一体いつから――――セクハラをする側だと錯覚していた?
3時くらいになって、第23演習場に撤収の命令が響いた。
あちこちにスピーカーが仕掛けられているようで、片瀬教官の声はそこから聞こえていた。
撤収と言われればそこに留まる理由はない。
俺たちは全員速やかに撤収した。
とっとと帰ってシャワーを浴びたいという気持ちが、整備で疲れた俺たちの足を動かした。
そのあと簡単なミーティングが行われて、俺たちはテントみたいなものに帰った。
テントみたいなもの、というのは、テントみたいなものと表現するしかない。
そう思わなければ自分が惨めに思えてくるからだ。
それはテントではなく、木で立てたハンモックのようなものに撥水する布をかけたものだ。
Aフレームベッドというらしかった。
うーん、確かにAの字のように木が合わさっている。
……Xっぽくない?と思うけど、まあ気にしないでおこう。
さらに言うと、木で立てたハンモックとはいうが、その高さはほとんど地面スレスレだった。
ハンモックって、こう、網でできてて、こう、木と木の間にかかってて、あとウクレレとか置いてあるイメージだった。
なので、こいつをハンモックと呼んでいいのかしばらく自分の中で葛藤した。
その上で、ハンモックだと思い込むことに決めた。
これはハンモックだ。ハンモックだ……!
ほーら、だんだんと南の風が吹いてきて、やどかりとかヤシの木とか、あと波の音とかそういう南国的なものが俺の頭に……っ!
そんな馬鹿なことを考えながら、班ごとにそのAフレームベッドを円形になるように並べて作った。
工作の手際で、さっさと作れる生徒もいれば、いくら時間をかけてもできそうにない生徒もいた。
俺が手伝おうとしたら、教官に注意された。
曰く、ここで俺が手伝ったら、次に本番でこのテントもどきを作ることになった時に周囲の足を引っ張ることになるから、とのことだった。
なので俺はさっき真帆から返してもらったパーカーを羽織って、茉莉が悪態をつきながら必死でAフレームベッドというテントもどきを作るのを眺めていた。
くんくん。
パーカーから、なんだか女の子のいい匂いがする、……気がする。
さて、そのAフレームベッドに帰ってすることと言えば、寝るか、食料を食べるかしかない。
そして食べないという選択肢はないので、必然的に食事となる。
なぜなら、もし食事をとらなければ翌日に酷い目に遭う。
具体的にどういうことになるかというと、まず頭が回らない。
なので、翌日の授業が武器弾薬を使用する授業だった場合、命に関わる危険に晒されることになる。
次に体力的な問題がある。
一日中体を動かして消費したカロリーを再び充填しないと、ちょうど自動車がエンストを起こすように、体が自由に動かなくなる。
今日みたいに一日中小さい木を切ったり、トラップを排除してたりすると、残った体力なんて蚊を叩き潰すくらいしか残っていない。
ABC学園にいる限り、ダイエットなんて考える必要はない。
太っている人はそもそも入学試験でふるいにかけられて落ちる。
ぽっちゃりした人も、連日行われる過酷な訓練で、脂肪がみるみるうちに落ちていく。
学園生活が始まって一ヶ月経過した現時点で、肥満体型の生徒は1人も存在しない。
逆に雑誌のモデルのようにガリガリに痩せた人もいない。
そんな転んだときに骨折しそうな体型だと、訓練毎に入退院を繰り返すことになる。
そういう人は入学試験で落ちる。
なので、ABC学園にはデブもガリも存在しない。
そして俺以外に男は存在しない。
そして不思議なことに、心身の変化は顔にも現れるらしく、不細工な生徒が見当たらない。
そりゃあ、とびっきりの美人と、普通の子という差は残念だが多少はある。
具体的にいうとあの、メンバーが訓練生とかいろいろいて、総勢100人くらいいるらしいアイドルグループに十分入れるくらいの容姿の子しかいない。
というか、俺はずっと48人だと思っていた。
それを皐月に言ったらひどく笑われた。
とにかくABC学園は女子のレベルも高い。
うーん、そうなるとほとんど試験も無しに入学した俺は、なんだかズルでもした気持ちになる。
申し訳ない気持ちになる。
ええと、話がずれた。
とまあ、そんなわけで、ABC学園は最高の場所だと思う。
いや違う。
今は飯の話だ。
ちなみにオリエンテーション中の我々は、第23演習場の中にこういうAフレームベッドというものを立てて、徐々に移動しながらサバイバル訓練を行う。
サバイバルではなく、これはあくまでも演習で、こういうことをするんですよというオリエンテーションにすぎない。
なので食料などはヘリから降下されて補給を受ける。
本当のサバイバルになると食料の確保など、何から何まで全部俺たちで済ませなければならないということを、教官は非常に強調して言った。
「……できたっ!!見ろっ!立派なものだろう!!」
茉莉はAフレームベッドで寝っ転がりながら、悪戦苦闘を見ていた俺たちに言った。
自信満々に自分の作った作品を指差している。
……時間をかけたわりには不恰好だ。
しかしそれを否定することになんの利益もないので、俺たちは茉莉に拍手を送った。
「ふふ、もっと褒めてもいいのだぞ」
全員のAフレームベッドというテントもどきができたところで、班長である皐月が教官に報告に行く。
しばらくして皐月が教官を連れて戻ってきた。
サバイバル訓練の教官は、以前は欧州連合軍の特殊部隊にいたらしかった。
若いが、ところどころに白髪が見える目付きの悪い女性教官は、俺たちの作った不恰好なAフレームベッドを見て回った。
そしてまず俺のAフレームベッドを蹴って倒した。
そして順々に全員の不恰好なテントもどきを蹴って倒して、もう一度作り直せと命じた。
俺たちは全員悔しさを噛み締めながら組み立て直した。
茉莉なんかはポロポロと静かに泣いていた。
俺は今回がAフレームベッドを組み立てるのが初めてではなかったので、さっと組み終わってしまった。
寝れればいいと思って最初から手を抜くんじゃなかったと後悔した。
面倒が2倍になりやがった。
しかしやばい。
何がやばいかって、ポロポロと嗚咽を押し殺して泣く茉莉である。
眉を歪めて、唇を歪め、流れる涙をときどき服で拭っている。
時折我慢できずにしゃくりあげている。
……萌える。
……悶え死んでしまう。
何かおかしな性癖の扉が開きそうになった。
というか、たぶん開いた。
ほら見ろよ。
ジャネットなんて凶悪そうな笑みを浮かべて茉莉をじっと見てんぞ。
自分のAフレームベッドなんてほったらかしだ。
とんでもない顔つきだ。
間違いなくここが町中なら、俺は警察に通報している。
今は圏外なので通報できないが。
ぐへへへ、という笑い声からかけ離れた、欲望と自制心がこすれて軋む音がジャネットの口から漏れ出ている。
頼むからちょっとは自重してくれ。
俺だって茉莉の涙をぺろぺろしたい衝動を抑えているのだから……。
しばらくして、俺たちはAフレームベッドを組み立て終わり、教官からの及第点をもらった。
それからその日の分の食料を受け取って食べた。
その日の食料は缶詰とご飯だった。
俺たちは焚き火をして、缶詰を温めて、それを食べた。
それからすぐに眠くなり、火の番を交代でしながら寝た。
*
次の日、最後の見張り役だったジャネットに起こされて、俺たちは朝を迎えた。
班長の皐月が全員の起床を教官に報告しに行って、支給品をもらって帰ってきた。
支給品は朝食としての缶詰と、パイロットスーツと自由連盟の軍服だった。
「これって、ここで着替えるの?」
「あ、あの、有栖川くんは……」
「君は向こうに行きたまえ。こっちから迎えに行くまで、絶対に来るなよ!」
酷い扱いである。
しかし、仕方がないと思う。
このパイロットスーツは直接皮膚に触れるものとして作られている。
つまり、これを着るためには全裸にならなくてはならない。
そういうことなので、俺は木々の鬱蒼と茂る場所で着替えることを余儀なくされた。
まあ、当然っちゃあ当然か。
仕方なく俺はパイロットスーツと軍服を持って、すごすごと木々の間に分け入って進んだ。
ある程度進んで、会話が聞こえなくなったところで、開けた場所に出たので、そこで着替えることにした。
木の枝に脱いだ服を引っ掛けて、靴と靴下も脱いで生まれたままの姿になる。
そのあと、パイロットスーツに足を突っ込んで、ぐいぐいと引っ張って腰まで入れる。
ゴムのような質感のパイロットスーツは、ツナギのような形で上下一体になっている。
腰まで入れた状態から、スーツの上部分をおんぶするようにして、それから手を入れる。
右腕を入れて、左腕を入れる。
それからここが重要だ。
このパイロットスーツはぴっちりしたものなので、女性には存在しない”邪魔な部分”が男性にはあるわけだ。
こいつをどうするかという部分で、俺は非常に気を使う。
このポジションで今日のすべてが決まると言っても過言ではない。
とりあえずいつもどおりの左腿に沿わせる形で押し込んでおく。
それからようやくジッパーを引き上げることになる。
いろいろと巻き込まないようにもぞもぞとやってから、ようやく首元まで引き上げた。
もういっそのこと剃ってしまおうかとも考えたが、そう考えるたびに変な見栄が邪魔をしたので、もう考えないことに決めたのだが、いつもパイロットスーツを着るたびに邪魔に思う。
海外では剃るのがデフォルトだとか噂で耳にしたが、本当なのかどうかわからない。
確かに生えているのは邪魔だし、蒸れるし、毛じらみとかそういうことを考えると、剃るほうが効率的なのかもしれない。
うーん。
誰にもこういうことは相談できないので辛い。
もし中学のときの友人に相談しても、ふざけた答えが返ってくるのはわかりきっているので、これは本格的に手詰まりだ。
ネットで相談しようにも、すぐに特定されるだろう。
こういうときに孤独感が俺の胸に突き刺さる。
「はあ……」
ため息をついて、首元にあるパイロットスーツの電源スイッチを入れる。
ピリッとした感覚が一瞬全身を通る。
それに反応して、腰の部分に生えている尻尾のような生体ケーブルが、ぴこぴこと揺れる。
今度は軍服に袖を通す。
上着とズボンだけだったので、これはすぐに着ることができる。
さて、迎えに来るまで待とうかと思って、脱いだ衣服を集めたとき、ふと目線に気付いた。
「…………あ、バレた」
ぼそっと誰かが言った。
数名の目線が俺に向いていた。
反応が遅れる。
固まったまましばらく考えて、そしてようやく答えにたどり着いた。
……俺は覗きに遭ったのだ。
「えー…、あのー…」
どう反応していいかわからない。
悲鳴を上げればいいのか?
それとも怒ればいいのだろうか?
リアクションがわからないでいると、すべての気配が一斉に一目散に逃げ出した。
「…………」
何が起きたかがわからず、しばらくぽかーんとしていると、皐月班の4人が迎えに来た。




