演劇系男子と残念系女子
下校中の景色は、高校二年生に進級したのだな、と、改めて実感させるものだった。
はしゃぎながら坂道を下っていく他生徒達を横目に見て聞き耳を立ててみると、授業どうたった、担任の先生当たりっぽい、だのというやり取りが聞こえてくる。彼ら彼女らはどうやら進級を喜んでいるらしい。
何故?
俺には理解出来ない心情だ。努力しなくても、当たり前の事を当たり前にこなせば出来る進級なんて進級じゃない。ただ単にクラスが変わっただけだというのに、どうしてそこまで一喜一憂出来るのだろうか。山の上にある我らの風見高校が街中に移って、登下校時の軽登山が無くなったともなれば俺とて喜ぶのだが、そういうわけでもない。
彼らは何をもって喜び、彼女らは何をして悲しむのか。それこそ、俺には解らないものだった。
ふと、前を歩いていた女子生徒達が騒ぎ出した。
「薫瑠なにそれ! ちょーかわいくない!?」
「あ、気付いちゃった? そうなの、これ、進級祝いにパパが買ってくれたんだ」
見せびらかすように持ち上げられたのは、鞄に着いたキーホルダーだ。
その女子グループは五人のグループだったのだが、全員が全員、鞄をでこでこにデコレーションしていた。じゃらじゃらと付けられているビーズを一まとめにすればハンマーになりそうな勢いである。
そんなジャングルよろしくな鞄から変化を見つけ出すというのは至難の業にも思えるが、彼女達にとっては普通の技術なのだろう。技術というのがどのようなものであったとしても、持たない者は持つ者を違う世界の住人だと認識する。違う常識が根付いた、異なる世界の住人だと。
つまり俺と彼女らは違う世界の住人なのだ。学校という特殊な枠組みがあったからこそ僅かばかりの接点を得ただけであり、遥か遠くの存在であることは揺らがない事実。
ふと、騒ぎ立てていた女子グループの一人が俺にぶつかって来た。背中での体当たりを食らった俺は尻餅を着く。
「あ、ごめんごめん」
笑いながらの謝罪を謝罪というのかは別にして、怪我をしたわけでもない。気にする必要も無いだろうと判断した俺は立ち上がり、そのまま徒歩を再開する。
「なにあれ」
俺とぶつかったため立ち止まっていた女子グループ。そいつらを追い越した際に聞こえた言葉。
「ちょー根暗」
おい、聞こえてるぞ。
「かおちゃんだいじょーぶ? あんなのとぶつかって、なんか変なのうつされてない?」
俺は病原体じゃないんですが……。
「大丈夫よ。ありがと、あんり」
ありがちなやりとり。特筆すべきものは無いように思えるが、普通の日常とはこういうものなのかもしれない。ならば、覚えておいて損は無いだろう。と思ってもう少し聞き耳を立てた結果。
「あれさー、うち、見覚えあんだけど」
「そう? あたしは初めて見たかも」
「あーしも初見」
「えー、どこで見たんだっけ」
「四人とも。確かあれ、同じクラスになった人よ」
「まじ? あれが? ちょーさいあく」
最悪なのはこっちだよ!
ぶつかっただけで病原体扱いされ、同じクラスだっただけで最悪扱いされる。俺は災厄を齎す神でも幸福を奪う悪魔でも無いのですが……。
歩くペースを速め彼女らと距離を取る。何も聞こえなくなったところでようやく歩を緩めると、その時には息切れまでしてしまっていた。少々速く歩きすぎたようだ。まさかあの程度で動揺してしまうとは、情けない。
坂道を下りきった場所にバス停があり、いつもなら俺はここでバスに乗る。しかし、待っていたらさっきの女子達と再び遭遇してしまうだろう。ならば、次のバス停まで歩いたほうが得策か。
景色は街中に変わる。学生達ばかりだった坂道とは違い、雑多な人ごみが視界に入る商店街。夕方ともなれば買出しの奥様や気合を入れなおした商売人達で賑わう。
俺は俯いた。
誰かに見られているような気がするのだが、当然そんなものは錯覚だ。今の俺を見ている者など、この世界には一人も居ない。
見られているはずが無ければ、見て欲しくもない。
下りといえど坂道を早歩きした後だというのに、俺は再び早歩きになっていた。
バス停に着いたのは十分後。ここまで来ればもう人ごみは減る。
待つ事さらに十分。到着したバスに乗り込んで、失態に気付く。さっき俺とぶつかった女子グループの一人が、入り口の所で座っていたのだ。むしろ俺とぶつかった張本人である。
「あ」「げ」
目が合い、俺はさらなる失態を重ねる。げ、って、もろに感情が表に出ているじゃないか。
太っているわけではなく丸い輪郭から幼さが垣間見えるものの、下手なりに努力したのであろうメイクと茶色い洗髪からは背伸びをしています感が伝わってくる。コテを使って巻いているのであろう髪型は、キャバクラへの就職を目差していますと言われても「いえ今すぐなれますよ」と答えてしまいそうなほどぐるぐるだった。高校の制服がコスプレに見える。
気にするな。ここで会ってしまったのはただの偶然だ。そう言い聞かせ、バスの奥へ進もうとするが、
「ねぇ」
呼び止められた。
俺だよな? 呼ばれたの俺だよな?
不安もあったため一旦周りを見てから振り向くと、女子の視線は間違いなく俺を見つめている。訝しげに眉を寄せているが、恐怖を覚える事は無かった。元の顔立ちが幼いからかもしれない。
「同じクラスになった一之瀬恵悟だよね? さっき大丈夫だった?」
「っつ……」
見た目がギャルなのだから、態度もギャルらしくあって欲しいものだ。ギャルとは総じて他人にはきつく当たるものじゃないのか? 違うのか?
確かに俺は身長が低くて体つきも細い。制服さえ着ていなければ男子には見えないだろう。声だって高いというのが余計にそれを助長する。
俺が弱者に見えたから心配しているのだろう。そう思うと不快感がこみ上げてきて、胃を通して拳に力が入った。
名前を覚えられているのは不愉快だが、クラス内で昨日、自己紹介をさせられてしまったのだから仕方ない。といっても、俺はこいつの名前を覚えていないが。
彼女に対する興味も話す気も無い俺は大丈夫であったことを伝えるため頷いて、そのまま去ろうとした。そうしなければこの不快感がさらに増しそうだったからだ。
だが、そうも行かなかった。
「ちょっと待ってよ、怒ってるの?」
さらに呼び止められて、どこか不機嫌そうな口調でそう言われた。
首を横に振る事でそれに答えると、「ならいいけど」と、歯切れの悪い様子でそいつは言う。
「……あんた、髪、切ったら?」
「…………」
うるさい余計なお世話だ。
そいつの要らないアドバイスらしきコメントにはなんの返答もせず、逃げるようにしてバスの奥へ。
その後は何事も無く、二つのバス停を過ぎた辺りでそいつが降りたのを確認した。
俺が降りるのはここからさらに三つ先のバス停。終点だ。
そこまで行くと、疎らだった乗客も少なくなる。むしろ俺だけだ。
終点に着いて降りようとした所で、運転手に声を掛けられた。
「頑張ってね」
いつもの事だ。
俺はやはり頷くだけで返答を済ませ、バスを降りた。
結構な山の上にあるバス停。ここで降りる人間には二種類しか居ない。その内の片方は一之瀬――つまり俺の家族達だ。
この付近に民家は一軒しか無い。むしろ、俺の家を民家と呼べるかも微妙だ。
俺は早足で家に向かう。
木々に囲まれてはいるものの、割とちゃんとした舗装がされている道。歩くと五分程度でそこに着く。
普通の市立中学校にある体育館を半分に割ったみたいな大きさと形の建物。そこが俺の家なのだが、全てが住居というわけではない。
裏手に回って、鉄扉を開く。途端に中から衝突音や叫び声が聞こえて、思わず浮き足立った。こういう事はままあるのだが、流石にここまで見事なタイミングは少ない。
「あー、お帰り。遅かったじゃない」
出迎えたのは母だ。手には水がたっぷり入った大きな木桶。中身が重たそうにたぷたぷと揺れていた。
「ただいま。持つよ」
そう言って母から木桶を受け取ろうとしたが、「めっ」と拒否されてしまう。
「お手伝いなんてしなくていいから、早く準備しなさい」
「…………はい」
気が乗らないわけではない。しかし、今日は少しばかり気が重たかった。
裏手が一之瀬一家の使っている居住スペースなのだが、そちらには向かわず、玄関隣にある扉を開ける。広がっているのは――稽古場だ。
「伊藤! ちゃんと設定を考えているのか! キャラを掴みきれてないぞ!」
「すみません!」
「梶山も、大事な場面が出来ていない! どこが一番大事かを判断して、大事じゃないところは抜けと言っているだろう!」
「うす!」
十人程度で作られた輪の中心で、最も年の言っている男性が声を荒げて叫ぶと、それに答えるようにして、指された誰かが腹から出した声で答える。
「水分補給した後でもう一度、今の場面をやるからな。ちゃんと台本を読み直しておけ」
その言葉で、綺麗に並んでいた輪が崩れた。
すると、真ん中に居た男性が俺に気付く。
「来るのが遅いぞ恵! 早く準備しろ!」
「っつ……はい!」
俺の家は、小さな劇団をやっている。彩鳥という名前の劇団だ。
声を張り上げて団員達を叱咤しているのが、劇団の経営者であり創設者であり代表の父。
そして俺はと言うと――
「お、来たな恵」
「遅いよ恵、学校終わらなかったの?」
すれ違う団員達(殆ど皆二十歳以上)から聞かれ、「めんどうな委員会に入れられてしまって」と答えると、真四角で板張りになっているその空間の隅っこで制服を脱ぐ。別に、男なのだから恥ずかしくなどない。
俺が体操着に着替え終えたのを確認した父さんが「アップをしろ」と急かして来た。言われなくてもやりますよ。鼻先まで伸びた前髪をヘアピンで留めながら心の中だけで毒づく。
練習が再開された傍ら一人アップをする。ストレッチ、筋肉トレーニングまで終えて発声に入った時には、皆はエチュード(即興劇)に入っていた。
「此度の生贄として我に捧げられたのは貴様か?」
「っつ……お待ち下さい! 僕には叶えたい夢があるのです! それを叶えるまでは死にたくない!」
「貴様の事情など知った事か! さあ、儀式の時間だ!」
「そうです、僕の夢は作家になって、印税でうはうはの生活を送ることなのです!」
「貴様の夢など聞いていなあい!」
「ちょっと待って下さい語らせてください! そもそも作家っていうのはなかなか面白いもので、生贄って字を交際相手と読ませるだけで『斬新だから』と金が入る職業なんですよ!」
生贄。
斬新であるかは別にして、ツッコミ所が多いのは確かである。
「それはなかろうて! それは偏見じゃろう! そもそも何故魔王たる我が貴様と交際をせねばならん!」
「僕には覚悟があるからです!」
「先程死にたくないと言ったばかりではないか!」
「僕にあるのは、貴女に貞操を捧げる覚悟です!」
「お前なんぞ要らんわ!」
「本当ですか!? やった、死なないで済むぞおおおお!」
なんでコメディーやってんのあの人達……。よくまあ生贄に捧げられた民間人と魔王っていう設定でそこまでふざけられるな……。しかも父さんが見てる前で。流石は我らがエース梶山さん。肝が座っている。ちゃんとつっこんでる伊藤さんもすごいけどさ。
「お前が此度の生贄で間違いはないな?」
「ま、ま、待ってくれ! 嫌だ、俺はまだ死にたくないんだ! どうだ、魔王! 俺を手下にしないか!」
「お前を手下にして、何かあるのか?」
「生贄の数を二倍にしてみせよう! 俺が人間達の中に紛れ込み、子供らを誘拐してくるというのも可能だ!」
次の人は闇落ちしてるし……。
流石即興――エチュードは人物等の設定だけして演技するもの――だけあってぐだぐぐだな物が多く、よく主役をやっている梶山さんもコメディーに持っていって好き放題していたこともあり、目も当てられない状態になっていた。そもそも魔王と生贄っていう設定がとんでもないからな……。
「ったくお前ら……」
呆れた父さんは目頭を押さえていた。
そこで、最後の切り札だとでも言い出しそうな目でもって、父さんの視線は俺へと向けられる。
「恵、もう行けるな?」
「……」
小さく頷く。
「恵は生贄役だ。魔王は……安達。お前だ」
使命された相手に少々驚く。
安達遊沙。背の高い女性なのだが、俺のひとつ上、つまり高校三年生で、俺と同じ高校に通っている人だ。
長い黒髪をポニーテールに結って、ちょこんと揺らしてから妖艶に微笑む安達先輩。
「ん。よろしく」
「はい。お願いします」
団員としては俺のほうが結構な先輩であるものの、やはり学校で先輩という事と安達先輩の性格もあり、俺はこの人には逆らえないのである。
「はじめ」
父さんの合図で空気が変わる。
安達先輩は元よりハスキーだった声を落とし、一瞬だけ視線を落としたかと思えば、「くっくっく」と笑い出した。あー、あっちのスイッチ入ってるな、これ。
「くあーはっはっは! 最後の生贄を得た! これで余は最終形態へ移行する事が出来る!」
もうね、演劇じゃなくてこれ、アニメとかそっち系の流れだからね。
だが、向こうがそういう流れで来たのなら、受け取る側も沿わなければならない。俺は一瞬だけ父さんのほうを見てから、安達先輩、いや、魔王を睨みつけた。
「道理で。生贄を出していれば大人しいと思っていたらそういう事だったのか。――俺を食って最終形態だなんて、安い形態もあっ」「恵」「たも……のーだーな?」
演技の途中で俺の名前を呼んだのは、他でも無い父さんだ。見ると、眉間に皺を寄せて俺を睨んでいた。
「やり直せ」
あーそうですよね、駄目ですよね、解ってましたよ。
「ごめん、安達先輩」
「全然おーけー」
一言ずつ添えてから、再び空気を張り詰めさせる。
そして。
「うぬがわらわの生贄かえ?」
目前の魔王は右手をこちらに差し出しながら、そう確認してきた。
そうだ、と答えれば、魔王に食われるだろう。しかし、首を横に振ったところで変わらない。
「そう……です」
断腸の思いでそう答える。いや、事実、あと僅かな時の後、魔王に食われるのだ。断腸どころの話ではない。
「ならば儀式を始めようぞ」
怖い。
死にたくない。
でも、
「ですが、魔王様、お願いです」
震えた声で膝を着く。
「なんじゃ?」
嘲うように唇を吊り上げさせた魔王へ向け、組んだ両手を差し出して懇願する。
「どうか」
今まで過ごしてきた村を、この犠牲で救えるのなら、
「あの村から搾取する生贄を――『私』で最後にしてはいただけないでしょうか」
エチュードが終わり、安達先輩と共に隅っこに移動した。
「いんやーさっすが恵。エチュードであそこまで迫真の演技をするとは、やるねぇ」
愉快げな笑みをもって歓迎はされるものの、気分はあまり良くなかった。
「ありがとうございます。でも……」
俺は父さんのほうを一瞥して、視線が交わらないうちに安達先輩へと向けなおした。
「――男役禁止は、ちょっときついです」
苦笑してみせたが、これは演技だ。
俺は子供の頃から父さんの指導を受けているのだが、低い身長、高い声、顔立ちの問題もあり、やるのは決まって女役だ。
しかもそれがあまりにも様になっているからと、父さんも団員達も決まって俺を恵と呼ぶ。パンフレットに乗せられる役者名も恵だが、俺の名前は恵悟だ。
「あー、主役やりたい」
勿論男の主役だ。女役も楽しいため演じられればなんでも良いとは思う。しかし、たまには男として、本当の性別で演じたい。
「あたしが君を男にしたげよっか?」
「どうやってですか?」
「下ネタ的な意味で」
「ほんと勘弁して下さいよそういう返し辛いネタは」
聞いてるこっちが恥ずかしい。
安達先輩はえっへんと胸を張り、顎をしゃくれさせて得意気な顔をした。
「最近のアニメではB地区が解禁されている場合が多いからね! 演劇でもそろそろそっち系行っちゃっても良い頃だと思うのさ!」
解らない……。この人が言ってる事、割りと頻繁に解らない時がある……。それなのに理解したくもないと思うこの不思議な感覚はいったいなんなのだろう。
安達先輩の言うB地区というのがどこの事かは解らないがとりあえずここが、俺の居場所である。
演じる事を目的とし、演じる事を前提とし、演じる事を当然とする環境。
学校はただ、世間体を誤魔化すための場所に過ぎない。
父さん、俺、二年生になったんだよ。と心中で呟いて、即興でぐだぐだな演技をしている人の向こうへ視線を向ける。その先に居るのは父さんだ。
「男らしくなりたい」
父さんには届かないだろうな、という事に気付いて、天井を見上げながら呟いた。別に失望とかそういう感情を抱いたわけではない。ただなんとなく、本当になんとなく、そんな感じの事を呟きたかっただけだ。
だが、安達先輩はからからと笑った。
「なら、あたしが君を男に」
「あ、そういうのは要らないです」
話がややこしくなる前に断ち切っておくというのも、めんどくさい個性をもった人の正しい対処法である。