだ。
「えっと……」
このままでは埒が明かないと思い、口を開く。とりあえず、現状の説明だけでもしておこうと思ったのだ。
「一応この軍服は、俺の知り合いが押し付けてきたものなんだけど、なんていうかその……知り合いが、置く席を間違えちゃったみたいで」
上手く口が回らないのはいつもの事だ。しかし、それにしたってもう少し気の利いた言葉は無かったのかという自責がこみ上げてこないわけではない。
そんな俺のささやかな葛藤などなんでもないかのように、その女子は何も答えなかった。やはり、ベルリンばりな空気の壁は実在したようだ。
小さく震え出す女子の肩。昨日、俺に余計なアドバイスを投げかけてきた時の堂々たる姿はどこにも無い。
ひとつ溜息を吐き、窓の外を見る。夕日も沈み、もうそろそろ星が見え始める頃だろう。
「どうして、これを着ようと思ったの?」
答えは返ってこないだろうとは思ったが、何も言わないよりはマシかと思った。別に俺はこの沈黙を利用してそのまま立ち去っても構わないのだが、それではこの女子がいたたまれない。あんな混乱したカオスな状況下であっても下着を見てしまったという事実は揺らがないからだ。
予想通り返答は無かった。
女子の顔は青ざめている。唇からも血の気が引いていて、世界の終わりに遭遇してしまったぜ、みたいな顔をしているもんだから、俺が加害者になってしまっているような気分になった。念のため確認するが、俺も被害者だよ?
次に何を聞こうか考えてみたが、何を聞けばいいのかが解らなかった。別に彼女は悪事を働いたわけではないのだ。俺だって警察官じゃない。職務質問まがいのことをしても何も得られないし、何かを得たところで誰も得をしない。
「こうしよう」
もはやこの空気をどうにかできるのならなんでも良かった。
「ここであったことは、互いに口外しない。今日この場所では何も無かった。そういう事でいい?」
ある種の手打ち。言ってみてから、どうしてすぐにこれを提案しなかったのか解らなくなるくらい合理的な意見だと思った。
しかし、女子は首を横に振った。
「あんたはどうして、こんなものを持ってるのよ……」
上目遣いでもって俺を睨み、彼女は言う。
せめてもの抵抗だろうか。強がっています感が全開の、涙が滲んだ睨み。
確かに、疑問に思う事だろう。影の薄い根暗な一般生徒が軍服を持っているなんて誰も思わない。俺だって思わなかった。
「えっと……」
こめかみを掻きながら説明する。
「とある先輩が勝手に置いて行ったんだ。だからそれは、俺の私物じゃない」
「そんなの嘘」
女子は断言する。まぁ、間違えた断言ですけどね。本当の事ですし。
「だって、こんなものを貸し借りするなんて、普通の人間関係じゃない」
事実、安達先輩は割りと普通じゃない。アグレッシブなヲタクだ。だから平気で人にこういうものを貸してくるし、薦めてくる。なんなら相手を自分色に染めようとまでしてくるレベルだ。
「普通じゃない人間関係っていうのも、そこらじゅうにあるもんじゃない?」
言うと、女子生徒は再び黙った。
論破しようだなんて微塵も思っていなかったのに、呆気なく黙らせてしまえたことに罪悪感がこみ上げてくる。
別に、俺と安達先輩の関係が異常であることを認めたわけでは無い。だがそれは俺からのよがった見解でしかなく、そんな俺から見たら、この女子生徒を取り巻く関係のほうがよっぽど異常だと思う。
彼女らのデコレーション鞄から変化を見つけ出すという技術には、枝を隠すなら森という言葉を覆す程の破壊力があるし、たかが進級でプレゼントを貰えるという家庭環境とて俺には理解出来ない。彼女らの人生に置かれたハードルはどれだけ低いのかと考えると戦慄さえ覚える。
見解の相違もまた仕方の無い事だという事は重々承知している。なにせ、俺と彼女では生きている世界が違うのだから。
交わる事など無い。それほどまでに遠い世界から敬遠しあって、余計に遠くなる。それが俺達であり、それが人という、人間と社会が共闘して作り上げた壁なのだ。
そんな考えに至ると、今までどうして彼女と会話を繋げようとしていたのか解らなくなった。
そして、解らなくなったからこそ解決する問題もある。
「とにかく、今日あった事は口外しないようにしよう。そのほうが、俺にとっても君にとっても、有意義でしょ?」
そして俺は鞄と紙袋を持ち上げて、立ち上がった。
女子はいまだ微動だにしないが、気にする必要も無いだろう。なにせ俺らはささやかながらに運命共同体なのだから。
彼女がもし、俺がコスプレ衣装を持っていたのだと口外したら、同時に彼女がそれを着ようとしていた事実も露見する。互いに不利益しか生じないのだ。持ちつ持たれつ。そういう事にして問題は無いだろう。
黙りこくっている女子を背に、俺は教室を出た。