第七話:ゆらぎ
「――くと……ほく――……」
遠くで誰かが呼んでいる。しかし囁く様なその声は、ボクを覚醒させるまでには至らない。
そしてその声も徐々に遠のいていき――
「――起きろ!」
「!?」
再び訪れかけた暗く静かな世界が一変し、凄まじい衝撃が後頭部に走った。
気のせいか、小さな星がいくつも見える。
……今のは一体何だ?
「ったく、わざわざお前の為に来てやったのに眠り惚けてるんじゃねぇ」
「ボクの為?」
「うむ、正しき道へと導いてやる」
クラクラする頭をあげると、仁王立ちしている大地が視界に入る。
よく見るとその右手には広辞苑が……。
「まさか、それで殴ったの?」
「いかにも。最初は優しく起こしてやったんだが、全く反応がなかったからな」
「だからって広辞苑で殴らなくても……」
「え〜い、うるさい! んな事よりお前に話がある」
強靱な握力でボクの腕を引っ張る大地。
その力の込め方から、平穏な話じゃない事が分かる。
「え〜と、後じゃダメ?」
「ダメだ。まあ、さすがのお前も今の時間を聞けば起きる気になるだろう」
「時間? 今何時?」
「十二時過ぎだ」
「ええ!? もうお昼!?」
まずい、最近授業中の記憶が全くない。テストが近いのに……。
あっ、もうじき死ぬボクには関係ないか。その点に関してはラッキーだな。
「おら、ボーッとするな。オレはお前ほど暇じゃないんだ」
「ほっくと〜、お昼行こ」
タイミングがいいのか悪いのか、
サナがお弁当が入っているであろう包みを、グルグル回しながら教室に駆け込んできた。
……中身は大丈夫かな?
「あ、サナ。よし、行こっか」
「だ〜めだ。和泉、ちょっと北斗を借りるぜ」
「え〜?」
「反論は受け付けん」
「――で、話って何?」
ようやく解放された手を擦り、改めて大地の顔色を伺う。
……この表情は、間違いなく怒ってる。
「うむ、単刀直入に言おう。お前は間違っている」
「え? 何が?」
「お前のとった行動がだ」
「……真帆の事?」
「当たり前だろ。お前にどんな理由があるかは知らんが、あの態度はひど過ぎる」
やっぱりその事か。自分でもやり過ぎたかも、って思ってたから当然かな。
「でも昨日は『お前にも色々あるだろう』って納得したじゃないか」
「あの時はあの時だ。今水野がどうなってるのか知ってるのか?」
真帆が? それはあれだけ急に冷たくすれば落ち込むのも無理はない。
「どうなってるの?」
「お、やっぱりまだ気にはなるんだな」
「……」
「なんだ、急に黙りか?」
これ以上の発言は余計大地のペースに填まりかねない。
少しでも未練を見せちゃダメだ。
「ま、別にいいけど。今の水野はな、ハッキリ言って廃人と化している」
「廃人?」
「ああ、一応学校には来てるけど、登校してから一度も席を立ってない。
それどころか小さなアクション一つ起こさない」
「……」
「誰が何を言っても反応しない。カバンなんか手に握ったままだ」
大地の話で嫌でも生気の抜けた真帆の顔が浮かぶ。
今一番見たくない表情だ。
「分かるよな? お前の態度が原因だ」
「ん……」
「ん、じゃないだろ? それが学年一のアイドルを一方的に振って、
廃人に追いやったヤツのセリフか? 何とかしろよ」
「……」
「しかも信じられん事にあの和泉と付き合ってるときた。これじゃあ水野があまりにも可哀相だ」
「大地には関係ないじゃないか」
「何〜!? ――って、まあ、そうだよな」
「へ?」
今までの険しい表情を崩し大げさにヤレヤレ、というポーズをとる。
「いや、ここまではクラスの奴らの想いなんだ。そしてココからがオレの本音」
相変わらず回りくどいけど、それが大地らしい。
しかもこの空気での発言は、核心をついてくる可能性が高い。
「いいか? 水野はお前を待っている。そして北斗の心はまだ水野の傍から離れていない」
大地が言ってることは多分事実だ。
自覚があるだけにその言葉が重くのしかかる。
「っつーわけだから、行ってやれよ。彼女のところに」
「……ダメなんだ」
「何がだ?」
「もう真帆とは会っちゃいけないんだ」
「……」
「ボクだって本当は――」
真帆に会いたい。
ずっと一緒にいたい。
「そ、そうだ。大地が真帆を元気付けてあげてよ」
「何でオレが?」
「結構仲いいでしょ? この際真帆と付き合うっていうのは――」
「本気で言ってんのか?」
再び普段は見せない攻撃的な表情に変わる。
大地の雰囲気に飲まれない様に、小さく一呼吸を置く。
「……真帆をこのままにしておくよりはいいと思う」
実際大地なら真帆と上手くやっていけると思う。
ここ一番で頼りになる大地は、優柔不断なボクなんかよりもずっと真帆に相応しいはずだ。
「腑抜けた事言うな」
「え?」
「人に頼るなって言ってんだよ。自分のことくらい自分で始末付けろ」
「……ボクなりに始末は付けたよ」
「その考えが気に食わん。いいか? オレはお前達が付き合おうが別れようが関係ない。
だがな、お前の不始末のせいで友達が傷つけられるのが許せないんだよ。
別れるなら別れるでちゃんと事情を――」
「――ないよ」
「あ?」
「話せるわけないよ! 事情なんか!」
「……」
三度大地の表情が険しくなる。
そして、二人の間には一触即発といっていい空気が漂っている。
幸いなことに周りに人はいない。
今なら誰も止めに入らない。
「……はぁ、わ〜ったよ。悪かった、オレはもうこれ以上口出しはしない」
またいつもの親しみやすい表情に戻り後頭部をポリポリと掻く。
しかし、その瞳だけは強い意思を秘めているのが分かる。
「だが最後に一つだけ言わせてもらうぞ」
「何?」
「オレはお前を信じている」
「え?」
「じゃあな」
「あっ、大地っ! 大地は――」
ボクの呼び掛けに答えるのを拒否するかの様に、背中を向けたまま手をヒラヒラさせる。
言いたいことだけ言って逃げたな。
……いや、逃げてるのはボクの方か。
……本当にこのままでいいのか?
ボクは――
「北斗?」
気が付くと心配そうに弁当を抱えたサナがすぐ近くまで来ていた。
この様子じゃさっきの話は聞かれてたかもしれない。
「あ、何?」
「お弁当、どうする?」
「……ごめん、今日はいいや」
「そっか……」




